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第4日(5/25木)(Córdoba→Carmona→Sevilla)

正直なところ、この旅に出るまではCórdobaについて殆ど知らず、せいぜいイスラム時代に大変栄えた町?・・・ぐらいの知識だった。しかし、今回現地を訪れ特にMezquita(メスキータ・・・イスラム時代に建立された巨大モスク、後に造られたキリスト教の礼拝堂などが同居している)を見聞し、帰ってから改めて案内書や関係する情報などで背景を知るにつけ、この街は如何に今日のヨーロッパ文化に影響を与え、現代世界の最大の問題であるイスラム社会との関わりにも深く関連していたか考えさせられる。

今日も天気はまずまず、午前中にユダヤ人街、それに隣接するメスキータを訪れる。
ユダヤ人は1492年にカトリック両王による追放令が出るまで当時のイスラム社会に得意の経済面で深く根を下ろしていた。その住居地域がユダヤ人街で白壁の家並みの出窓に花の小鉢が飾られた小道が迷路の様に続いている。

  ユダヤ人街、パティオ(中庭)のようなマイモニデス広場、ユダヤ人の医学者・哲学者マイモニデスの像がある

        
ユダヤ人街、「花の小道」、振り向けばメスキータの塔が見える

 ユダヤ人街、ここにも大勢の観光客が

さて、ユダヤ人街に隣接した大モスク、メスキータに入る。8世紀初頭北アフリカから攻め上がったイスラム勢力は一気にスペイン全土(当時は西ゴート王国)を席捲、それから数十年たった785年、アブデ・ラーマン1世が西ゴート時代の教会跡にこのイスラム寺院を建設しその後200年にわたり増築が続いたという。しかし歴史は巡りキリスト教徒によるレコンキスタ(再征服)がなった13世紀以降、モスク内部にキリスト教の礼拝堂、カテドラルが建立され、イスラム教のモスクの中にキリスト教会が同居するというめずらしい形態となった。

    メスキータの外壁

 メスキータの入口、「免罪の門」

 メスキータ敷地内、「オレンジの中庭」を望む

 モスク内部、赤レンガと白い石を組み合わせたアーチと大理石の柱が林立している

 同じモスク内部の一角にあるキリスト教の礼拝堂、パイプオルガンもあった。

Còrdobaに関して先日興味ある記事(10/23日経朝刊)が載っていたので以下に紹介させてもらう。

「千年前、ある歴史家の説によれば、後ウマイヤ朝の首都だったコルドバは、ビザンチン帝国の首都コンスタンチノーブルや北宋の首都の開封を抑え、世界最大の都市だった。ロンドンやパリの人口が2、3万のころに、50万人近い人口を抱え、千以上のモスク、600の公衆浴場があった。大図書館も備わり、ギリシャ古典の研究も盛んだった。当時「留学」といえばキリスト教圏の人がイスラム圏で学ぶことだった。アルコール、アルカリ、アルジェブラなどアラビア語起源の学術用語が示すように、西欧ルネッサンスの種子は、中世イスラム世界ではぐくまれていた。・・・」

一方、1990年代後半、米の政治学者、S. ハンチントン教授は「冷戦後の世界では文明間のイデオロギー衝突が先鋭化する・・・」と予見していたが、近年まさしくイスラムとキリスト両文明間でそのとおりになっている。                一向に出口を見出せない現在、コルドバのメスキータを見ると昔の人たちの方が寛容、共存を重視するバランス感覚が上を行っていたということだろうか。歴史から学ぶべきことも沢山ありそうだ。

さて、メスキータを出てすぐそばの観光客用レストランで慌しい昼食、この辺りの観光客相手のお土産屋などには小柄、彫りが深く、真っ黒な髪と瞳に特徴があるイスラム系を想わせる人たちが結構目立つ。この地域の歴史を考えれば当然か。

Córdobaを後にしてSevilla(セビージャまたはセビリア)に向かう。CòrdobaーSevilla間は約150km、幹線高速N-Ⅳ号線で2時間ちょっと、途中ひまわり畑を楽しみながら1時間半ほど走ると丘の上にCarmona(カルモナ)の白い町が見えてくる。この町は地形を生かした城塞都市で最頂部には元々アラブ時代の城塞があった。これをスペイン時代に当時の王の宮殿に改装し、現在はパラドール(歴史的建造物を活用した国営ホテル、一般に高級。)としてホテルになっている。旧市街は小じんまりしているので散策にピッタリだ。

  昔の城塞の入口がパラドール(国営ホテル)の入口になっている

 ホテルのテラスから望む肥沃なアンダルシア平原

 ホテル(城塞)の中庭が雰囲気のあるカフェテリアに。

 旧市街の中心、サン・フェルナンド広場(Plaza de San Fernando)

Carmonaから再び高速に入り小1時間、そろそろSevillaだ。
地形・地勢的条件からスペインのフライパンと言われるSevilla、昼間はそれほど思わなかったが、夕方になってもこの街はとにかく暑い。Sevillaはスペイン第4の都会で人口約70万、古都でもある。1992年に万博が開催され一躍有名になったが、これを契機に都市基盤が整備されたようだ。
市内に入り今晩のホテル(BELLAVISTA)に向かう高速道路はこれまで同様すばらしい。
このホテルは今振り返ると施設もサービスも最悪のホテルだったが、一休み後、タパス料理(小皿料理)付きフラメンコショーに出かける。ブエノスアイレスのタンゴショー、リオのサンバショーなどと同じ趣向。ほんのさわりだけなのだろうが観光客には手っ取り早い。店を出ると21時半。だが日没はもう少し先のようでまだ明るい。


 Sevillaの環状高速道路(?)、バス車窓から

 Sevilla近郊の建設中住宅団地、この町も開発ラッシュの真っ只中。バス車窓から

 Sevilla、ジャカランダが満開の旧市街の大通り、バス車窓から

 Sevilla、フラメンコショーの一場面

 

 

 


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