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第5日(5/26金)(Sevilla→Ronda→Marbella)

今日もまずまずの天気、暑くなりそうだ。午前中はセビージャ(Sevilla)の市内観光の予定。ここでもSevilla在住の日本人ガイドが手馴れた案内をしてくれる。
さて、この町はスペインの古都として有名だが、内陸にありながらグアダルキビル川(Rio Guadalquivir、セビージャの町から地中海の河口まで100km弱)に面した河港になっていて、8世紀初頭から500年間に亘るイスラム時代、それに続くカステージャ王国時代以降も重要な交易の拠点としてその地位を保ちつつ発展してきた。            
コロンブスが新大陸を発見した後、一攫千金をねらって新大陸に向かう多くの一発屋は、この港から川を下り大西洋に繰り出して行ったものも多い。 彼らの一部はペルーのインカ帝国やメキシコのアステカ王国を征服(新大陸側から言えば略奪だが)し、収奪した金銀財宝をこの川を遡ってSevillaに運び込んだという。現在でもイベリア半島では最も重要な港の一つとのことだが一見した限りそれほど大きな川でもないし、大きな船が停泊しているようにも見えず、かっての面影は感じない。

ここで日本とセビージャとの意外な関係を一つ。
セビージャがその繁栄を謳歌していた近世初期の1613年(慶長18年)、伊達政宗の遣使、支倉常長を団長とする使節団がメキシコ経由でローマへ行く途中、セビージャを訪問し歓待を受けている。
一行は大西洋から地中海に入りグアダルキビル川を船で遡上してセビージャに向かうのだが旅装を整えるため15kmほど手前の小さな村に暫し留まっている。
近年になって明らかになったらしいが、この小さな村、コリア デル リオ ( Coria del Río)に"ハポン"("Japón"はスペイン語で"日本"の意)姓を名乗る一族が数百名いるという。そして本人たちは勿論地元の郷土史家も支倉一行の末裔であると信じているらしい。
専門家の説明では一行26名中8名が現地に残ったとか、この地域では稲作をする際、日本と同じように苗床をつくる風習があるとか、ハポン姓の赤ちゃんには蒙古班があるとか、
状況証拠はいろいろあるようだ。

前置きが長くなったが、市内観光はまず「スペイン広場}から。 どっしりした横長の湾曲した立派な建物と大きな前庭からなっているが、建設は以外に新しく1929年に開催されたイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られたという。
 朝のスペイン広場、仕事に向かう人たち?

 スペイン広場、騎馬警官の見回り 

 セビージャの中心街、地下鉄工事(右側車道部)でグチャグチャ

市内は地下鉄工事の真っ最中、どこもかしこも掘り返されていてバスは思うように走れない様子、駐車場から徒歩でカテドラル・ヒラルダの塔(Catedral y la Giralda)に向かう。
セビージャのカテドラルはヨーロッパ3大寺院のひとつ(他の二つはローマのサン・
ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院)でモスクの跡地に1世紀の建設期間を経て1519年に完成している。カテドラルに隣接したヒラルダの塔もイスラム寺院の名残で、100m近い高さがあるためどこからでもその姿を見ることができ街のシンボルとなっている。土台部分はローマ遺跡から運ばれた石で造られている由。塔の中の螺旋状階段を70m登れば展望台に出られるという。直登70mと聞いてちょっとビビったが折角の機会、暗い螺旋状のスロープを登ってみた。階段ではなかったので心配したほどのことはなかった。展望台に出るとあまり高い建物がない白いセビージャの街の広がりが飛び込んでくる。ふと後ろを振り向くと大きな鐘が下がっていた、キリスト教徒の時代になってからルネッサンス様式の鐘楼が付け加えられたとのこと。

 遠めにも美しいヒラルダの塔とカテドラル

 ヒラルダの塔の眼下に拡がるセビージャの街

 カテドラルの鐘楼としての役割も担うヒラルダの塔の鐘

 マエストランサ闘牛場(Plaza de Toros de la Maestranza)を外から

 グアダルキビル川左岸沿いの遊歩道、正面に「黄金の塔」(Torre de Oro)が見える。


 街角で見かけた果物屋、綺麗に並べている。

昼食は市内の中華レストラン。海外で食べる中華は恐らく日本でのそれより旨いことはないのだろうが、旅行中の舌には懐かしい味というシチュエーションが多く、大いに得をしていると思うがどうだろうか。とにもかくにも今回もおいしく頂きました。

午後はセビージャを後にしてロンダ(Ronda)経由、今晩の宿泊地である地中海沿い高級リゾートの町マルベージャ(Marbella)に向かう。
ロンダまでは約160km、2時間の旅。
セビージャの高速を出て、ゆるやかな丘陵地に拡がるひまわり畑(この辺りのひまわりは今がシーズンとのこと)を見ながらひた走る。

 丘に拡がるひまわり畑(走っているバスから)

道路は幹線ではないが一級国道(A473号線、片側一車線部分が殆どだったが)でよく整備されており、交通量も多くないので走りはスムーズ、道は次第に山がちに、1000mを超える岩山の間を走って予定通り16時すぎRondaに到着。
日本人の絵の趣味がある人たちには特に人気が高い町と聞いていたが、急崖、、深い谷に架かる石造りの橋、起伏に富んだ斜面の白い家並みなど、確かに絵になりそうな風情のある風景がいくらでもある。
一番の見所は新市街と旧市街をつなぐヌエボ橋(Puente Nuevo)だろう。橋の下はゆうに100mを超える絶壁となっていてタホ谷の向こうにははるか彼方まで平原が広がり、上から見ても、下から見上げてもまさしく絵になりそうだ。
 断崖絶壁を見下ろすと眼下に平原が広がる。写真人物左側にRondaの街がある。
 左にヌエボ橋、右に新市街、谷はまだまだ深く続いている。
 ヌエボ橋下の深い谷、この角度でも全体を撮れなかった

標高720mのRondaの街を出てA376号線は一度峠に向かって登った後、地中海沿岸のMarbellaに向かって落差1000mを一気に九十九折を駆け下りる。
視界が良ければ、対岸のアフリカ大陸も見られるとのことだが今日は残念ながらそこまで空気は澄んでいない。でも地中海が見え出すと両側の斜面に別荘風の白壁と茶色の屋根瓦に特徴のある所謂スペイン風建物が目につきだした。開発ブームなのだろう、建設中の住宅、コンドミニアムも多く、緑が鮮やかなゴルフ場も点在している。
バスは19時前、ホテルNH MARBELLAに着く。4つ星とのことでまずまず。
夕食はホテル内レストランで早めの食事となったが、ここで仲間の中にMadridのホテルに忘れてきたマルピン用プラグ(Cタイプ)を持ってきている方を知り、一晩借用させてもらう。お陰でパソコンへの写真の取り込み、カメラの充電が出来、取りあえず一安心、明日のフリー日に改めて街で探してみることにする。

 急な下りが続いてそろそろMarbella、地中海が見えてきた。(バスから)


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