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5.フエンヒローラのセントロで用足し

 [銀行でT/Cをキャッシュに]
さて話は戻る。タクシー乗り場はホテルを出たすぐの所にあった。ミラマル(MYRAMAR)というショッピングセンターの前にバス停と一緒にあったが、今日のところは用件を確実に済ますためタクシーで行くことにする。
目的のセントロにあるSantander銀行へはあらかじめ調べておいた住所を運転手に見せるとすぐそばまで行ってくれた。

一般に、流しのタクシーは簡単につかまらないので街のところどころにあるタクシー乗り場を利用するのが確実だ。また、タクシーにはメーターがあったかはっきりしないが、何回か乗った限りでは降りるときに運転手の言う料金を払っていて特に問題はなかった。でも目的地が遠い場合は乗る前に料金を確認しておいたほうが気は楽だろう。ちなみに、ホテルからセントロの銀行まではおよそ1.5kmほどだが、6から7€(小銭のチップを含めると1000円強)ぐらいだったから日本に比べて安いわけでもない。

目的の銀行はすぐわかった。そう言えば、去年バルセロナのSantander銀行で入口の二重ドアを通るのに手こずったことを思い出したが、ここは大都会とは違ってまだまだのんびりしているのか、防犯への備えは特に厳重でもなく簡単に店内に入ることができた。


T/C換金で入ったSantander銀行の支店。

一回にできる換金上限も2000€までOKという。持ってきたT/CはCiti銀行で買ったAMEXのもの。スペインでは少なくともSantander銀行なら手数料なしで換金できることは去年確認済みだ。
この銀行はスペイン最大手行でフエンヒローラにも支店がいくつかある。殆ど待つこともなく順番がきてガラスの仕切りの向うにいる女性行員にサインした小切手とパスポートを渡すと、パスポートのコピーを取っていたが
手数料なしですんなり額面どおりのキャッシュを手にすることができた。勿論現地ではクレジットカード決済のほか、至る所にあるATMで国際キャッシュカードを使えば現金は手に入るが、街路に剥き出しのATMでキャッシュを引き出すのはちょっと勇気がいるし、手数料は1ユーロ当たり数円になる。ただでもユーロ高の時代、時間に余裕がある旅ならT/Cのほうが有利だと思う。(ちなみに、Citi銀の場合だが、TTSレート(仲値+1円。)でT/Cを購入でき、口座を持っていれば購入時の手数料もかからないのでキャッシュを手にするまで一切コミッションなしということになる。この差は結構大きい。)


町の中心広場(Plaza Constitución)の教会(Iglesia del Rosario)は比較的小ぶりでシンプルだった。教会の前面は広場、右手に銀行がある。
 教会(Iglesia del Rosario)の正面、銀行は右手

[観光案内所]
あっさり銀行の用件は終わったのでその足で観光案内所に向かう。「information」の i からきているのか、 全国どこの観光案内所も i のマークが目印になっていて、ちょっとした観光地の町なら必ずある。大きな町なら観光スポットごとにあり、キオスクのような感じのものからちゃんとした事務所風のものまで規模はいろいろだ。とにかく街の地図やホテルリストなどが用意されていて観光客の質問、問いあわせに応じている。
フエンヒローラの i は去年も寄ったので勝手はわかっているがかなり充実した作りになっていて、今日は2人のお兄さんが、ひっきりなしに訪れる外国人観光客に忙しく応じていた。

さて、今の宿は前半の2週間だけ確保しているが、その後は決まっていないのでホテルを探しておかなければならない。それと最後の1週間ぐらいはポルトガル旅行が組めないかどこか旅行社であたってみたいと思っていた。その結果によっては宿泊地や日数も変わってくる。
アパートメントホテルについて尋ねると、ホテルリストは貰えたが、「ホテルの問い合せはご自分で直接どうぞ」ということだ。当然と言えば当然だが・・・。リストには今泊まっている宿も含めて11のアパートメントホテルが載っていたが、一見したところ、位置、価格などが”帯に短し襷に流し”で適当なものは見当たらない。まあ後日の検討材料にさせてもらうことにする。


観光案内所、旅行社がある界隈。

[ポルトガル旅行は?]
観光案内所を出るとすぐそばに「Ecuador」という看板の旅行社が目に入った。思い切って入ってみる。奥に長い10畳ぐらいの部屋にカウンター机があり、3人の女性が応対していた。真ん中の中年の女性が空いていたのでポルトガル旅行の件を訊いてみる。

ところで、ポルトガルとスペインとは背中合わせの隣国同士なのに地形的な制約があるのか、歴史的な背景によるものか良くわからないが両国を結ぶ交通機関は以外と不便なのである。普通、スペインからポルトガルへはどうしてもマドリーを起点にせざるを得ず、マドリーからなら空路と1日1本の鉄道がある。リスボンと聞いて、昔、アラン・ドロン、カトリーヌ・ドヌーブの「リスボン特急」という映画を想い出すが、今でもパリーマドリーーリスボン間の夜行特急が1日1本あるらしい。あとは時間はかかるが、ローカル列車、ローカルバスを乗り継いで行く手しかない。今回のように一度地方に入ってしまうとまたマドリーに出てポルトガルに入るのは時間的にも、コスト的にもあまり現実的ではない。

旅行前に日本で調べたところでは、スペイン南部からはセビージャ(Sevilla)からリスボン(Lisboa)にバスが1日2~3本出ていることがわかった。約7時間、60€(≒9、600円)ぐらいで行けるようだ。そのうちの1本はマラガ発で途中フエンヒローラにも寄ってセビージャ経由の夜行バスになり、リスボンには早朝に着くという長距離バスもあるが、若い時ならあり得るが、年寄りにはちょっときつそうだ。しかし、マラガからセビージャまではRenfe(スペイン国鉄)の列車もあるのでのんびり列車でセビージャに出て、一泊でもしてからバスでリスボンに行く旅程ならあり得るかと思い、時刻表を調べてみる。確かにマラガ発セビージャ行きのローカル急行が一日6本(所要時間2時間半、料金17€(約2、700円))あった。


マラガ駅の長距離列車出発案内の電光掲示板。マドリーやバルセロナ行きに混じってセビージャ行きも見える。

以上の予備知識で旅行社の女性にRenfeの切符やバスの切符、さらにホテルの予約など一連の旅程を作ってもらえるか訊いてみると、ホテルの予約は出来るが、バスの予約は扱っていないとの気のない返事なので、こちらもあまり深追いはしなかった。確かに今回は観光旅行が目的じゃなかったことに思い至り、ポルトガル行きの話は急速に萎んでしまった。その代わりか、フエンヒローラから簡単に行ける何本かの日帰り旅行を薦められたが、その中にあったモロッコ(Marruecos)の町、タンヘル(Tanger)への日帰り旅行は当初から期待していたもので後日申し込むことにした。

[旅後半の宿の確保]
ポルトガル行きは取りやめることにすると後半の13泊のホテルをフエンヒローラ辺りで予約する必要がある。その旨話すと、フエンヒローラでは4月末の週末から5月1日のメーデー休日にかけて恒例のフェア(?)があってホテルは混んでいるという。それでもこの旅行社の契約ホテルから2~3の候補を出してくれた。その中に唯一あったアパートメントホテルに決めて画面で手続してもらうがその場ではうまくいかない。今日は週末なので来週までにはっきりさせておくことを約し、週明けもう一度寄るということにして旅行社を出た。



 


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4.「コスタ・デル・ソルライフ」スタート!

昨晩は2時間おきに目が覚めたが、トータルでは6時間寝ただろうか、7時には我慢できなくなって起き出してしまった。昨日の午後着いたばかりでまだたっぷり時差を持っているのでしょうがない。外はまだ真っ暗だ。当地は3月末の日曜から既にサマータイムに入っていて8時をすぎないと本当に明るくならないようだ。 それでも昨日の不安定な天気は収まったらしく朝から日がさしてきた。いよいよコスタ・デル・ソルライフが始まる。


部屋のバルコニーから見る朝焼けの地中海、朝の8時を回っているのにまだこんな明るさ。

ツアー旅行の時のように早朝からスケジュールに追い立てられることもないのでのんびりしたものだが、今日は週末の金曜日、取りあえずT/C(旅行小切手)の換金だけは済ませたいと思っていた。手持ちのキャッシュがないわけではないが今日を逃すと月曜まで出来ないのもちょっと心細い。それと街をブラブラして交通機関、買物、レストランなどの按配を確かめにセントロに出たいと思っていた。

  [泊まった部屋はこんな感じ]
ところで、改めて泊まった部屋を確認しておこう。基本的にネットで見ていた情報と相違ないことに安堵する一方で、半分疑いの念も持っていた自分に少々バツの悪さも感じる。とにかく、実用性、機能性の面ではまったく問題はなかった。支払ったホテル代からすればこれ以上を望むのは高望みというものだ。ここの客は地元客の他、イギリスなど欧州各国からの家族連れが多いのだから、客の平均的要求を満足させるレベルにはなっているのだろう。
例えば、ネットの説明でpequeña cocina(ミニキッチン)となっていた台所だが、どうしてどうして、はめ込みの冷蔵庫、電子レンジのほか、オール電化のIHクッキングコンロ(2口)、お湯沸かし器、トースター、コーヒーメーカーなどが備え付けられているし、鍋類や各種食器、ナイフフォーク等々まできっちり揃っていた。気合を入れてやる気なら、スーパーで食料品を調達してきて料理を楽しみながらの完全自炊ステイも可能だと思う。


はめ込み式のミニキッチン。左下に冷蔵庫、中央に電子レンジ、扉を開ければ鍋類や食器が、引き出しにはナイフフォークなどが入っている。


左からトースター、コーヒーメーカー、お湯沸かし器、食器置き。必要にして十分なものが揃っていた。

リビング・ダイニングはそこそこのスペースだが、家具調度はちょっと貧弱か。特にテレビが日本で言えば20年以上も前のシロモノで、唯一の不満な点ではあった。
寝室は独立していて厚い二重のカーテンで遮音性が保たれており、ツインベッド、クローゼット、机のほかに暗証番号で開閉するセイフティーボックスが付いている。


評判の悪かった(?)テレビ、奥はバス・トイレ。


独立したツインベッドの寝室。

勿論トイレ・バスは広さもたっぷり、設備もしっかりしていて水回りはまったく問題なかった。さらにゆったりしたバルコニーがあって、地中海や周りの景色を眺めながらのビールを楽しめ、日光浴をしたり、陽が陰る夕方に読書をしたりとこれぞ憧れていたコスタ・デル・ソルライフの至福の時間を味わうことができた。


只今午後の8時一寸前。ゆっくり暮れていく長い夕方、バルコニーからの景色を肴にビールを楽しむ。


7階のエレベーターホールから見下ろすとゆったりしたホテルのプールとプールサイドが一望できる。


プールサイドに並ぶデッキチェア。天気の良い時間帯に本を持ってゴロゴロするのに最適だった。

  [ホテルの延泊はできるか?]
さて、銀行に行くとなると営業時間は13時か14時までなのであまりモタモタもしていられない。昨日の夕方スーパーで買ったパン、代用のろ紙で入れたコーヒー、ジュース、乳製品、果物で簡単な朝食を済ませる。コーヒーメーカーも紙フィルターを買ってくれば問題なさそうだ。
勝手が分かればバスで中心街(セントロ:centro)に出るところだが、今日のところはタクシーで出掛けることにして、フロントでタクシー乗り場を訊いてみる。
ついでに、このホテルの延泊が可能かどうかだけ確かめてみることに。部屋も確認したので場合によっては2週間とは言わず帰るまでいても問題ないなと思ったからだ。

返ってきた答えはこうだった。「その件は予約を取ったネットのサイトと相談して下さい。もしそれと関係なく延泊を希望するなら値段は1泊・1部屋90ユーロ€(約15,000円弱)ですが・・・。」と言って値段表を示す。これはビックリ!ホテルの通常価格とネット予約の価格にこれほど差があるとは!インターネットの価格は半値以下だったということだ。勝手な推測にすぎないが、ホテル側としては、閑散期に一部の部屋をオファー価格でネットに売り出す営業戦略をとっているということだろうか。しかも、値段表では、最盛期の7月、8月や年末、4月頭の聖週間は120ユーロ(約2万円弱)になっていた。
いずれにせよ今回は幸運にも
掘り出しものに巡り会えたということらしく、2月初旬に日本で予約手続を終えた以降、このホテルは「空室なし」に変わったことを思うと自分がオファー価格の最後の客だったということらしい。

ところで、延泊の話を進めるにはマラガにある予約サイトとメールか電話・FAXでスペイン語のやり取りをする必要がある。対面なら何とかとも思うが、現地へ来てしまうとこれはちょっと厄介だ。別途、旅行社にあたってみることにしよう。

 

 

 

 

 

 


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3.旅の準備(2)

3)[肝心の宿さがし]
さて、1ヶ月程度フエンヒローラに滞在するとすればどんなところに宿泊するか?日本にいるのと同じ普通の生活をするには簡単でも自炊ができる長期滞在者用のホテルがあれば好都合だ。調べてみるとスペインのホテルには通常のホテル(H)のほかに、そんなに多くはないが「アパートホテル」(HA)というカテゴリーがある。このタイプはリゾート地に多く、キッチン付きで家族連れとか仲間同士などが自炊もしながら比較的長期に滞在するのに向いており、値段も経済的で「Apartamento Hotel」または「Apartotel」と呼ばれている
もっと長い3ヶ月、半年以上の滞在ならアパートメント(コンドミニアム)になるだろうが、この場合は個人で日本から予約するにはまだ情報が少なく難しいので、取りあえずのホテルだけ押さえて現地で不動産屋を介して探さざるを得ないようだ。


旅の後半で宿泊したトレモリーノスのアパートホテル。「Aparthotel」の看板が見える。

  とにかく宿泊先の確保は、個人旅行の場合最大の問題だ。若いときのように予約無しで出かけ、現地で何とかするというのもあるだろうが、もうそんな気力はない。ではどうするか、今の時代はネット上で検索をかければいろいろなホテル予約サイトが出てくる。その中で適当なサイトを選び自分の希望と予算に合う物件を探すことができる。ただし、そのためにはあらかじめ現地事情、特に現地周辺や街の地理を十分頭に入れておくことが必須だ。満足いくホテルを探し出せるかは保障の限りではないが、少し前までなら旅行会社に頼む以外なかったことが、ネットを通じて個人で出来るのは何とも素晴らしい。
これらのサイトでは日本語のもの、英語のもの、スペイン語のもの等が出てくるが、日本語サイトは一般的に紹介されている物件数も少なく、個々の物件の情報も物足りない気がする。特に今回のようにスペインの片隅にあるリゾート地の物件を探したいとなるとどうしても選択幅が狭くなる。

[ぴったりのホテル予約サイト発見!]
いろいろ見てるうちに、偶然マラガを本拠としているホテル予約サイトを見つけた。当然スペイン語だが地元だけにリストアップされているホテル数が多く、個々の物件の説明が丁寧、値段もまずまずのものが並んでおり見やすい形式になっている。辞書を片手にホテルの所在地や概要、部屋の種類と設備、肝心の値段などを比較しながら絞っていく。滞在中の過ごし方を思い浮かべると、キッチン付きの1LDK(アパートホテル)で、近くで食料品等の調達が出来、いざとなればレストランでの食事も容易なこと、さらに鉄道・バス・タクシーへのアクセスの良いことが絶対条件。それならフエンヒローラの市街地にあるアパートホテルから選択するのがベストだろう。さらに、料金がリーズナブル、海岸にも近ければ言うことはないが選択肢はぐっと狭まる。市街から外れても良いならリゾート雰囲気抜群のHAも結構あるのだが、場所を地図で調べると車がないとどうしようもない場合が多く注意が必要だ。

結局、フエンヒローラ市街の西端になるが海岸にも近く、町の中心にある電車の駅から約1.5km、バスなら10分強の位置にあるアパートホテル「Fuengirola Beach」を第一候補とした。部屋は独立した寝室とLDKのスペースからなる「1LDKタイプ」で、勿論キッチン、バス・トイレ、バルコニーも付いていることになっている。(因みに、これに対して「エスタディオ(Estudio)」というワンルームタイプがあり、この場合ベッドも、キッチンも、リビング・ダイニングセットも1部屋に収まっているが、その分値段も安いのが一般的だ。)



フエンヒローラ市街地(西側半分)の地図。左下部、N340号線を挟んでSOHAIL城址の反対側にアパートホテル「Fuengirola Beach」がある。右側中央部が町の中心部でホテルから約1,5km。

ところで、このホテル、値段がなんと1部屋・1泊当たり40€/弱(約6,000円)と思いがけなく安い。このくらいで泊まれれば1ヶ月の家賃と考えてもそんなに高くはないし、年金生活者にとっては有難い話なのだが逆に何か心配だ。改めてこのサイトで見れるホテルの案内ページに飛んで説明をチェックし、設備や部屋の写真を見てみるが問題があるとは思えない。これはキャンペーン価格で掘り出しものなのか?、それとも「羊頭狗肉」で実物は低品質なのではないか?、そもそもこの予約サイト自体、本当に信頼して良いのか?などと、かえって疑心暗鬼になってしまう。結局、決め手にしたのはサイトにあった「予約後宿泊日の3日前までなら手数料なしで解約可」という良心的な説明だった。
このホテルをパソコン上で見つけたのが正月頃、モタモタしていると先を越されてタイミングを逃すのではないかと思い、2月初旬、意を決して画面上の予約手続をおこなった。(吉と出るか凶と出るか、この結果は現地に行ってはっきりする。)

[画面上での予約手続]
画面の指示に従って到着日、宿泊日数、ベッドはダブルかツインか等の欄を埋めた後、個人情報として名前、国籍、パスポート番号、住所、電話・FAX番号、そしてクレジットカードの情報を求められた。これらは日本でネットショッピングするのと大差ないが、すべてスペイン語なので辞書で確認しながら慎重に進めた。唯一戸惑ったのが、クレジットカードのところで求められたカードの発行先という欄。日本では訊かれることがないのでどう埋めればよいのか困惑したが、結局カード会社の英文社名を入れたら次の段階に進むことができた。

宿泊予定の約1ヶ月間(実際は27泊)、同じホテルはつまらないかな、現地で実際にホテルを見て気に入れば延泊すればよい、現地の旅行社に頼んで最後の1週間ぐらいはポルトガル旅行でも組めないかなどと考えていたため、このホテルの宿泊は取りあえず前半の4月12日(木)からの14泊にした。(この判断は後で功罪両方の結果を招くことになる。)
すべて受け付けられて最後の契約確定ボタンをおっかなビックリ押した。と同時にメールが届き、予約は受け付けられたこと、宿泊費全額が口座から引き落とされたこと、ホテルに到着したら添付の予約控(el Bono de Reserva)のコピーを提示することなどが読み取れる。まだ出発まで2ヶ月以上ある。それまでに何があるか分からないが、日程変更や内容変更も言葉の問題はあるものの連絡すればできることになっているし、そもそも手数料なしの解約が出発3日前までOKなのは心強い。
それでも、予約控のコピー1枚で本当に大丈夫かと最後まで不安だった。


結果的に心配も杞憂に終わって予定どおり宿泊ができたアパートホテル「Fuengirola Beach」。ホテル入口部分の一角。

4)[航空券予約サイトからのチケット購入] 
宿が決まったことにより、出発日が4月11日(水)とはっきりしたので並行して検討していた航空券も確定させなければならない。勿論、航空券もネットで購入可能で、ホテルの場合と違って国内の沢山あるサイトで比較できるので気は楽だ。都合の良い時間帯のフライトが選べて価格的に安い便はどこのサイトのものか?そもそも格安航空券は出発の時期、曜日によって値段に相当の開きがあり、サイトによっても結構違うので根気強く調べてみる価値がある。

今回は到着地マラガ空港からホテルのある町まで電車で行くこととしたので昼間に着きたかった。そのためには成田を夜発つ必要があり、この条件に合うのはフランス航空(AF)だけ。しかも、マラガへの乗り継ぎ便数が多く、便利なのはやはりパリ経由のAFのようだ。勿論、
ロンドン経由になる英国航空(BA)や他のヨーロッパの航空会社便でも行けるが成田発が昼間で現地到着が夜の時間帯になったり、乗り継ぎ時間が1時間ちょっとしかないとか、そうでなければ一泊が必要(乗換え地で別途予定があれば別だが)なこともあったりしてちょっと使いづらい。

こんな検討も正月明けあたりから始めていたが、出発が決まった以上、やはり2月初旬の段階でネットによる購入を確定させた。結局、成田発が4月11日(水)22時前の夜行便、パリ着12日早朝の4時すぎ、(この後、空港で約6時間休憩)、パリ発10時半、マラガ着13時すぎという旅程になった。購入後分かったのだが、この手の航空券は早期であればあるほど安いわけではなく、といってギリギリになって安くなるわけでもないようで、出発2ヶ月前ぐらいが最適らしい。購入時期によってチケット価格が多少ながら変動するようだが、底値付近(?)で手に入れることができた。

こうして旅の基本である宿と足、いやフライトの準備はできた。このほか、お足(お金)のことや、1ヶ月間の個人旅行であるがための携行品などの準備についても追々触れることにしたい。


 

 


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2.旅の準備(1)

去年の5月にパックツアーでスペインに行った。その顛末は既にこのブログで書いたが、次に行く時は忙しい物見湯山的ツアーじゃなく、十分に言葉が通じなくても一箇所に落ち着いてのんびり日常生活をしてみたい、勝手の違う非日常的な土地、環境下で異文化体験をしてみたいと思っていた。
何故スペインか、若干後付けになるが若い頃仕事の関連で南米の生活経験がありスペイン語に多少のなじみがあったこと、その流れで文化的背景としての本国スペインに一度は行ってみたいという想いがずっとあったということである。そして、行くなら気候の良さ、安全性からスペイン南部、地中海に面したコスタ・デル・ソルがいいと思っていた。

昨年のツアーを選んだのも旅程にコスタ・デル・ソルのマルベージャ(Marbella)での2泊が入っていて下見ができそうだったからで、自由行動日があったのでバスで1時間のフエンヒローラ(Fuengirola)という町に行ってみた。この町はあらかじめ滞在先の候補としてマークしていたところで、現地の雰囲気を肌で感じて戻ってきてからここでの滞在生活は我然現実的なことになった。                                                            


しかし、ツアーに頼らないとなれば、旅行・滞在プランを作り、宿や航空券の手配は自分でやらなければならない。普通なら旅行会社と相談しながら計画を固め手配してもらうことになるのだろうが、こちらの思いを通じさせるのも簡単そうではない。それならリタイアして時間はたっぷりあるのだから、独力でやってみるのもおもしろいかと思い、昨年秋以降、歯医者通いとか忘れているスペイン語を少しでも思い出させるとか、旅のための基盤整備を心がけた。そして本格的に準備を始めたのは年が明けてからだが、結果的にこの旅行前の計画を組み立てて手配をしていく過程自体が結構楽しめることがわかった。


旅の入口情報は、案内書やインターネットから容易に入手が可能だし、今どきのネットから得られる情報は膨大で、先人の旅行記や関連ホームページは数限りない。時間を厭わずにやさしいスペイン語や英語のページまで拡げれば際限がない。とにかく、これらの情報はきめ細かく臨場感があり、勝手に想像が膨らんでいくので本番の前に架空の旅をした気分にしてくれて楽しい。

準備に使った「コスタ・デル・ソル」関係の地図や案内書、大半を旅の友として携行していろいろな場面で世話になった。地図はスペイン政府観光局にメールでお願いし入手したもの。

 

旅なれた方々には笑止かもしれないが、今回の場合どんな検討をし、どんな手配をしたか書き留めておきたい。以下に項目ごとに整理してみたが、あくまでも一つの参考としてみて頂ければ幸いである。 

1)滞在のイメージ、行き先、旅行時期、期間等

2)健康状態の確認と海外旅行保険

3)宿泊先の選定と予約

4)航空券の選定と予約

5)現地での必要資金の所持方法

6)その他(連絡手段の確保、携行品、旅行前の情報収集、言葉の準備等)               

 

1)[旅のイメージ、どんな滞在にしたいか] 

固く言えば旅の目的だが、どんな滞在生活をしたいのかということだ。今回の場合、先に書いたように「非日常的な環境で日常生活をのんびり楽しむ」というスタイルを基本として行き先も決めていたが、改めて確認したのはコスタ・デル・ソルの治安や安全面である。

マドリーやバルセロナといった大都会とは違って、当地はスペイン南部の地方都市でのんびりしたリゾート地である。しかもヨーロパの年金生活者が多数移り住んでいるような土地柄で、夏のバカンス、冬の避寒時には周辺各国から短期滞在者がどっと押しかけてくる地であることは昨年のツアーでも確認している。


海岸沿いの延々と続く遊歩道をのんびり散歩しているのは中高年以上の人たちが主流で、高齢の老夫婦
や車椅子の人もめずらしくない。もし治安に不安があればこれほど観光客が来るはずもないし、地元にとっても観光立地上、安全面の確保は最優先事項のはずだ。従って、安全面に関してはこちらが余程不注意なことをしない限り問題にならないと考えた。とは言え、今の世の中、100%の安全などあり得ないのも事実でそれなりに腹を括っておく必要もあるだろう。

 


トレモリーノス(Torremolinos)のバホンディージョ ビーチ(Playa del Bajondillo)沿いの海岸道路で。歩いているのは年配者ばかり。

 

トレモリーノス駅前近くの繁華街で巡回するおまわりさん。大概2人一組(1人は女性警官)で街の警備にあたっている。結局、物騒な場面は一度も見かけなかった。

また、時期については、基本的に毎日が日曜日の身分なのでいつでも可能なのだが、気候とコストの兼ね合いを考えて決めた。即ち、年間325日が晴天と言われる温暖なコスタ・デル・ソルだが真夏はやはり暑いし真冬はそれなりに寒くなる。また、季節の変り目はぐずついた天候が続くようだ。

一方、コスト面、特に宿泊費は7月~8月を中心としたハイシーズンは極端に高くなり、安い時期の2~3倍になるのが普通で全体費用への影響はかなり大きい。この辺を踏まえ個人の都合も勘案して4月上中旬の出発にした。

期間は所謂ロングステイと言えるほどの長さではないが1ヶ月にした。

家を無人にする期間が1ヶ月を超えると管理や各種支払いなどの面でもっとキチン

と手を打っていく必要がある。

さらに、格安航空券は有効期限が1ヶ月以内というのが圧倒的に多いことも現実的な

理由である。なお、3ヶ月以内なら観光ビザで入国滞在は可能である。
                               

2)[旅の前提、体調管理と万が一の保険]

まず一番最初に考えたのは、1ヶ月の旅行に耐え得る健康状態を維持できる

かの見極めである。これは計画を進めるかどうかの大前提である。

60代も後半になってくると、体にガタがきているし”老人力”も無視できない。物忘れが原因で致命的な問題を起こさないか?眼が弱くなっていることが咄嗟の判断ミスにつながらないか?旅行途中で治療中の歯や持病の膝痛が悪化しないか?日頃服用している成人病薬などは持参するにしても、基本的に言葉が不自由な中で急性体調不良などの症状が出たらどうしよう?などという最悪の場面が頭をよぎる。一週間や10日間のツアーなら何とか帰国まで我慢するという選択もあるだろうが、1ヶ月となれば状況は違う。それにツアーの時のように添乗員がいるわけではないので何か事件が起っても周りに相談したり助けを求める先はない。

と言って、心配し過ぎてもキリはない。結局は出来る限りの事前準備をしたうえ

で、海外旅行保険に加入して最悪に備えることにした。実際に保険を適用したことがないので使い勝手は分からないが、加入した保険の説明書によれば、ケガ・病気の場合、日本語で24時間対応してくれる電話先があり、キャッシュレス治療の手配や病院などの紹介、予約などをしてくれるという。

歯科治療は早めに医者通いを始めたが、旅行前に治療を終えるのは無理とわかり

自業自得なので致し方ない。ただ、治療中の箇所は、1ヶ月間、仮歯でも何とか

ることだけは確認したが・・・。

 


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1.新たな旅のはじまり

快晴のパリを30分遅れで飛び立ったBoeing737機は安定した飛行を続けていたが、いよいよ目的地に近づいてきたのか機首を下げ始めた。そして厚い雲に突っ込んでしばらくすると雲の合間に所々岩山が露出し潅木と草原の緑で覆われた斜面が迫ってきた。雲は低く垂れ込めていて雨が降っているのだろうか、もう高度は500mを切っているだろう。さらに高度を下げた飛行機は、手慣れた感じでスペインは「コスタ・デル・ソル」(Costa del Sol)の中心地、マラガ空港(Aeropuerto de Málaga) に着陸した。

 乗り継ぎのパリのシャルルドゴール空港を発って2時間半、現地時間07年4月12日木曜日、13時半の到着だ。日本時間では時差7時間(当地は3月末から既に夏時間)を加えて12日の20時半ということになる。昨夜、成田を22時に発ったので22時間半かかった勘定だ。これは日本出発を夜便にしてマラガ到着を昼間の良い時間帯にしたかったのでパリで6時間も空港で時間調整していたためで、最早便を選べばもっと短縮は可能だ。この辺はフライトスケジュールを自分で組み立てたから自在にできたことではあるのだが。

ところで、成田出発時沢山いた同胞(?)もパリからヨーロッパ各地に散ってしまったのだろうか、マラガ行きは満席だったにもかかわらず日本人はおろか東洋人は我々だけだった。いよいよ異国の地に来たなという感を強くする。でも周りのヨーロッパ人は特に気にかける風もなく居心地は悪くない、やはり"大人の国"に来ているということなのだろうか。

 

“マラガ空港ではパリをスルーした荷物は別のターンテーブルから出るから注意すること“という情報をネットで読んでいたお蔭で、最初から大半の乗客が待つターンテーブルとは別のガラス張りで仕切られた別室のターンテーブルを見張っていたら案の定そちらから出てきた。結局何のcheckもなくあっけなく荷物を手にすることができて拍子抜け。どうもパリで新規に預けられた荷物と乗り継ぎ客の荷物は別々の場所から出しているらしい。といってスルーの荷物を別途検査するわけでもない。出発空港での検査を尊重するルールになっているということだろうか。そういえば去年もコペンハーゲン経由でマドリーに入った時荷物はno-checkで受け取ったことを思い出す。

「コスタ・デル・ソル」の見取り図。マラガ(Málaga)を中心に東西300kmの地中海沿岸を一般にコスタ・デル・ソルと呼んでいる。

「マラガーフエンヒローラ(Fuengirola)拡大図」。マラガ空港はマラガとトレモリーノス(Torremolinos)の間にある。マラガーフエンヒローラ間、約30kmに近郊線と呼んでいる電車が走っていて19駅を約50分で結んでいる。

さて、時間もたっぷりあり急ぐ旅でもないので予約したホテルがある町、フエンヒローラ(Fuengirola)へは電車で行くことにする(上の見取り図を参照願いたい)。ネット情報では空港ターミナルからそんなに遠くないところにスペイン国鉄の「近郊線」と呼んでいる路線(セルカニアー1(Cercanías-1))の「空港駅」があるはずである。

大きな荷物を引きずって案内板に従ってターミナルビルを出ると意外にも蒸し暑く雨が降っている。この湿気はなんだ!カラっとした地中海性気候が売物の「コスタ・デル・ソル」ではなかったのか、話が違うではないか・・・と文句を言ってもしょうがないが、傘を差しつつ標示に従って駅に向かう。しかし、どうも駐車場を横切ったり工事中のような通路を通ったりして間違っているのではないかと不安にさせる。まあ違っていれば戻ればいいかと思い、それでも駅に向かっていそうな人の後に付いていくと前方に駅のホームらしいものが見えてきてほっとする。後でわかったのだが、この空港は現在、規模を倍にする拡張工事中で連絡路は仮のものだったらしい。でも、帰国する時に乗ったタクシーの運ちゃんに聞いたら「完成は7年後と聞いているけど、さらに2~3年は遅れると思うよ。」と言っていたので当分このままかも知れない。

 

「空港駅(Aeropueto)」のホームと入ってきた電車。6時ごろから23時すぎまで30分に1本。

駅は無人駅で切符は券売機でということらしい。しかしその券売機は初めてで仕組みがよく分からないうえに、野外にあるので画面が光って見にくい。思わず我々の前で買っていた地元(?)の中年男性に頼んだみたら親切にも買ってくれた。さらに、電車が着いて(ホームと車内との段差が40cmはある)重いカバンを車内に引き上げようとしたら乗客の若い男の子が軽々と引き入れてくれた。

現地滞在中はいろいろな場面で拙いスペイン語で街角のおまわりさんをはじめ、地元の人たちに道や行き方を尋ねたり、買物、レストランなどでも確認したり問いかけたりすることが何度となくあったが、総じて遠方からの旅行者(?)には皆さん親切だった。例外がないわけではないが、こちらの人たちは都会人と違ってまだまだ素朴、穏やかで親切に受け入れてくれる感じがする。これだけの国際的な観光地になるためにはこのくらいのホスピタリティはむべなるかなだろうが、なかなかできることではない。

さて、電車は地中海沿いに走り途中のリゾートの町に停まりながら約35分でフェンヒローラに着いた。この街には去年2~3時間だが寄ったことがあったので地下駅から地上に出るとその時の景色をすぐに思い出した。駅前でタクシーを拾い10分ほどで街の西はずれにある目当てのホテル(Apartamento Hotel Fuengirola Beach)に無事到着した。

フエンヒローラの町、町の西端にある古城の高台から。右側が地中海になる。

滞在したアパートメントホテル「Fuengirola Beach」(全156室)の南面。部屋は最上階の中央部だった。ホテル後方の平たい白い屋根はshopping center MIRAMARで中にスーパーがある。

このホテルは自宅からネットで取ったのだが予約控えは画面をプリントアウトしたコピー1枚だけ。正直なところ本当に大丈夫だろうかと日本出発前から半信半疑で気を揉んできたが、フロントのお嬢さんにコピーを見せパスポートを出すと明るくあっさりと「受けています。」と何のこともない。信用していなかったわけではないのだが内心の不安もこれで霧散霧消、本当にほっとした瞬間だった。

アパートメントホテルではベルボーイがいるわけではないので、渡されたカード式の鍵を持って自分で荷物を引張りエレベーターに乗る。日本のようにスムースでないエレベーターで実質7階の609号室へ。内部は思いの外広い1LDKで台所の設備、電器製品もキッチリ揃っている。これなら半月、いや1ヶ月でも生活するには問題無さそうだ。さて、時刻はまだ夕方5時前、とにかく飲み物、食べ物がなにも無い。さっきフロントで聞いたらスーパーはすぐそばにある大きなshopping centerの中にあるとのことだったので偵察も兼ね買物に出かける。

外に出るといつの間にか雨は上がっていたが夕方になって温度は下がってきたようだ。大きなスーパーでいろいろ見たかったのだが取りあえず最小限の食料品を仕入れ、部屋に戻って今日の長い一日を思い出しながら軽い夕食をすませる。とにかく腹も埋まり飲んだビールも効いてきてべッドへ。日はまだ高い(当地のこの時期は9時ごろまで明るい。)し体は疲れているのに気持は昂ぶっていて寝るような気分ではないが、無事ここまで辿り着いたという安堵感もあったのかあっさりと眠りについた。こうして一抹の不安を抱えて飛び出した旅行初日の大移動は大過なく(?)目的を達することができた。


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第11日(6/1木)(Barcelona→成田)

6時起き、ホテル出発7時40分でバルセロナ・プラット空港(Aeroport del Prat)へ。30分ほどで到着したのでまだ出発まで2時間と少しある。チェックインをすぐにすませ荷物を出してしまった後、付き添ってくれていた現地ガイドさんから「免税書類を持っている人は手続に行きましょう。」と声がかかり少し離れた銀行のような事務所に行く。
求められれば書類の他に一緒に買った現物も提示しなければならないことになっているが、例の書類とパスポートを出すくらいで簡単に手続は済んだ。何日か前にCórdobaで購入した分も合わせたので小物のお土産が買えるくらいは戻ってきた。昨日デパートで頑張った甲斐(?)があったというものだ。
終わってからの感想だが、現地のガイドさんがいたからうまくいったが、もし個人旅行で初めてならちょっと難しいかなと思う。とにかく諦めずに執念深く(?)やらないとダメだろう。

Barcelona10:35発の帰国便は往きと同じスカンジナビア航空。Copenhagenには13:30に着き、15:45発まで乗換えに時間があったので、軽い昼食を済ませ最後の小物土産などを買う。がここでは簡単にはユーロが使えなくて不便。デンマークは英国、スエーデンなどと共にユーロ圏には入っているものの通貨については国民の同意が得られず、EC条約上適用除外が認められているためだそうな。
仕方なく小払いもカードで清算したが問題はなかった。因みにデンマーク通貨はデンマーククローネ。
成田には翌朝の9:35(日本時間)に無事到着した。一緒の皆様にはいろいろお世話になった。ここでお礼を言わせて頂きたい。

実質10日間の駆け足旅行だったが、ツアー旅行は効率がよい。スペインの2大都市と南部を主体に周っただけでも、当初考えていた目的は十分達成できたと思う。昔から文字媒体を介して想い描いていたスペインのイメージ、中南米にいた時に感じていた本国スペインのイメージが今回の旅で現実に結びついた。ほんの表面を撫でるような旅行でも、この国は予想に違わずその魅力を感じさせるに十分だった。

         

スペインは決して大きい国ではないが、地方々々によって風土、歴史、言語そして文化の多様性が際立っているようにみえる。
旅が始まった首都Madridを含め、古都のToledo、風車のConsuegraなどの地域は乾いた赤土の大地でラ マンチャ地方と呼ばれる。
続いて訪れたCórdoba、Sevilla、Granadaなどはイスラムの影響が色濃いアンダルシア地方、同じアンダルシア地方でも陽光眩しく海岸リゾートの要素が加わったMarbellaやMálaga、その後背地になる白い村Mijasを含めた地中海沿岸地方。
後半ではAlicante、ValenciaからBarcelonaへと歴史的にも文化的にも一味違う確固とした主張を感じさせるバレンシア・カタルーニャ地方を巡った。
さらに、北部、東部には中世の香りを残すカスティーリャ地方、 雨が多く緑豊かなガリシア地方などがあり、それぞれが特有の強い個性を持っている。
このような多様な地域性を見せるところが、一度訪れた旅人をリピーターにさせる魅力の一つになっているのではないかと思う。

スペインを表現するとき、「光と影」という言葉で語られることがよくある。
確かにこの国の気候風土の下では太陽の光は眩しく照りつけるが日陰はヒンやりしている。夏はとても暑く、冬は特に内陸部では寒い。
アンダルシアの白い村の風景には、透きとおった強い日差しがあたる光の部分と陰の部分とがあり、そのコントラストが強烈でくっきりした陰影は日本の穏やかなそれとは違う。

闘牛場にも光と影がある。光の当たる席(ソル:Sol)と陰(ソンブラ:Sombra)になる席に分かれていて値段も違う。勿論、雄牛(トロ:Toro)が登場する砂場(アレーナ:Arena)
にも生と死という光と影があるのだろう。

フラメンコにはギターと歌、激しい踊りと手拍子などがもたらす熱情がある。それは光の部分であり、同時に存在する蔭(闇)の部分とが相まってフラメンコ独特の雰囲気が出来上がっているとみることもできよう

今回の旅行を通じて、取りあえずスペインという国にまた一歩のめり込んでしまった。リタイア生活はまだ始まったばかり。健康上の問題を抱え込まなければ、これからもこの国の「多様性」や「光と影」を意識しつつ、自分なりの方法でもう少し付き合いを深めてみようと思う。  (07年03月 完)


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第10日(5/31水)(Barcelona)

昨夜ドイツで行われたワールドカップ本番直前の日独戦の結果を朝のテレビで確認できた。2-2の分けでまずまずだったようだ。(しかし、10日後の本番であれほどまでにボロボロになるとは・・・)
一方、今朝の天気予報によれば、「曇り、ところにより雨」で肌寒い一日になりそう
だ。これまで天気には恵まれてきたのだが・・・

 31日水曜日の全国の天気。

今回の旅もいよいよ終わりに近づいた。今日が実質最終日でフリーの一日だ。Barcelonaの街を気ままにもう少し歩いてみるつもりだが、朝一番でやっておきたいことがあった。それはまだ一度も使っていないT/Cの換金だ。昨日夕食に出た時にNumáncia通りに2~3、銀行があることはわかっていたのでまず一番近いドイツ銀行に入ってみたが、「T/Cは受けていない。サンツ駅へ行けばできると思う。」とつれない。
仕方なくもう2ブロック先のサンタンデール銀行(Banco Santander:スペイン最大の銀行、最近、HSBCやドイツ銀行などを抜いてヨーロッパ最大の銀行になったという解説もある。)へ。小さな支店ではあったが入口は厳重で、ロックのあるドアが1mぐらいの間隔で二枚ある
構造になっている。最初のドアを開け二つ目を開けようとすると開かない。ドアとドアに挟まれて焦っていると後からきた男の客が開けてくれて何とか中へ入ることができた。店内はガラガラで全く待たずに対応してくれたが、パスポートの提示を求められ、じっくり本人確認もされてパスポートのコピーも取られた。とにもかくにも問題なくユーロキャッシュを手にすることはできた。

今回、旅行前に調べた
ところでは、Citi銀行に口座があるとT/Cの発行手数料(通常総額の1%)はかからず、現地での換金手数料もゼロということだったが、確かにそのとおりで手数料は取られなかった。したがって、T/Cは何かと使い勝手は良くないのだが、一方、安全で換金レートも有利なのでその得失をどう考えるかだと思う。因みに、今回のT/Cは144円で買ってきたが、現地ATMでCiti銀のバンキングカードでキャシングした時のレートは150円/€だったからその差は歴然だ。(若干円安の傾向ではあったが)

一度ホテルに戻り、10時には市内に出かけようと思っていたところ、出掛けに部屋のセーフティボックスのダイアルを不用意にこじらせ、レセプションに電話して開けてもらうハメに。それでもすぐに専門のおじさん(?)が来てくれてあっさり解決、ようやく10時半にホテルを出ることができた。

まずホテルを起点に市内中心部とは反対側になるFCバルセロナのホームグランドに先に寄ってみることにする。地図でみるとブラブラ歩いても多分30分ぐらいで行けそうだが入口がどこか分からないので時間節約も考えタクシーで行く。
”カンプノウ”(Estadi Camp Nou)という名前で有名なこのサッカー場は、カタルーニャ語で”新スタジアム”の意、1957年完成で収容人員98,600人、欧州最大のサッカー場という。サッカーファンなら、特に”バルサ”(Barça)ファンなら一度は訪れたい聖地だ。とにかく話の種に場内、付属の展示館・ショップを巡るツアーに参加する。先日Madridでレアルマドリーの本拠地(Estudio Santiago Bernabéu)を観ていたせいかあまり感激はしなかったが、やっぱりここで実際の試合を観れたらスゴイだろうなあと改めて思う。それにしても人が多すぎておみやげも買えない。

 場内ツアーの切符を買ってここから入場する。

 入ってすぐの2階に過去の優勝カップ類を陳列するスペースが見えた。

 場内風景①、一階スタンドの最上席から。

 場内風景②、グラウンド面まで降りることができる。

 場内風景③、スタンドは3階まである。

 場内風景④、「ロナウジーニョと記念写真はどうですか?」という呼び込みが結構商売になっていた。勿論、ロナウジーニョは等身大の写真です。

 場内風景⑤、試合があるわけでもないのにかなりの観客。

 場内風景⑥、三階席から。

 場内風景⑦、三階席にあるガラス張りのVIP席から。

 展示館で。

 オフィシャル ショップとなればユニフォームは勿論、Tシャツでもいい値段。

 ショップは1階と地階でかなりのスペースを取っている。

カンプノウを出たのは12時半、地下鉄で中心部に出ようと思い最寄の駅を探すも見つけられずサンツ駅までタクシーで戻ってから地下鉄に乗ってみる。目的の駅は「カタルーニャ(Catalunya)」、3号線は少し迂回するが乗換えなしで7つ目だ(全線均一で1.2€)。
特段のこともなく15分ぐらいで到着、地上へ出るとこの街の中心「カタルニャ広場(Plaça de Catalunya)」だったが現在位置、方角が分からない。有名なスリ、ひったくり多発地帯なので街頭で地図や本を広げるのはやめにしてオープンカフェで一休みしながら今どこに居るのか確かめる。少し肌寒いが天気は崩れず逆に回復の方向のようだ。

元々旅行でおみやげを買うのは好きではないが、明朝は帰国なので少しは探してみようと広場に面しているスペイン最大の総合デパート、「エル コルテ イングレス(El Corte Inglés)」に入る。そろそろ2時、まずは昼飯からと日本のデパートと同じように最上階(8F?)にあるレストランに入ってみる。 殆ど満席で窓際の席は取れず。またもや海鮮パエージャとバカラオ料理(干しタラ(Bacalao)の煮込み)、白ワイン(安いのに旨かった)、コーヒーを注文。味、サービスは良かったが、値段も良かった。

 オープンカフェから眺めるカタルーニャ広場。

 カタルーニャ広場の一角の行列、バスを待っているのか。

 デパート最上階のレストランからの景色、窓際席でないのが残念!

 同上。

 海鮮パエージャを鍋のままテーブルそばまで運んできて皿に取り分けてくれた。

 手前、海鮮パエージャ、奥はバカラオ料理。

レストランを出て売場をブラブラしたが、とにかく広い。このデパートについて調べてみると、1934年に洋装店からスタート(それで店名がEl Corte Inglés(”英国調カット”)ということなのかと勝手に納得)した歴史を持ち、1989年に2代目経営者が引き継いでから積極的に業容を拡大させ、現在ではスペイン各都市に店舗網ができており周辺国にも進出しているという。今のところ殆ど独占状態なので弊害もあるようだが、とにかく品揃えが豊富、高品質ということで一人勝ちしているらしい。
結局、衣料品と雑貨を少し購入。90€を超えたので免税の書類作成を頼むと5Fのお客様カウンターへ行けと言われ、ようやく見つけて聞くとここではなく地下2Fの事務所だという。大した額でもないし面倒になったが、途中であきらめるのもシャクなので降りてみると専用の窓口があってきちんと書類を作ってくれた。昔、中南米で生活した時、この手のことがうまくいかずイライラすることがよくあったことを思い出したが、さすがにスペインともなれば違うようだ。

ところで、EC圏では付加価値税(IVA)がかかる。スペインでは税率16%だが、旅行者特権で現地で使用しないものを約90€を超えてTax Free Shopで買物した場合、手続をすれば手数料を除いた13%を上限に還付してくれる。この免税書類を作ってもらったわけだ。
もっとも、いくら90€を超えてもホテル代や食事代は現地でサービスを受けているので当然ながら対象にはならない。


 デパート内の衣料品(子供服)売場、ラルフ ローレンのコーナー(?)

さて、デパートを出るともう5時になっていた。ここでBarcelonaのシンボル、「ランブラス通り(Las Ramblas)」を歩かないで帰るわけにいかない。この道路というか、有名な散策路は、カタルーニャ広場を開始点に港のすぐそばにある「コロンブスの塔(Monument a Colom)」の広場まで約1200m続いていて、
特徴的なのは道路の中央分離帯にあたる部分(幅20m?はあると思う)がプラタナス並木の遊歩道になっていることだ。そこでは花屋、本屋が並び、至る所で大道芸人のパフォーマンスを取り囲む人の輪ができている。カフェ、レストランも多く、ちょっと中へ入れば旧市街の観光スポットもありそぞろ歩きを楽しむ人たちで一杯だった。港もちょっぴりブラブラしてからコロンブスの塔に近い3号線のドラサナス(Drassanes)駅から地下鉄でホテルに戻る。
部屋でカメラをチェックすると撮ったつもりの港の写真が写っていない。どうもコロンブスの塔あたりでカメラの記録容量が満杯になっていたらしい。残念!

 
カタルーニャ広場を背にしてランブラス通り(Las Ramblas)が始まる辺り。

 ランブラス通り、大道芸を見ながらそぞろ歩きをする人たちでいつも賑わっている。

 ランブラス通りには大道芸人が沢山。 全身に色を塗ってまったく動かない銅像になりきっている。前の皿に小銭を入れると礼の仕種をする。

 ランブラス通り終点、コロンブスの塔(Monument a Colom)。

 コロンブスの塔(背面から)、高さ60m、陰になったが右手は海を指し、左手にはアメリカみやげのパイプを持っているという。塔内のエレベーターで展望台に上がれるとのこと。 


 Barcelona2泊目のホテルで旅の記録メモなど整理中。明朝は帰国、今晩中に荷物をまとめなきゃ。

 


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第9日(5/30火)(Valencia→Barcelona)

今朝は、Valencia ノルド駅8時35分発バルセロナ(Barcelona)行きのEUROMED(日本で言えば在来線の中距離特急といったところ、1997年に”地中海沿岸特急”としてお目見え、近い将来沿岸続きのフランス、イタリアとも結ばれる予定。)に乗らなきゃいけない。毎朝そうだが慌しくバイキングの朝食を済ませ、バスに乗り込む。マドリッドから乗ってきたバスはここValenciaのノルド駅(Estación del Nord)でお別れだ。実質6日間の総走行距離は延べ2000km近いのではないだろうか。安全快適なバスの旅、有難うございました。

さて、Valenciaの町は、昨日夕方に入ってレストランでパエージャの夕食を取り、ホテルに一泊しただけで殆ど街を観ることができなかったが、町の解説を少し。

このあたりも地中海性気候のため温暖で、「コスタ アサール」(Costa Azahar=オレンジの花の海岸)と呼ばれる地中海沿岸部はMadridから一番近いビーチリゾートとして親しまれている。その中心都市がValenciaで人口75万のスペイン第3の都会。その昔は農業と漁業が主な産業であったが、近年は工業都市、港湾都市としてめまぐるしく成長を続けており、歴史的な建物が集まる旧市街と近代的な新市街とが融合する街並みは現在のスペインを象徴する町でもあると言われる。

 Valencia、朝の風景(バスから)

 ノルド駅の正面、重厚なヨーロッパ調の建物。(バスから)

 駅の構内、EUROMEDのホーム手前の発着案内版、この写真を撮った直後、婦人警官風(?)の女性から撮影しないよう注意された。ホームに入る手前でトランクのセキュリティ チェックもあったところをみると厳重なテロ対策を敷いているということらしい。

 この写真もまずいのかもしれないが・・・。EUROMEDが入線してきた。

 列車内ビュッフェのメニュー。朝の定食、ボカディージョ(Bocadillo=スペイン風サンドイッチ)などが見える。

 列車からの沿線風景①

6534937.jpg 朝食客が一段落したビュッフェと係りのセニョリータ。

 列車からの沿線風景②、穏やかな地中海。

定刻にValenciaを出発し、終点Barcelonaのサンツ駅(Estació Sants) には予定どおり11時42分に到着。350kmを3時間ちょっとかかった勘定で特に速いわけではない。ただし、スペインというとラテン系で時間にルーズという思い込みがあるかも知れないが、ことスペイン国鉄(RENFE)に関しては全くそんなことはなく、時間には正確だという。(RENFEの名誉のために!)

ところで、Valenciaで看板を見て、「あれ?スペイン語とは違うなあ」と思ったことがあったが、Barcelonaに来て標識が2段書きになっていて成程、これがカタルーニャ語(Catalán=カタルーニャ地方の言語)かと納得。例えば、駅という単語はスペイン語でEstación(英語のStation)のはずだが、別にEstacióとの表記が並んでいる。また、公園のParque(Park)に対してParcといった具合だ。

カタルーニャ生まれの地元の人はカタルーニャ語を日常語とし、カタルーニャ語の新聞を読んでいるようだが、バイリンガルなので最初の一語を聞いて相手に合わせことなどは苦もないことらしい。したがって、よそ者かどうか簡単に判断できるともいう
。我々が普通にいうスペイン語はカスティージャ語(Castellano=本来カステージャ地方の言語)で全国で使われている公用語だが、カタルーニャ地方にはカタルーニャ語が、バレンシア地方にはバレンシア語(カタルーニャ語と類似)があり、今では公用語になっている。スペインには公用語が5種類(?)あるというし、その中には分離独立問題を抱えることで良く知られているバスク地方のバスク語も含まれている。これらはすべて歴史的・社会的経緯を引きずって今につながっているわけで、地方個々の独立自治の意識が非常に強いことが基本にあるようだ。Barcelonaの場合を調べてみると次のようなものだった。

Barcelonaの町はご多分にもれず、紀元前のフェニキア時代まで遡るが、最も栄えたのは12世紀以降の2~300年間で、カタルーニャ・アラゴン連合公国として地中海の島々や北イタリアの都市を支配下に収め隆盛を極めた。この時代に使われていたのがカタルーニャ語だ。
15世紀後半、カタルーニャはスペイン王国に組み込まれるがその後も頑強にカスティーリャ王国への協力を拒み続け難治の地であったという。
そして、18世紀初頭から始まった「スペイン王位継承戦争」でMadrid政府に反旗を翻したこともあって、戦後、中央政府による国内の統一化・画一化の中でカタルーニャ語の使用が禁止されてしまう。それでも19世紀には一歩先んじて産業革命を成し遂げて経済先進地域となり、カタルーニャ語復権運動が起こった。しかし、1936年に始まったスペイン内戦後のフランコ独裁時代には、スペイン全土でカスティーリャ語のみが公用語とされ、カタルーニャ語の使用は一切禁止された。この時、唯一禁止されなかったのが、FCバルセロナのホームスタジアム”カンプノウ”(Estadi Camp Nou)の内だけだったというのはおもしろい。その後、1975年にフランコが没し、1978年の新憲法成立を受けてようやく現在の自治権を獲得し、カタルーニャ語も復権、現在の繁栄を勝ち取ったという歴史がある。

Barcelonaでは「カタルーニャは カタルーニャであって スペインとは違う」という意識が非常に強く、この辺の事情が理解できれば、何故、サッカーのスペインリーグで「レアル・マドリー」と「バルセロナFC」の対戦(エル クラシコ(El Clásico)という。伝統の一戦というところ)があんなにも対抗意識むき出しになるのかが少しは解かるというものだ。因みにフランコ総統は熱烈なレアル・マドリーフアンだったそうで贔屓チームのために多くの恩恵を与えたという。

さて、近年のBarcelonaは1992年にオリンピック開催地となり、その洗練された優雅と言ってもよいほどの街はよく知られている。現在の人口は150万人強、それほど大きな町ではないが、都市圏としてみると300万は超える。
2km四方もない旧市街を囲むように整然とした碁盤目の新市街が拡がっており、強いて言えば札幌の街に似ているかもしれない。19世紀以降の都市計画によって区画整理されたものだがヨーロッパの町ではめずらしいのではないか。
 

サンツ駅を出て待っていたバスに乗換え、早速市内観光が始まる。工事中の闘牛場、スペイン広場、カタルーニャ美術館などを車窓に見ながらモンジュイックの丘を登る。掘り込み式のオリンピックスタジアムも申し訳程度にそばをとおり中心街に出てきて昼食のレストランへ。この間わずか30分の車窓の旅でした。

 サンツ駅に乗り入れる新幹線(TVE)工事の影響で闘牛場も工事中ということらしい。(バスの車窓から)

 Barcelonaのスペイン広場。(バスの車窓から)

 スペイン広場、ガウディの弟子が創ったという噴水。(バスの車窓から)

 モンジュイックの丘の麓にあるカタルーニャ美術館。、(バスの車窓から)

 モンジュイックの丘に入って木立の間からのカタルーニャ美術館。(バスの車窓から)

 モンジュイックの丘、92年時のオリンピックスタジアムがすぐそば。(バスの車窓から)

 バルセロナの街路風景①

  バルセロナの街路風景②、良く区画整理されている。


 昼食で寄った定食屋風レストラン。メニューはZarzuela(サルスエラ:白身さかなのブイヤベース)だった。

中心街での昼食の後、午後は「ピカソ美術館」、有名なガウディの「聖家族教会(Sagrada Familia)」、同じガウディ造作の「グエル公園(Parc Güell)」を回ることになっている。
ピカソ美術館は港近くの狭い路地の旧市街にあった。全く目立たない古い石造りの建物で館内は撮影禁止だったため写真がない。そのせいか何を見たのか殆ど記憶に残っておらず、ただピカソが幼少時にすでに天才の才を発揮していたことが分かる作品群があったことだけだ。美術館の印象とはそういうものかも知れないが・・・

 バスで移動中に見かけたレンガ造りのバルセロナの凱旋門。

次に向かったのは1882年に建設が始まり、今も続いているという「聖家族教会」。最も高い尖塔は150mあるというが、建造物のそばまで来てしまうと普通のカメラでは被写体はフレームからはみ出してしまう。見上げてばかりで首も痛い。勿論内部は人、人、人でごったがえしていた。
ところで、アントニオ ガウディ(Antoni Gaudí i Cornet 1852-1926)は、1883年からこの教会建設の2代目建築家として引き継ぎ、当時は未だ無名だったが結局亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。彼は設計段階で模型を重視し設計図をあまり描かない手法だったため、現在のサグラダ・ファミリアの建設も残された模型を尊重しながら進められているとか。
 

  お馴染みの聖家族教会「受難の門」だが、間近に来ると被写体が大きすぎてチャチなデジカメでは太刀打ちできない。
 
 「受難の門」上部の彫像。

 「受難の門」上部の彫像詳細。

 内部の造作中の状況、仮足場の規模、高さ、複雑さに圧倒される。   

 内部の造作が出来上がっている部分。

 地下室に展示されている完成予想図の一枚。時代により製作者によりいろいろあるらしい。

 反対側に回って見上げる「生誕の門」

 観光疲れ(?)の皆さん、「生誕の門」前で。

Barcelonaは見所が多いが、このツアーで行くのは次の「グエル公園(Parc Güell)」が最後。後は明日最終日がフリーなのでご自由にとのこと。今日も夕方になって結構暑くなってきたが、公園は観光客で一杯。とにかく観光地はどこへ行っても、曜日に関係なく大変な賑わいだった。年間の外国人入り客が確か7千万という観光立国でもあるスペインのこと、当然といえば当然か。
この公園、もともとはガウディが設計した60軒の分譲住宅地として開発されたが買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人と注文したグエル伯爵だけだったという。伯爵没後に工事は中断、寄付されて市の公園として公開され現在は世界遺産になっている。
独特の曲線と細部の装飾、色彩的にも特徴のあるガウディ作品は一目でそれと識別できる。これも天才の一形態なのだろう。

 またもや公園内で見かけた子供たち、本当にかわいい。

 グエル公園(Parc Güell)。右手は斜面にせり出したように造られている中央広場。Barcelona市街を一望できる。

 ディズニーも参考にしたというガウディ作の住宅風景①

 グエル公園、中央広場。人体を考慮して創られたというタイルのベンチはここにある。

 なぜトカゲなのか?「トカゲの噴水」。バックは「柱の回廊」と呼ばれ元々は市場を想定していたという、この上面はさっきの中央広場。

 ガウディ作の住宅風景②

 ガウディ作の住宅風景③

Barcelonaのホテル(ABBA SANTS)はサンツ駅の近く、Numáncia通りに面した便利なところにあった。6時すぎにホテル入りし一休みの後夕食に出た。ガイドが教えてくれたリージャ(L’illa)ショッピングセンターに行くことにする。サンツ駅を背にして緩い上りのNumáncia通りを行くと15分で到着。吹き抜けのおしゃれなフロアに100以上の専門店、人気ブランドが集まっているほか、スーパー、レストラン街があるという、最近日本でもよく見かけるショッピングモールだ。巻きズシを店前面に並べた怪しげな(?)日本食レストランやウドン専門店もあったが、こちらはオープンカフェ風のBarに入る。イカリング、茹でたクルマエビ、トマトとツナのサラダ、そして白ワインで夕食にする。量が最優先でなくなった高齢者にはこのくらいを二人でシェアすのが丁度いいし味も悪くなかった。払いは確か22~3€。高級レストランでなければ、このくらいの内容と値段で十分一食を済ませることも出来ることが確認できた。


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第8日(5/29月)(Granada→Guadix→Alicante→Valencia)

今朝もホテルからバスまで荷物を引きずることから始まった。 昨夕と同じくホテル前道路工事のため少し離れた大通りまでしかバスが入って来れないのだ。今日は今回のバスツアーの中で移動距離最大の530kmを走ることになっている。いつもより早い8時にはGranadaのホテルを出発し、最終地バレンシア(Valencia)を目指す。
まずはA-92号線を60km東進、約1時間でグアディクス(Guadix)という小さな町に到着した。クエバ(Cueva=洞窟)集落と呼ばれる洞窟住居群があることで有名らしく、街外れの丘の斜面あちこちに一見オブジェのような、白い潜望鏡のような塔が見える。実は換気筒でその下は個人の住宅になっているというわけだ。どういう背景、歴史があってクエバの集落があるのかよくわからない。地形、地質、気候などの条件がそうさせたのか、それとも民族的、文化的な関わりがあってのことなのだろうか。

 グアディクスの町の郊外に拡がるクエバ集落。ニョキニョキと灯台のようにも見える換気筒。

 あるクエバの住居内の一室、壁は漆喰で塗られ、電気、水道、トイレなども完備している。

 マドリッドから乗ってきている大型バス、日本のバスより立派(?)、乗り心地は文句ない。

  遠足に来ているのか、若い先生とカラフルな子供たち。トイレに立ち寄ったドライブインで。

 走行中のバスから変わった教会風建物が見えた、後で地図であたってみるとCúllerという町らしい。

  昼食をしたドライブイン、レストランのほかにショピングセンターも併設している。

朝出てきたアンダルシア州のグラナダ県、そしてムルシア(Murcia)州と内陸を走ってきて再び東沿いの地中海に出てきたところがバレンシア州のアリカンテ(Alicante)の町(人口32万)だ。ここまで350km。
この町は地中海に面する港湾都市で物流拠点として重要な役割を果たしているほか、日本ではあまり知られていないが、
やはり温暖な気候が魅力の保養地、海水浴場としての人気も高いという。確かに写真で見るとおり、海はコスタデルソルより綺麗な感じもするし、リゾート地としての街並みもよく整備されていて洗練されている。

スペインの地中海沿いには「コスタ デル ソル」のように独自の名前が付いた海岸が沢山ある。この辺は「コスタ ブランカ」(Costa Blanca=白い海岸)と呼ばれていて、さらに北に上るとバレンシアの先が「コスタ デル アサアール」「コスタ ドラダ」、バルセロナを越えると「コスタ ブラバ」となり、それぞれ風光明媚な海岸が続いている。

バスはヤシの並木が美しい「スペイン遊歩道(Explanada de España)」と名の付いた海岸道路脇に停まった。時刻は概ね15時半。ここで17時まで散策するという。遊歩道の海側はすぐ広い砂浜になっていて5月末だというのに真夏の景色が広がっていた。

 海沿いを走る幹線道路、右側が海岸、遊歩道もある。

 Paseo de Gomiz散策路をブラブラしながら写真正面のサンタ バルバラ城のある丘に向かう。

 Paseo de Gomiz散策路から見た海岸、5月末の16時頃でも日陰に入りたくなるくらいの天気。

サンタ バルバラ城(Castillo de Santa Barbara)は海岸に迫った岩山(標高は200mもあるだろうか)の上にある16世紀末ごろの城。海岸道路のレベルから岩山に向かって水平なトンネルが掘られていて3~400m歩くとエレベーターがあり、これで一気に丘の上に出られる。
その昔カルタゴ人が築いたのが最初らしいが、地形的要衝だったのだろう。
現在は眼下のAlicanteの街は勿論、前面に広がる地中海、右に隣町のエルチェ(Elche)、左にホテル類が立ち並ぶ
ウエルタス岬(Cabo Huertas)が一望できる展望台として機能している。

 Alicante市街中心部、マリーナの先は商業港だろう。

 左手のウエルタス岬(Cabo Huertas)方面を望む。

 丘の上にあるサンタバルバラ城址の一角。

 眼下にバスを降りて今歩いてきた海岸道路や海水浴場が見える。紺碧の地中海が美しい。

 ウエルタス岬方向に向かう海岸道路を歩道橋から。

  夕方も5時近い海水浴場風景①

 夕方も5時近い海水浴場風景②

予定どおり5時にはバスに戻り、今度は一路バレンシア(Valencia)に向かう。E-15号線を180km北上、約2時間の行程だ。時折右側に海を見るも山がちの景色が続く。オレンジ畑が多い中、別荘風の建物が目に付く。Alicanteから1時間も走った頃から急に薄暗くなり、何となく雲行きが怪しくなってきた。まだ18時を回った頃なので日没には早い。ついにValenciaの手前あたりで空は真っ黒になり、土砂降りの雨になった、今回のツアーでは初めてだ。この雨と関係あるのか分からないが、道路がめずらしく渋滞しノロノロ運転になった。でも市内に入り、近代的な街並みの新市街を通る頃には雨はあがり、結局、小1時間遅れで20時前にとあるレストランに到着。今晩の夕食はパエージャ(Paella)と聞いていたが、ホテルに入る前に食べさせるとは知らなかった。因みに、Paellaの語尾「-lla」を日本語読みにすると、「リャ」、「ヤ」、「ジャ」の三とおりあるようだが、このブログでは発音が通じやすいと言われる「ジャ」を使っている。Sevillaもセビージャ、Marbellaもマルベージャと書いている。

ところで、パエージャと言えば、バレンシア。日本でバレンシアと言えばオレンジだが、パエージャはバレンシアが本場だ。スペインきっての米どころであることとも関係しているようだ。本来は野外で炭火などで大鍋に作り大人数で食べるのが本当らしい。ただし、あくまでも”おかず”の位置づけで、海の幸、山の幸のごった煮といったところで日本で言えばさながら肉じゃがか。

さて、レストランで席に着いてしばらくすると大きなパエージャ鍋が運ばれてきた。
この鍋一つから約25人分に取り分けられたが、さすがに盛りは物足りない。本場のせいか、腹が空いていたせいか、とにかく美味かったのでなおそう感じたのかもしれない。結局ホテル(EXPO HOTEL VALENCIA)に入って落ち着いたのは10時、長い一日だった。明日はツアー最後の町、バルセロナ(Barcelona)に向かう。

 AlicanteとValenciaの中間あたりの景色、オレンジ畑か(?)(バスの車窓から)

 Valencia近くになって空は真っ暗になりスコールのような雨になる。KYOCERAの看板が見える。(バスの車窓から)

 Valencia新市街の斬新なデザインの住宅(?)ビル。

 新市街のロータリーで見た岡本太郎ばりのオブジェ。

 大鍋のパエージャ、約25人分、美味しかったが量は少な目。

 

 

 

 

 

 


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第7日(5/28日)(MarbellaーMijasーGranada)

今日の天気はどうだろう。今日はツアーに戻り午前中はミハス(Mijas)、午後はグラナダ(Granada)でアルハンブラ宮殿を訪れることになっている。
朝食前のテレビでは晴れの予報。5月も下旬になると天気も安定しまさしく旅行日和が続いている。

 朝7時すぎのTVの天気予報、お天気お姉さんの蔭になったが、地中海沿いは悪くなさそう。

 Marbellaのホテル、MH Marbellaの朝、ベランダ越しに見える空は薄曇。

 ホテルを出て大通りに入った途端に事故現場が、日曜日の静かな朝だというのに(バス車窓から)

 2泊したホテル、MH Marbella、バックは後背地の山々。

バスはMarbellaからすぐ高速に入り、Fuengirola・Málaga方面に向かった。昨日訪れたFuengirolaまでノンストップで来れば30分もかからない。ここで海岸線と平行に走ってきた高速を出て海を背にして進む。この辺りは山が海に近くすぐ登りになる。その斜面の中腹に白い家並みが見えてきた。前にも触れたが、「Costa del Sol」は地中海を前面に、後背地は標高500~1000mほどの山々が連なり、アンダルシア特有の白い家からなる村々がひっそりと点在している。海岸沿いの街からバスで30分、小1時間も入れば素朴な「白い村」があり、村の伝統工芸や山の郷土料理を楽しむことができるとガイドブックにはある。今向かっているミハス(Mijas)の町も、「白い村」の名で「Costa del Sol」を代表する風景としてよく本、雑誌などのカットに使われるのでご存知の方も多いはず。

最後の急坂を登り9時半すぎにはMijasの駐車場に到着、Marbellaから40分、Fuengirolaからなら正味20分といったところだ。
「今日は」というか、「今日も」というべきか見事な快晴になり、青い空、白い家、その白壁を飾る花々のコントラストが絵葉書のように美しい。
日曜日の朝っぱらからこの細い路地からなる坂の町を観光客がウロウロするのは申し訳ない気もするが、観光で食べている町でもあるのでお店も屋台もボチボチ営業が始まったところ。住宅街も石畳の狭い道路に面した玄関や壁を素焼きの鉢に入れた花々や陶器の絵皿などでバランスよく飾っている。一体どんな人たちが住んでいるのだろうか、のぞいてみたくなる。

 バスを降りて中心部に向う階段通路、斜面に建てられた白い建物の間を登って行く。

 典型的な「白い村」Mijasの風景。

 見かけた個人住宅の入口、本当にきれいにしている。

 お土産屋さんの飾りも色とりどり。

 MijasのT-シャツ屋さん、日本人の経営だった。

 名物らしい観光ロバタクシー

  昨日ブラブラしたFuengirolaの街が眼下に拡がる、その先は地中海。(Mijasの展望台から)

 登ってきたバスの停留所がある広場、街は左上方に拡がっている。

11
時すぎMijasを出発して再び高速に戻る。バスはベナルマデナ(Benalmádena)、トレモリーノス(Torremolinos)などのリゾートの町を左右に見ながら、マラガ空港を通り過ぎるとそろそろMálagaの市街だ。
道路は市街の山側を遠巻きにしながら、時折小山の起伏の蔭から市街やMálagaの港を見せる。現在、60万人近い人口を擁するコスタ・デル・ソルの中心都市だが、遡れば、フェニキア、ローマ、イスラムの各時代を通じ、さまざまな民族や文化が行き来したため歴史的・文化的遺産が数多く残されているとのこと。残念ながら今回はバスで素通りだが、また来ることがあればゆっくり観てみたい街の一つだ。これで「Costa del Sol」とはお別れである。

さて、バスは内陸部に入り、A-45号線→A-359号線→A-92号線を走ってグラナダ(Granada)に向かう。Mijas11時すぎに出て170kmを約2時間半で走破、2時前にはGranada市街に入った。Granada(人口30万弱)はスペインで最も美しい都市の一つといわれる。その中でも、世界遺産になっ
ているアルハンブラ宮殿はGranadaのシンボルだ。観光客専用風(?)レストランでガスパチョ(Gazpacho:冷たい野菜スープ)の付いた昼食をすませ、いよいよアルハンブラ宮殿(Palacio de la Alhambra)がある丘に向かう。

この宮殿は、イベリア半島最後のイスラム教徒の砦となったことで知られており、何とはなしに哀愁を感じさせる。ふと大昔、深夜放送などで流れていたギターのトレモロが美しい曲、「アルハンブラの想い出」(F・タルレガ作曲)を思い出す。
権勢を誇ったコルドバ、セビージャのイスラム勢力も既に陥落し、最後に残っていたグラナダもカトリック勢力に抗し切れず、ついに1492年、無血開城する。これをもって所謂「レコンキスタ」(Reconquista:カトリック教徒側がいう国土回復運動)が終わり、歴史は新しい頁を開くことになる。


  糸杉の並木道を通ってナスル朝の離宮、「ヘネラリフェ」(Generalife)に向かう。アルハンブラ宮殿に隣接している。

 「ヘネラリフェ離宮」の中庭①

 「ヘネラリフェ離宮」の中庭②

 「ヘネラリフェ離宮」の中庭③、細長い池を囲んで花々が咲き乱れ、噴水の水しぶきが涼しげ。

 中庭の池に水を給する水道橋。水源はシエラ・ネバダ山脈(Granadaの東南30km付近にある山脈、最高峰は3,481mもある)の雪解け水という。

 スペイン国王カルロスⅤが1526年になって建設させたルネッサンス様式の宮殿。

 「ナサル朝宮殿」の入り口。

 「メスアール宮」内部、壁上部のアラブ紋様

 「メスアール宮」の外壁、繊細なイスラム様式の壁面が美しい。

 「アラヤネスの中庭」(Patio de los Arrayanes)、前面の水面にコマレス塔が逆さ富士状に映る。

 「二姉妹の間」(Sala de las Hermanas)、精密な天井の鍾乳石飾りが有名。

 「ライオンの中庭」(Patio de los Leones)、王族のプライベート空間だったとのこと。

 「ライオンの中庭」を反対側から、真ん中のライオンに背負われた部分は噴水

 アルハンブラ宮殿側から「アルバイシン地区」を望む。Granada最古の町並みが残る地区、アラブ人が住みグラナダ陥落の時は最後の抵抗の砦となったという。

今日が日曜日のせいかどうかは分からないが、大変な観光客であふれ返っていた。ツアーだからガイドがいて団体の強みで入場できたが、個人で来たら長い行列の後ろに付かねばならず、いつ入れるかも見当がつかないだろう。最も人気のある「ナスル朝宮殿」は、入場制限がある一方で、チケットに書いてある時間内に入場しないと無効になるとガイドブックにある。こういうところはツアーのメリットだろう。

5時すぎにアルハンブラ宮殿を発ち、途中土産屋に寄り道して今晩の宿(ABEN-HUMEYA Hotel)に向かう。この街でも
途中の大通りは地下鉄工事が行われていた。スペインの地方都市では地下鉄建設がブームになっているのだろうか。
地下鉄工事の影響かどうか知らないが、あまり大きくないホテルの前の道路も掘り返されていてバスが近づけない。結局、一人ひとり足場の悪い石畳の歩道をトランクを引きずってホテルに向かう破目になった。このホテル、団体客専用のようでちょうどドイツ人(?)の一団と一緒になり、ロビーは大混雑、部屋も暗くてイマイチ、あまり良い印象はない。

 Granada市内の大通り、この街も地下鉄工事中。

夜に予定されていた本格的フラメンコのオプショナルツアーには参加しなかったので、夕食は外へ。少し歩くと大通りに出たが適当な店を見つけられず、戻ってホテル向かいのイタリアン「Mamma Mía」に入る。あまり食欲もなくサラダ、スパゲッティ(パンは付いている)を取り二人でシェアし、ハウスワイン、コーヒーで23€程度、この位が中級レストランの標準的な相場か。日曜日の夜で空いており接客も良かった。

 



 


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第6日(5/27土)(Marbella-Fuengirola-Marbella)

今日はツアー観光の予定がないフリーの日だ。実はマルベージャ(Marbella)で自由な一日があることがこのツアーに参加した理由の一つでもあった。寄ってみたい町があったからだ。
以前から、リタイアしたら昔中南米の国で経験した生活を思い出してもう一度スペイン語環境で”のんびりした田舎生活”をしてみたいと思っていた。
検討を始めた当初、比較的治安状況も良く多分コストも安いメキシコも候補としてネット上でかなり調べてみたが、如何せん情報量が少なく断念。必然的にスペイン本国に絞られたがスペインのどこが良いのか、スペイン関連のホームページ・旅行ガイドブック、
体験者の方のブログ、政府観光局の資料などを参考に検討してみると、日本でも知られている地中海沿いのアンダルシア(Andalucía)自治州、コスタデルソル(Costa del Sol)あたりが良さそうということになり、さらに町の規模、生活のしやすさ、治安などを調べてみて、マラガ(Málaga)に近いフエンヒローラ(Fuengirola)という町に辿りつき、今回実地に下見してみることにしたわけだ。

 Costa del Solの主な町の位置図、この辺ではMálagaが最も大きく、マラガ県の県庁所在地で人口約56万。
 
ところで、スペイン(とポルトガル)があるイベリア半島は、ヨーロッパ大陸の西南端に位置し概ね四角い形をしている。そして、北はカンタブリア海(大西洋でもあるが)に、西はポルトガルでまともに大西洋に、南、東の海は地中海に面している。この南面の中央部にMálagaの町があり、両側東西300kmの海岸沿いが「Costa del Sol」(太陽の海岸)と呼ばれている。
この辺りはその美しい海岸線と背後に控える山々の対照的な景色が見事で、その山並みが北風や雨をさえぎるため年間325日が晴天ということで名前の由来はここから来ているのだろう。近年開発が進みすぎた嫌いもあるようだが、美しい自然とともに充実した観光インフラで世界屈指のリゾート地の一つとして有名だ。

以下に、Costa del Solを紹介するホームページからの抜粋を引用させてもらう。
「・1960年代後半、コスタ・デル・ソルの観光開発は、マラガ市の西12Kmほどに位置する漁村、トレモリーノス(Torremolinos)から始まりました。それまで、細々と漁で生計を立てていた村は、次々に建てられた大きなホテルや、ディスコ、レストラン、カフェテリア、お土産物屋などによりがらりとその表情を変えました。コスタ・デル・ソルの人々に共通する愛情深く、人なつっこい、オープンな性格も、産業基盤の転換に大貢献し、ヨーロッパ随一のリゾート地として70年代のはじめには、世界的にすっかり有名になりました。

・コスタ・デル・ソルは、開発以来30年間、夏のビーチだけではなく、冬場の温暖な気候にも注目した、英国、北欧、ドイツなどからの移住者、長期滞在者を数多く受け入れてきました。92年のEC内の居住制限撤廃によりこの動向はさらに加速され、南米、北アフリカからの移住者も混ざり合い、コスタ全体にコスモポリタンな雰囲気を作り出しています。

・ECの資金援助により整備された自動車専用道が海岸沿いを東西に貫通しているので、海沿いはもちろん、アンダルシア各地内陸へのアクセスも非常に恵まれており、そのおかげで長距離バス路線は大変充実しています。また、レンタカーを使えば、行動半径はぐんと広がります。
海岸部の中でも特に、フエンヒローラ~ベナルマデナ~トレモリーノス~マラガ間は、スペイン国営鉄道(RENFE)C1近郊線でも結ばれており、便利な地域といえるでしょう。マラガレンフェ駅から、アンダルシア各地はもとより、マドリッド、バレンシア、バルセローナ方面へ直通の長距離列車もあります。
マラガ国際空港は海岸部のほぼ中央に位置し、自動車専用道路、鉄道近郊線がアクセスしています。ヨーロッパの主要都市からは、定期便が乗り入れ、ヨーロッパ各地へのアクセスにも恵まれています。

・もともと漁が生活の中心であったこの地域の食生活は、魚、豊富な野菜、果物、を中心に据えた、健康食として世界的にも注目を集めている「地中海式ダイエット」です。安くて高品質のオリーブオイル、にんにく、レモンが、調味料の基本となっています。日本人の好みにも合いやすい味といえるでしょう。
さらに、外国人居住者が持ち込んだ、各国の料理を提供するレストランも数限りなくあり、グルメライフを満喫することが出来ます。 」

さて、今日は自由行動日ということで遅めの朝食の後、Marbellaの山側にあるバスターミナルにタクシーで向かった。天気は曇り勝ちでも雨の心配はなさそうだ。ただし海沿いなので若干湿気を感じるが・・・。Marbellaの交通は、鉄道はきていないのでもっぱらバス頼みだが、海岸沿いの幹線高速道路(AP-7)が整備されていて車による移動は容易のようだ。しかも幹線高速道路といっても日本と違ってフリーなのが素晴らしい。因みに、Fuengirolaまでは約30km、料金2.51€(400円弱)、各停路線バスで、時折旧道に入り込みながら1時間弱はかかった。料金自体は高くないが、バスの車両などにはあまり投資がなされていない様子。

 海岸沿いのバス停で。路線バスのためホテルや部落のある海岸沿いの旧道も巡っていく。

Fuengirolaの町は上の位置図及び紹介にあるとおり、西のMálagaと今回宿泊している東のMarbellaの中間にある。バスを降りた終点のバスターミナルは国鉄のFuengirolaの駅のすぐそばでバスにせよ電車にせよ足は便利のようだ。この町をロングステイの候補地にあげたのは、まずこの足の良さ、さらに人口5万人程度で街がコンパクトなため生活に必要な市場、銀行などが中心部にまとまっている、昔から英国、北欧等からのリタイア組が多い、即ち、治安に問題がないなどを重視してのこと。
ちょうど土曜日の昼食時にかかり、季節外れのリゾートの街は思ったほど賑やかではない。駅前のカフェテラスで一休みの後、まず観光案内所(市営、どこの町でも必ずある、地図やホテルリスト、言葉が出来ればさらに有益な情報が得られるはず)に寄ってみた。適当なアパートメントホテルを探すための情報をもらおうと係の男性に尋ねると、「レコメンドはしないがこれで調べたら」といった感じ(?)で、あらかじめ用意のワンセットになった地図・パンフ類を渡されて終わり。もう少し言葉が出来れば強引にでもいろいろ聞けたのに残念。それでも「ネットカフェ」がないか聞いたらすぐ地図にマークしてくれた。

 Fuengirolaの街、まずは観光案内所に向かう

 国鉄Fuengirola駅周辺

 国鉄Fuengirola駅は地下駅になっていた。階段を降り右に入るとすぐ切符売場が。Málaga行き電車が6時すぎから11時頃まで30分おきに出ている。所要時間49分、平日1.8€。その途中に空港駅があり31分で行ける。

 国鉄Fuengirola駅のすぐ向かいにある「Merca Centro」というショッピンセンター。この中の電器屋で丸ピン用プラグを見つけた。

 観光案内所前で見かけた市内観光遊覧列車バス(?)

今回現地で確かめたかった一つにインターネット事情がある。
古いノートパソコンを持ってきていたが、毎晩変わるホテルではインターネット接続は難しいと思っていたので今回は海外ローミングの手配もしてこなかった。
でも、ネットカフェへ行けばYahooMailの着信を確かめ、日本へメールも打てるはずだと思っていた。観光案内所で教えてもらったネットカフェはすぐわかった。店は12畳ぐらいの部屋に6~7台のデスクトップPCがならんでおり、ちょうど客は誰もいなかった。カウンターには親父が一人、どうも現地の人間ではないなと思ったら案の定、英語で話しかけてきた。拙いスペイン語と英語でとにかく一台借り画面を見ると当然とは言え英語である。日本人だから英語のPCをあてがったのだろうがYahooJapanを開いても日本語表示にならず文字化けして埒が明かない。日本語表示にならないか親父に聞いてみると日本人は来たことがないのでとブツブツ言いながらもなにやらCDを持ってきて調整してくれた。きっと日本語ソフトをインストールしてくれたのだろう、画面が日本語に変わって感激、自宅に届いていたメールを確認できた。でも書き込みは何故か日本語で出来ずローマ字でメールを書くことになったが、問題なく日本に届いたのは言うまでもない。30~40分の借用で2.5€。次に来る時は自前PCのネット接続方法をよく調べておこう。

 「Oasis」という名のネットカフェ

 文字化けしているネットカフェの画面 

ネットカフェを出て海岸方向に向かうとすぐに海岸の遊歩道(Paseo Marítimo Rey de España)に出た。一般に海岸沿いのリゾートの町は大概立派な遊歩道があり町を訪れた観光客をゆったりさせてくれるが、この町も海岸線に沿って5kmを超える見事な遊歩道とマリンレジャー用の施設が整備されている。
この遊歩道沿いにはホテルやコンドミニアム風の建物が並び、レストランが軒を連ねている。
  Fuengirolaのレイ・デ・エスパーニャ海岸遊歩道

 海岸遊歩道、反対方向を望む

 Fuengirola、海岸遊歩道から見た港方向

 Fuengirola、海岸遊歩道沿いのレストラン

 2~3品の小皿料理とビールとカフェオレの昼食

軽い昼食の後近くをブラブラし、街角のATMで改めて日本の銀行カードを差し込んでユーロキャッシュの引き出しを試してみた。今回も周りが気になって落ち着かない。
時間はまだあったのだが、町の雰囲気はおおよそ分かったし、Marbellaで仲間との夕食の約束もあったので早めにバスターミナルから帰りのバスに飛び乗った。
5時前に
Marbella市内に戻る。まだ日は高いし、この時間帯が一番暑い気がする。こちらの夕食が早くて9時ごろから、10時、11時が普通というのも頷ける。
あまり早くレストランに行くと開いていないことがあるが、8時すぎに入るとゆっくり注文できるので日本人にはそれもよいかも知れない。

夜、ホテルで今日手に入れた丸ピン用プラグを試してみた。状況は以下に。

 Marbella のホテルの部屋で。右側が電源。Fuengirolaで買ってきたプラグ(何故かカップ型になっている)
を介してパソコンのコードを差し込んでいる。しかしプラグの縁が邪魔して二股が入らず閉口した。
左側に電話線用モジュラージャック(日本と同じ形状)が二つあり、空いている方でインターネット接続が可能だ

 

 


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第5日(5/26金)(Sevilla→Ronda→Marbella)

今日もまずまずの天気、暑くなりそうだ。午前中はセビージャ(Sevilla)の市内観光の予定。ここでもSevilla在住の日本人ガイドが手馴れた案内をしてくれる。
さて、この町はスペインの古都として有名だが、内陸にありながらグアダルキビル川(Rio Guadalquivir、セビージャの町から地中海の河口まで100km弱)に面した河港になっていて、8世紀初頭から500年間に亘るイスラム時代、それに続くカステージャ王国時代以降も重要な交易の拠点としてその地位を保ちつつ発展してきた。            
コロンブスが新大陸を発見した後、一攫千金をねらって新大陸に向かう多くの一発屋は、この港から川を下り大西洋に繰り出して行ったものも多い。 彼らの一部はペルーのインカ帝国やメキシコのアステカ王国を征服(新大陸側から言えば略奪だが)し、収奪した金銀財宝をこの川を遡ってSevillaに運び込んだという。現在でもイベリア半島では最も重要な港の一つとのことだが一見した限りそれほど大きな川でもないし、大きな船が停泊しているようにも見えず、かっての面影は感じない。

ここで日本とセビージャとの意外な関係を一つ。
セビージャがその繁栄を謳歌していた近世初期の1613年(慶長18年)、伊達政宗の遣使、支倉常長を団長とする使節団がメキシコ経由でローマへ行く途中、セビージャを訪問し歓待を受けている。
一行は大西洋から地中海に入りグアダルキビル川を船で遡上してセビージャに向かうのだが旅装を整えるため15kmほど手前の小さな村に暫し留まっている。
近年になって明らかになったらしいが、この小さな村、コリア デル リオ ( Coria del Río)に"ハポン"("Japón"はスペイン語で"日本"の意)姓を名乗る一族が数百名いるという。そして本人たちは勿論地元の郷土史家も支倉一行の末裔であると信じているらしい。
専門家の説明では一行26名中8名が現地に残ったとか、この地域では稲作をする際、日本と同じように苗床をつくる風習があるとか、ハポン姓の赤ちゃんには蒙古班があるとか、
状況証拠はいろいろあるようだ。

前置きが長くなったが、市内観光はまず「スペイン広場}から。 どっしりした横長の湾曲した立派な建物と大きな前庭からなっているが、建設は以外に新しく1929年に開催されたイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られたという。
 朝のスペイン広場、仕事に向かう人たち?

 スペイン広場、騎馬警官の見回り 

 セビージャの中心街、地下鉄工事(右側車道部)でグチャグチャ

市内は地下鉄工事の真っ最中、どこもかしこも掘り返されていてバスは思うように走れない様子、駐車場から徒歩でカテドラル・ヒラルダの塔(Catedral y la Giralda)に向かう。
セビージャのカテドラルはヨーロッパ3大寺院のひとつ(他の二つはローマのサン・
ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院)でモスクの跡地に1世紀の建設期間を経て1519年に完成している。カテドラルに隣接したヒラルダの塔もイスラム寺院の名残で、100m近い高さがあるためどこからでもその姿を見ることができ街のシンボルとなっている。土台部分はローマ遺跡から運ばれた石で造られている由。塔の中の螺旋状階段を70m登れば展望台に出られるという。直登70mと聞いてちょっとビビったが折角の機会、暗い螺旋状のスロープを登ってみた。階段ではなかったので心配したほどのことはなかった。展望台に出るとあまり高い建物がない白いセビージャの街の広がりが飛び込んでくる。ふと後ろを振り向くと大きな鐘が下がっていた、キリスト教徒の時代になってからルネッサンス様式の鐘楼が付け加えられたとのこと。

 遠めにも美しいヒラルダの塔とカテドラル

 ヒラルダの塔の眼下に拡がるセビージャの街

 カテドラルの鐘楼としての役割も担うヒラルダの塔の鐘

 マエストランサ闘牛場(Plaza de Toros de la Maestranza)を外から

 グアダルキビル川左岸沿いの遊歩道、正面に「黄金の塔」(Torre de Oro)が見える。


 街角で見かけた果物屋、綺麗に並べている。

昼食は市内の中華レストラン。海外で食べる中華は恐らく日本でのそれより旨いことはないのだろうが、旅行中の舌には懐かしい味というシチュエーションが多く、大いに得をしていると思うがどうだろうか。とにもかくにも今回もおいしく頂きました。

午後はセビージャを後にしてロンダ(Ronda)経由、今晩の宿泊地である地中海沿い高級リゾートの町マルベージャ(Marbella)に向かう。
ロンダまでは約160km、2時間の旅。
セビージャの高速を出て、ゆるやかな丘陵地に拡がるひまわり畑(この辺りのひまわりは今がシーズンとのこと)を見ながらひた走る。

 丘に拡がるひまわり畑(走っているバスから)

道路は幹線ではないが一級国道(A473号線、片側一車線部分が殆どだったが)でよく整備されており、交通量も多くないので走りはスムーズ、道は次第に山がちに、1000mを超える岩山の間を走って予定通り16時すぎRondaに到着。
日本人の絵の趣味がある人たちには特に人気が高い町と聞いていたが、急崖、、深い谷に架かる石造りの橋、起伏に富んだ斜面の白い家並みなど、確かに絵になりそうな風情のある風景がいくらでもある。
一番の見所は新市街と旧市街をつなぐヌエボ橋(Puente Nuevo)だろう。橋の下はゆうに100mを超える絶壁となっていてタホ谷の向こうにははるか彼方まで平原が広がり、上から見ても、下から見上げてもまさしく絵になりそうだ。
 断崖絶壁を見下ろすと眼下に平原が広がる。写真人物左側にRondaの街がある。
 左にヌエボ橋、右に新市街、谷はまだまだ深く続いている。
 ヌエボ橋下の深い谷、この角度でも全体を撮れなかった

標高720mのRondaの街を出てA376号線は一度峠に向かって登った後、地中海沿岸のMarbellaに向かって落差1000mを一気に九十九折を駆け下りる。
視界が良ければ、対岸のアフリカ大陸も見られるとのことだが今日は残念ながらそこまで空気は澄んでいない。でも地中海が見え出すと両側の斜面に別荘風の白壁と茶色の屋根瓦に特徴のある所謂スペイン風建物が目につきだした。開発ブームなのだろう、建設中の住宅、コンドミニアムも多く、緑が鮮やかなゴルフ場も点在している。
バスは19時前、ホテルNH MARBELLAに着く。4つ星とのことでまずまず。
夕食はホテル内レストランで早めの食事となったが、ここで仲間の中にMadridのホテルに忘れてきたマルピン用プラグ(Cタイプ)を持ってきている方を知り、一晩借用させてもらう。お陰でパソコンへの写真の取り込み、カメラの充電が出来、取りあえず一安心、明日のフリー日に改めて街で探してみることにする。

 急な下りが続いてそろそろMarbella、地中海が見えてきた。(バスから)


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第4日(5/25木)(Córdoba→Carmona→Sevilla)

正直なところ、この旅に出るまではCórdobaについて殆ど知らず、せいぜいイスラム時代に大変栄えた町?・・・ぐらいの知識だった。しかし、今回現地を訪れ特にMezquita(メスキータ・・・イスラム時代に建立された巨大モスク、後に造られたキリスト教の礼拝堂などが同居している)を見聞し、帰ってから改めて案内書や関係する情報などで背景を知るにつけ、この街は如何に今日のヨーロッパ文化に影響を与え、現代世界の最大の問題であるイスラム社会との関わりにも深く関連していたか考えさせられる。

今日も天気はまずまず、午前中にユダヤ人街、それに隣接するメスキータを訪れる。
ユダヤ人は1492年にカトリック両王による追放令が出るまで当時のイスラム社会に得意の経済面で深く根を下ろしていた。その住居地域がユダヤ人街で白壁の家並みの出窓に花の小鉢が飾られた小道が迷路の様に続いている。

  ユダヤ人街、パティオ(中庭)のようなマイモニデス広場、ユダヤ人の医学者・哲学者マイモニデスの像がある

        
ユダヤ人街、「花の小道」、振り向けばメスキータの塔が見える

 ユダヤ人街、ここにも大勢の観光客が

さて、ユダヤ人街に隣接した大モスク、メスキータに入る。8世紀初頭北アフリカから攻め上がったイスラム勢力は一気にスペイン全土(当時は西ゴート王国)を席捲、それから数十年たった785年、アブデ・ラーマン1世が西ゴート時代の教会跡にこのイスラム寺院を建設しその後200年にわたり増築が続いたという。しかし歴史は巡りキリスト教徒によるレコンキスタ(再征服)がなった13世紀以降、モスク内部にキリスト教の礼拝堂、カテドラルが建立され、イスラム教のモスクの中にキリスト教会が同居するというめずらしい形態となった。

    メスキータの外壁

 メスキータの入口、「免罪の門」

 メスキータ敷地内、「オレンジの中庭」を望む

 モスク内部、赤レンガと白い石を組み合わせたアーチと大理石の柱が林立している

 同じモスク内部の一角にあるキリスト教の礼拝堂、パイプオルガンもあった。

Còrdobaに関して先日興味ある記事(10/23日経朝刊)が載っていたので以下に紹介させてもらう。

「千年前、ある歴史家の説によれば、後ウマイヤ朝の首都だったコルドバは、ビザンチン帝国の首都コンスタンチノーブルや北宋の首都の開封を抑え、世界最大の都市だった。ロンドンやパリの人口が2、3万のころに、50万人近い人口を抱え、千以上のモスク、600の公衆浴場があった。大図書館も備わり、ギリシャ古典の研究も盛んだった。当時「留学」といえばキリスト教圏の人がイスラム圏で学ぶことだった。アルコール、アルカリ、アルジェブラなどアラビア語起源の学術用語が示すように、西欧ルネッサンスの種子は、中世イスラム世界ではぐくまれていた。・・・」

一方、1990年代後半、米の政治学者、S. ハンチントン教授は「冷戦後の世界では文明間のイデオロギー衝突が先鋭化する・・・」と予見していたが、近年まさしくイスラムとキリスト両文明間でそのとおりになっている。                一向に出口を見出せない現在、コルドバのメスキータを見ると昔の人たちの方が寛容、共存を重視するバランス感覚が上を行っていたということだろうか。歴史から学ぶべきことも沢山ありそうだ。

さて、メスキータを出てすぐそばの観光客用レストランで慌しい昼食、この辺りの観光客相手のお土産屋などには小柄、彫りが深く、真っ黒な髪と瞳に特徴があるイスラム系を想わせる人たちが結構目立つ。この地域の歴史を考えれば当然か。

Córdobaを後にしてSevilla(セビージャまたはセビリア)に向かう。CòrdobaーSevilla間は約150km、幹線高速N-Ⅳ号線で2時間ちょっと、途中ひまわり畑を楽しみながら1時間半ほど走ると丘の上にCarmona(カルモナ)の白い町が見えてくる。この町は地形を生かした城塞都市で最頂部には元々アラブ時代の城塞があった。これをスペイン時代に当時の王の宮殿に改装し、現在はパラドール(歴史的建造物を活用した国営ホテル、一般に高級。)としてホテルになっている。旧市街は小じんまりしているので散策にピッタリだ。

  昔の城塞の入口がパラドール(国営ホテル)の入口になっている

 ホテルのテラスから望む肥沃なアンダルシア平原

 ホテル(城塞)の中庭が雰囲気のあるカフェテリアに。

 旧市街の中心、サン・フェルナンド広場(Plaza de San Fernando)

Carmonaから再び高速に入り小1時間、そろそろSevillaだ。
地形・地勢的条件からスペインのフライパンと言われるSevilla、昼間はそれほど思わなかったが、夕方になってもこの街はとにかく暑い。Sevillaはスペイン第4の都会で人口約70万、古都でもある。1992年に万博が開催され一躍有名になったが、これを契機に都市基盤が整備されたようだ。
市内に入り今晩のホテル(BELLAVISTA)に向かう高速道路はこれまで同様すばらしい。
このホテルは今振り返ると施設もサービスも最悪のホテルだったが、一休み後、タパス料理(小皿料理)付きフラメンコショーに出かける。ブエノスアイレスのタンゴショー、リオのサンバショーなどと同じ趣向。ほんのさわりだけなのだろうが観光客には手っ取り早い。店を出ると21時半。だが日没はもう少し先のようでまだ明るい。


 Sevillaの環状高速道路(?)、バス車窓から

 Sevilla近郊の建設中住宅団地、この町も開発ラッシュの真っ只中。バス車窓から

 Sevilla、ジャカランダが満開の旧市街の大通り、バス車窓から

 Sevilla、フラメンコショーの一場面

 

 

 


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第3日 (5/24水)(Madrid→Toledo→Consuegra→Córdoba)

5~6時間は寝れたか、それでも5時には起きてしまう。9時、ホテル(CLARIDGE HOTEL MADRID)を一歩出るとすごく寒い。今朝は冷え込んだのか空気が冷たく10℃ちょっとしかないかも、取あえず半袖ではつらそう。でも気温はすぐに上がるはずだ。       
バスはMadrid市内をあっという間に出てToledoに向かう高速道路(N-401)に入る。幹線の高速は片側3車線以上を確保しているから渋滞は見られず、平均120kmは出している。快走するバスからは建設工事中のクレーンがひっきりなしに目に入る。近年、Madridの地価、住宅価格、家賃は急激に上昇しており、平均的な市民が買える住宅はどんどん遠く狭くなっているとのこと。このため、郊外に向かって住宅開発ラッシュが進行し日本のバブル時の様になっているらしい。この現象はこの後巡る地方都市、リゾート地でも似たようなものだった。ただ、日本と違ってまず道路を通してから開発が入るのでゆったりした良好な居住環境を確保しやすいのはうらやましい。どこに違いがあるのだろうか。
天気は絶好、見事な青空になった。

   Córdoba方面に向かう高速(バスから)

 タホ川(Rio Tajo)を挟んだお馴染みのアングルから望むトレド(Toledo)の町

古都トレドの遠景といつもセットになっているタホ川が見えてきたのは9時40分頃か、意外に近い。バスは旧市街には入れないため細い迷路のような石畳の路地を歩いて通り抜け大聖堂へ、澄み切った青空に聳え立つ大聖堂、思わず荘厳な気持ちにさせられる聖堂内部。あまり期待していなかったのだが、やはりスペイン・ゴシック様式の大聖堂の中でもっとも美しいと言われるとおり大したものだ。それにしてもハイシーズンでもないのにどこもすごい人、人、修学旅行風、見学旅行風の学生・子供の集団や、ヨーロッパ各国からのツアー客などが大勢のようだ。

 トレド大聖堂を遠望

 大聖堂の前で、大勢の観光客

昼飯をホテル地下のレストランで摂った後、Toledoを出て風車の町Consuegula(コンスエグラ)へ向かう。まさしく”スペインブルー”の真っ青な空、朝方の寒さはどこへやら、予想したとおり30℃は超える暑さになった。風車の町はちょうどけだるい午後の時間帯で、皆siesta中なのか人の気配がまったく感じられない。高台に並ぶ風車は今でも回ることはあるのだろうか、もっと大きいものと勝手に想像していたが思いの外小さい。この辺りの風情がいわゆる”焼けつくような赤土のMeseta”ということなのだろう、Don Quijoteの世界を想った。

 Consueglaの高台にある風車、背景は赤い台地、Meseta.

風車を後にしてトイレ休憩で停まった西部劇の街のようなPuerto Lapice(あたりと思う?)にATMがあったのでユーロキャッシュを引き出すべく初めて日本の銀行カードを差し込みトライしてみた。この旅行では当初からT/Cをキャッシュにと思っていたが銀行窓口が開いている時間帯には行けず、フリーの日の土曜日は銀行が休み、ということで使い勝手が悪くキャッシュ不足になっていた。
なんの囲いもない壁にはめ込まれたATMは周りが気になってちょっと気持悪いが、画面の指示(今回は英語を選択)に従って手順を踏んでいくと途中で口座種類を訊かれるところがあり、この辺で戸惑ったが、ここは「SAVING ACCOUNT」の選択でOK。何とかユーロキャッシュを手にすることが出来たが、20ユーロ紙幣が基本で1回当たりの上限額が低いので留意が必要とのこと。

    西部劇に出てくるような雰囲気の町、写真左側の建物の壁にATMがあった 

 MESETAを抜けて峠を越えるといよいよアンダルシア(Andalucía)地方に入る。次第に景色が変わって緑が多くなる。
バスはCórdobaの街に入り、閑静な住宅街の中にあるリゾート風ホテル(Occidental Córdoba)に着いた。平屋建ての作りで本館は勿論、プール、テニスコート・・・佇まいすべてがゆったり。中庭のカフェテリア、部屋もすばらしく雰囲気の良いホテルだった。

  日没も近い夕方のホテルのプール

sangríaが旨かったバイキングの夕食の後、部屋でデジカメ写真を持参のノートPCに移そうとした時だ、Madridのホテル出発時にマルピン用プラグを抜き忘れてきたことに気が付いた。こちらのコンセントは差し込み穴が丸型(Cタイプ)で日本のプラグはそのままでは差し込めない。これではPCは勿論、デジカメの電池充電もできない。レセプションにもスペアがないか聞いたがそっけない返事、「あしたEl Colte Inglés(スペイン国内の大体の都市にある有名なデパート)に行ったら・・・」と。この問題は二日後何とか解決することになる。

   


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第2日(5/23火)(Madrid)

 結局、一睡も出来ないまま2日目が始まる。今日は午前中ツアーで市内中心部の有名どころを回り、昼食後からフリーの予定

9時にホテル出発、すぐにAtocha駅前を通る。Atocha駅といえばMadrid中心部に位置するRENFE(スペイン国鉄)のターミナル駅だが、04年3月だったかアルカイーダによる列車テロ連続爆破事件の現場になったところだし、Madridに関する旅行案内書にはもっとも危ない所として必ずといっていいほど記載があることでも有名だ。

 MadridのAtocha駅(バスから)

さて、最初にバスを降りたのは、スペイン広場(Plaza de España)。昔、写真で何度か見たことがある景色だが、実景はやはり新鮮だ。中央にドン・キホーテとサンチョ・パンサの像があり、周りに年季の入った高層ビルが建っている。付き添いの現地人ガイドに確かめると事務所ビルとのこと 。  なお、我々の観光案内は、Madrid在住の日本人ガイドさんが日本語でしてくれているが、スペインルールにより必ずスペイン人ガイドが同行しなければならないとのこと。現地ガイドの仕事を減らさないための方策らしいが、といって一緒にいても何かをするわけでもない。 

  朝のスペイン広場、背景は「スペインビル」(Edificio Espaóña)

次に王宮(Palacio Real)に向かう。この辺はMadridのセントロで繁華街。バスからの印象は一昔前はさぞかしと思わせる街並み、でもちょっと古めかしくまさしく旧市街だ。王宮は王立劇場 (Teatro Real)そばのオリエンテ広場側から覗いただけ。

 二輪車に乗った海の神ネプチューン像の噴水、プラド美術館の近くで(バスから)

 中心街には映画館が意外に多い。(バスから) 

 フェリペ4世の騎馬像、この像のバランス計算はかのガリレオ・ガリレイがしたという。バックが王宮。

王宮からプエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol)辺りを通っていよいよプラド美術館(Museo de Prado)だ。平日の午前にも拘らずとにかく人(観光客)が多い。本か何かで見たことのある有名な絵の前は黒山の人だかり。それでも最近のツアーでは携帯のイヤホーンを持たせるのでガイドの説明はイヤホーンを通じて聞き取ることが出来る。

  プラド美術館入口前。

 ゴヤの作品「カルロス4世の家族」の前

全くの駆け足でMadridの雰囲気を味わった後、プラド美術館近くの安レストランで昼食、14時前に解散。
自由行動の最初はまずレティーロ公園(Parque del Retiro)に行って・・・と考えていたが、ツアーガイドが危ない所と言って脅す(?)ので自粛し、すぐ近くにあったティッセン ボルネミッサ美術館(Museo de Thyssen Bornemisza)に寄った後、タクシーでレアルマドリー(Real Madrid)のホームスタジアム、サンティアゴ・ベルナベウ(Estadio Santiago Bernabéu)に向かう。直線距離で5kmぐらい、タクシー代はチップ込み約9ユーロ位だからそんなに高くはない。

  昼食後に訪れたティッセン ボルネミッサ美術館(Museo de Thyssen Bornemisza)

 レアル マドリッドのサッカー場(7.5万人収容)、(Estudio Santiago Bernabéu)

  ジダンもベッカムもロナウドも使っている(使っていた)洗面台です

これまでテレビ画面で何度か見たことがあったが、実物はやはり大変な威容だ。外から見ると、このサッカー場は街中の一ブロックを占めている巨大ビルといった感じで、ぐるり取り囲む道路を挟んで建物に囲まれている。大きな試合がある時は大変な混雑になるのだろうなと想像する。
約10ユーロを払って内部見学ツアーに参加。スタンド、グラウンド、資料館は勿論、選手の控室から洗面所まで経路に入っており、サッカーファンにとっては一生の想い出になるだろう。
帰りもタクシーをつかまえホテルまで。タクシーは危ない感じもなく、メーターもしっかりしているので効率的に動きたい旅行者には良いかも。

ホテルに戻る前に近くの小さなスーパーに寄ってみる。ボトルの水と何か腹の足しになるツマミをと思ったが全体的に一単位の量が多く手が出ない。水は500mlが0.2ユーロ(30円)ぐらいからで安い。因みにこの国では昔からBARのシステムがコンビニ的な役割を担っているのかコンビニ様の店はまだ無いようだ。入ったスーパーは日本の二昔前の感じで競争が活発でなかったフランコ時代の名残りさえ感じさせる。しかし、このままで済むとも思えず、いずれスペイン風コンビニが爆発的に拡がる時代がくるかも知れない。
結局、ホテルで軽食後、これまでの不眠を埋めるべく早々に就
寝。


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第1日(5/22月)(成田→Madrid)

家を出たのは7時15分、成田線で成田駅へ。都心への通勤と逆方向なので車中は楽。成田で「成田エクスプレス」に乗換えだが、時間が2~3分しかないのに階段が狭くて大混雑、乗り遅れそうになって慌てたが少しは待ってくれたのかなんとかセーフ。その後も対向列車待ち合わせもあったりしてJRも結構のんびりしている。

久しぶりの成田第2ターミナル、結構の混み具合だ。
2日前に宅配発送した荷物の引取りに20~30分を要し若干想定外、これもあらかじめ計算に入れておく必要あり。
ユーロのcashを全く持たないため3Fで
銀行に行くが長蛇の列、これも時間がない時は焦るかも。それにしても、ドルcashでユーロを買えませんでしたっけ。手荷物内のパソコンが今風の軽量PCではないために制限重量8㎏をオーバー、入れ替えを強いられる。

さて、今回のMadrid行きはCopenhagen経由の11:40発SK(スカンジナビア航空)便、機材はAirbus A340なので日頃ジャンボ機を見慣れた目にはこじんまりしている。そのせいか機内はほぼ満席、飛ばす側にとっては効率的なのだろう。日本人が圧倒的に多い。

  CopenでのAirbus-A340

順調に飛んで現地時間16時すぎCopen着、時差7時間なので日本時間は23時すぎになる。全く眠くならずヨーロッパ内乗換えターミナルに向かう手前でパスポート審査があった。この後Madridでは何のチェックもなかったのでこれがユーロ圏への入国審査ということだったのだろう。

 Copen空港のパスポート審査

乗り継ぎは1時間10分後の17時20分発SK便だがSpanair(スペインのEU域内専用航空?)との共同運航で機材はA320、ますます小さく一列6人がけ。
ここで機内放送がスペイン語で始まりいよいよ来たかという感慨が。しかしその話すスピードはメチャクチャ早く、決まり文句とわずかの数字しか聞き取れない。機内の飲食はすべて有料だった、無料と思って注文した日本人もいたようだが。Madrid Barajas空港着は21時(日本時間は朝の4時)少し前。 この空港は古いのか、設備も旧式でそんなに大きくなさそうだ。何のチェックもなく荷物だけ引き
取り迎えのバスでホテルへ。CLARIDGE HOTEL MADRIDは市内の空港寄りにあるらしくわずか15分で着く。(21:45) ちょうど日暮れだ。

 空港地下道から出ての道路標識(バスから)

 日没のMadrid(夜も9時半す           ぎになっているのに、バスから)

当然眠いのだが、気も昂ぶっていて眠れる感じではない。荷物を落ち着けてからHotel 1FにあるBarに行き遅い夕食にする。11時を回っているのに客の出入りは激しい。Pincho de tortilla、Ensaladilla rusa にcervezaで14ユーロ(2人分で約2000円)ぐらい。
部屋に戻ってシャワーをすませ、PCをセットしたり
荷物整理をしたりして寝床に入ったのは0時(日本時間、朝8時)近く。しかし、いくら寝ようとしても、枕をいろいろ調整してもダメなものはダメ・・・

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はじめに(旅のルートマップ)

今回の旅の目的は二つ、ひとつはスペイン観光のスタンダードコース(残念ながら北部、西部は入っていないが)を駆け足ながら効率よく廻りこの国の大よその空気を感じ取ること。ということでルートは、Madrid、Barcelonaの2大都市のほか、南部のAndalucía地方のCórdoba、Sevilla、Marbella、Granadaをメインに、ちょっぴり東海岸側のValenciaも垣間見るというもの。
もう一つの目的はいずれ実現したいCosta del Solでのロングステイに備えた下見。
このため、特に第6日目のMarbellaでのフリー日にステイ先の候補と考えているFuengirola(フエンヒローラ)の町に行って、どんな具合の町か生活情報の収集も兼ねて歩いてみることも念頭においた。
以下に全体日程とスペイン全図を参考に示す。

第1日 Naritaー(Copenhagen)ーMadrid
第2日 Madrid(午後フリー)
第3日 MadridーToledoーConsuegraーCórdoba
第4日 CórdobaーCarmonaーSevilla
第5日 SevillaーRondaーMarbella
第6日 MarbellaーFuengirolaーMarbella(終日フリー)
第7日 MarbellaーMijasーGranada
第8日 GranadaーGuadixーAlicanteーValencia
第9日 ValenciaーBarcelona
第10日 Barcelona(終日フリー)
第11日 Barcelona-(Copenhagen)
第12日 ーNarita

* 下図を参考に。


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