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第7日(5/28日)(MarbellaーMijasーGranada)

今日の天気はどうだろう。今日はツアーに戻り午前中はミハス(Mijas)、午後はグラナダ(Granada)でアルハンブラ宮殿を訪れることになっている。
朝食前のテレビでは晴れの予報。5月も下旬になると天気も安定しまさしく旅行日和が続いている。

 朝7時すぎのTVの天気予報、お天気お姉さんの蔭になったが、地中海沿いは悪くなさそう。

 Marbellaのホテル、MH Marbellaの朝、ベランダ越しに見える空は薄曇。

 ホテルを出て大通りに入った途端に事故現場が、日曜日の静かな朝だというのに(バス車窓から)

 2泊したホテル、MH Marbella、バックは後背地の山々。

バスはMarbellaからすぐ高速に入り、Fuengirola・Málaga方面に向かった。昨日訪れたFuengirolaまでノンストップで来れば30分もかからない。ここで海岸線と平行に走ってきた高速を出て海を背にして進む。この辺りは山が海に近くすぐ登りになる。その斜面の中腹に白い家並みが見えてきた。前にも触れたが、「Costa del Sol」は地中海を前面に、後背地は標高500~1000mほどの山々が連なり、アンダルシア特有の白い家からなる村々がひっそりと点在している。海岸沿いの街からバスで30分、小1時間も入れば素朴な「白い村」があり、村の伝統工芸や山の郷土料理を楽しむことができるとガイドブックにはある。今向かっているミハス(Mijas)の町も、「白い村」の名で「Costa del Sol」を代表する風景としてよく本、雑誌などのカットに使われるのでご存知の方も多いはず。

最後の急坂を登り9時半すぎにはMijasの駐車場に到着、Marbellaから40分、Fuengirolaからなら正味20分といったところだ。
「今日は」というか、「今日も」というべきか見事な快晴になり、青い空、白い家、その白壁を飾る花々のコントラストが絵葉書のように美しい。
日曜日の朝っぱらからこの細い路地からなる坂の町を観光客がウロウロするのは申し訳ない気もするが、観光で食べている町でもあるのでお店も屋台もボチボチ営業が始まったところ。住宅街も石畳の狭い道路に面した玄関や壁を素焼きの鉢に入れた花々や陶器の絵皿などでバランスよく飾っている。一体どんな人たちが住んでいるのだろうか、のぞいてみたくなる。

 バスを降りて中心部に向う階段通路、斜面に建てられた白い建物の間を登って行く。

 典型的な「白い村」Mijasの風景。

 見かけた個人住宅の入口、本当にきれいにしている。

 お土産屋さんの飾りも色とりどり。

 MijasのT-シャツ屋さん、日本人の経営だった。

 名物らしい観光ロバタクシー

  昨日ブラブラしたFuengirolaの街が眼下に拡がる、その先は地中海。(Mijasの展望台から)

 登ってきたバスの停留所がある広場、街は左上方に拡がっている。

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時すぎMijasを出発して再び高速に戻る。バスはベナルマデナ(Benalmádena)、トレモリーノス(Torremolinos)などのリゾートの町を左右に見ながら、マラガ空港を通り過ぎるとそろそろMálagaの市街だ。
道路は市街の山側を遠巻きにしながら、時折小山の起伏の蔭から市街やMálagaの港を見せる。現在、60万人近い人口を擁するコスタ・デル・ソルの中心都市だが、遡れば、フェニキア、ローマ、イスラムの各時代を通じ、さまざまな民族や文化が行き来したため歴史的・文化的遺産が数多く残されているとのこと。残念ながら今回はバスで素通りだが、また来ることがあればゆっくり観てみたい街の一つだ。これで「Costa del Sol」とはお別れである。

さて、バスは内陸部に入り、A-45号線→A-359号線→A-92号線を走ってグラナダ(Granada)に向かう。Mijas11時すぎに出て170kmを約2時間半で走破、2時前にはGranada市街に入った。Granada(人口30万弱)はスペインで最も美しい都市の一つといわれる。その中でも、世界遺産になっ
ているアルハンブラ宮殿はGranadaのシンボルだ。観光客専用風(?)レストランでガスパチョ(Gazpacho:冷たい野菜スープ)の付いた昼食をすませ、いよいよアルハンブラ宮殿(Palacio de la Alhambra)がある丘に向かう。

この宮殿は、イベリア半島最後のイスラム教徒の砦となったことで知られており、何とはなしに哀愁を感じさせる。ふと大昔、深夜放送などで流れていたギターのトレモロが美しい曲、「アルハンブラの想い出」(F・タルレガ作曲)を思い出す。
権勢を誇ったコルドバ、セビージャのイスラム勢力も既に陥落し、最後に残っていたグラナダもカトリック勢力に抗し切れず、ついに1492年、無血開城する。これをもって所謂「レコンキスタ」(Reconquista:カトリック教徒側がいう国土回復運動)が終わり、歴史は新しい頁を開くことになる。


  糸杉の並木道を通ってナスル朝の離宮、「ヘネラリフェ」(Generalife)に向かう。アルハンブラ宮殿に隣接している。

 「ヘネラリフェ離宮」の中庭①

 「ヘネラリフェ離宮」の中庭②

 「ヘネラリフェ離宮」の中庭③、細長い池を囲んで花々が咲き乱れ、噴水の水しぶきが涼しげ。

 中庭の池に水を給する水道橋。水源はシエラ・ネバダ山脈(Granadaの東南30km付近にある山脈、最高峰は3,481mもある)の雪解け水という。

 スペイン国王カルロスⅤが1526年になって建設させたルネッサンス様式の宮殿。

 「ナサル朝宮殿」の入り口。

 「メスアール宮」内部、壁上部のアラブ紋様

 「メスアール宮」の外壁、繊細なイスラム様式の壁面が美しい。

 「アラヤネスの中庭」(Patio de los Arrayanes)、前面の水面にコマレス塔が逆さ富士状に映る。

 「二姉妹の間」(Sala de las Hermanas)、精密な天井の鍾乳石飾りが有名。

 「ライオンの中庭」(Patio de los Leones)、王族のプライベート空間だったとのこと。

 「ライオンの中庭」を反対側から、真ん中のライオンに背負われた部分は噴水

 アルハンブラ宮殿側から「アルバイシン地区」を望む。Granada最古の町並みが残る地区、アラブ人が住みグラナダ陥落の時は最後の抵抗の砦となったという。

今日が日曜日のせいかどうかは分からないが、大変な観光客であふれ返っていた。ツアーだからガイドがいて団体の強みで入場できたが、個人で来たら長い行列の後ろに付かねばならず、いつ入れるかも見当がつかないだろう。最も人気のある「ナスル朝宮殿」は、入場制限がある一方で、チケットに書いてある時間内に入場しないと無効になるとガイドブックにある。こういうところはツアーのメリットだろう。

5時すぎにアルハンブラ宮殿を発ち、途中土産屋に寄り道して今晩の宿(ABEN-HUMEYA Hotel)に向かう。この街でも
途中の大通りは地下鉄工事が行われていた。スペインの地方都市では地下鉄建設がブームになっているのだろうか。
地下鉄工事の影響かどうか知らないが、あまり大きくないホテルの前の道路も掘り返されていてバスが近づけない。結局、一人ひとり足場の悪い石畳の歩道をトランクを引きずってホテルに向かう破目になった。このホテル、団体客専用のようでちょうどドイツ人(?)の一団と一緒になり、ロビーは大混雑、部屋も暗くてイマイチ、あまり良い印象はない。

 Granada市内の大通り、この街も地下鉄工事中。

夜に予定されていた本格的フラメンコのオプショナルツアーには参加しなかったので、夕食は外へ。少し歩くと大通りに出たが適当な店を見つけられず、戻ってホテル向かいのイタリアン「Mamma Mía」に入る。あまり食欲もなくサラダ、スパゲッティ(パンは付いている)を取り二人でシェアし、ハウスワイン、コーヒーで23€程度、この位が中級レストランの標準的な相場か。日曜日の夜で空いており接客も良かった。

 



 


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