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リスボン⑨(サン・ジョルジェ城)

 ■ 28番の路面電車

また青空が戻ってきた。リスボン滞在すでに4日目になり今日が実質最終日、明日はスペインへ移動するので予定していてまだ行っていないところは今日中に済ませないとタイムアウトだ。

ということで、28番の路面電車で行くアルファマ地区と丘の上の「サン・ジョルジェ城」、それに滞在ホテルそばの「エドゥアルド7世公園」は見逃せない。

リスボンは大きな町ではないので中心部なら殆ど徒歩で動ける。しかし「7つの丘の町」と呼ばれる坂の町だけあってアップダウンは結構キツい。そこで価値があるのが狭い石畳の路をゴトゴト走る路面電車だ。

電車の路線は5本あるが、最もリスボンらしい佇まいを楽しめるのは、28番線だと案内書が薦めている。
始発は市の西方にあるエストレーラ聖堂で、2kmほど東に来ると「ルイス・カモンイス広場」の停留所があり、ここで28番を掴まえるのが勝手がよさそうだ。

朝、ホテルを出てすっかりお馴染みになったいつものルートで「カモンイス広場」の電停に向かう。
ここは先日行ったファドハウスに近く、グローリア線のケーブルカーでバイホ・アルトの高台に上がり、「サン・ロケ教会」横の道路をダラダラ下っていくとこの広場に出る。

日曜日の午前中とのことで通りの店はまだ閉まっているが、リスボンでは高級・老舗店の多いシャレた街と言われていてどちらかというと夜が賑やからしい。
「カモンイス広場」に出ると周りを取り囲む白い建物群が抜けるような朝の青空に映えて美しい。


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サン・ロケ教会。1584年、苦難の航海の末にリスボンにたどり着いた日本の天正遣欧少年使節団が、1 ヶ月ほど滞在したイエズス会の教会として有名。



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「カモンイス広場」につながるミゼリコルディ通り。日曜日の朝で店も閉まり人通りも殆どない。写真は逆光になってしまった。



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例の国民的詩人として知られるルイス・デ・カモンイスを記念して造られた広場、中央に彼の立像がある。



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画面左側の電停でしばし待つと28番の路面電車がやってきた。




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28番の路面電車。よく見ると電車の屋根に付いている電光掲示板に28の数字がある。



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電車の車内。



しばし電停で待っていると建物の蔭から28番の電車が現われ広場に入ってきた。3日前の午前中に買ったリスボンカードがまだ有効か不安があったが、キッチリ72時間はOKらしく乗車はセーフ。発行時刻が3日前の10時すぎだったからこれが最後のお役目になりそう。

広場を出た電車は右折してすぐにテージョ河に向かって下り坂を結構なスピードで 駆け下りる。
下りきったところで今度は左折してコンセイソン通りに入りバイシャ地区の繁華街を直進。この辺は低地でリスボン大震災時津波と火災で壊滅したところで、今は区画整理された碁盤目状の街路になっている。

電車はアルファマ地区に向かって別の丘を登り出す。しばらく登ると震災の影響を受けなかった古い下町に入り、リスボン紹介でよく出てくる洗濯物がヒラヒラするような細い路地が見られる界隈が続く。

古い地区だけあって沿線には歴史を感じさせる「マグダレーナ教会」、「サント・アントニオ教会」、さらに「カテドラル」などが続き丘を見上げれば「サン・ジョルジェ城」が聳えている。

カテドラルを過ぎて少し登ったところにある「サンタ・ルシア展望台」の前で電車を下りた。
青く光るテージョ河をバックにして密集した家並みの白い外壁と独特の赤茶色のレンガ屋根とのコントラストが印象的だ。

この展望台から電車通りを少し登ると「ポルタス・ド・ソル広場」に出る。ここにも良い展望スポットがあり、周りは歴史的な地区だけあってどこを切り取っても必ず古い教会が入ってくるような一帯だ。

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サンタ・ルシア展望台からの景色。海のように見えるテージョ河をバックに右下に「サント・エステヴァン教会、左上に「サンタ・エングラシア教会」の丸いドームが見える。


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市電を降りたそばのサンタ・ルシア教会。



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サンタ・ルシア展望台から徒歩3分で「ポルタス・ド・ソル広場」に着く。後方遠方に二つの鐘楼をもつ「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会」が見える。

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左に「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会」、右に「サンタ・エングラシア教会」のドームが。


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28番の市電でさらに進めば、「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会」の前も通る。



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市電停留所にあった案内板。28番の他に12番(アルファマ地区を一周している)も並行して走っている。曜日によって若干の相違はあるが始発が5時40分ごろ、終電は23時すぎ、朝夕のラッシュ時は7~9分間隔になるが普通は13分前後に広がる・・・などが読み取れる。


28番の市電はこの先「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会」の前を通って「グラサ展望台」の方へ北上できるのだが、今日の最大の目的である「サン・ジョルジェ城」にまずは向かう。

さっき丘の上に見えていたからその麓に居るのは間違いないが、さてどこに登り口があるのか
?「ポルタス・ド・ソル広場」を通りすぎた所で通りすがりの人に訊いてみるとどうも逆戻りせよと言っている。その言にしたがって戻りながら登り口を探していくと、右に入る小道の角に「サン・ジョルジェ城はこっち→」の案内板を見つけた。

急坂をしばらく登ると「サン・ジョルジェ城」(Castero de Sao Jorge)の入口のアーチに到着。日曜日で天気も良し、観光客で一杯だ。


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左側の建物の壁に「サン・ジョルジェ城→」の看板が。



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アーチ型の門をくぐって場内へ。



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古い城壁の石積みに取り付けられた案内板。



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入場ゲートにあった入場料金一覧表。通常料金7ユーロとあるがきめ細かい値引きのルールが書かれている。真っ先にあるのは65歳以上、18歳以下の者と一緒の家族、ハンデキャッパーなどは半額の3.5ユーロ、リスボンカード提示で4.9ユーロ、学生の団体なら0.7ユーロと安い。下の方には10歳以下、リスボンの居住者、プレス関係者、旅行ガイドは”タダ”とあった。


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サン・ジョルジェ城全体の俯瞰案内板。


この市内の高台に聳える城址の歴史は古く、記録で知られる限り紀元前2世紀には要塞化されていたとのこと。
考古学調査によればさらに前6世紀まで遡ることができ、フェニキア人・古代ギリシャ人・カルタゴ人などに続いて土着のケルト人とイベリア人が占領していたという古城だ。

その後、古代ローマ帝国、西ゴート王国、ムーア人(イスラム教徒)、キリスト教徒へと次々と支配者が変わってきた。
現在は城址公園になっていて入口を入って左手の木立を抜けると眼前に圧巻のリスボン大パノラマが拡がる。

空気の澄んだ快晴に映えるその景色は観る者をしばし釘付けにしてしまう。そんなせいで思わず同じような写真を何枚も取ってしまった。
取りあえず撮っておいて後で取捨すればいいやというデジカメ時代の特性のせいもあるが・・・。

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リスボン市街パノラマ①、足元はアルファマ地区、その先はテージョ河で右方向が大西洋、対岸はカシージャスでブラジル・リオのコルコバードを模したキリスト像(高さ110m)が建っている



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パノラマ②。①~⑤は連続写真で①から右に続く。


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パノラマ③。


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パノラマ④、中央下の広場は「フィゲイラ広場」。


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パノラマ⑤、「エドゥアルド7世公園」方面。


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いかにも歴史を感じさせる城塞。


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がっしりした石造りの城壁は圧倒的。


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展望台の観光客①



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同上②。



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同上③、シャッターを押してくれと頼んできたグループ、ポルトガル人には見えなかったが果たして・・・。



「サン・ジョルジェ城」をあとに正規のルートを下ると「カテドラル」のすぐ裏に出る。
ちょっと教会の中を覗くと日曜礼拝の最中で荘厳な聖歌隊の歌声も聞こえてきた。朝、路面電車で登ってきた電車通りを今度は徒歩で下りそのままコンセイソン通りに入る。

どこかで一休みしようと地下鉄の駅にも近いフィゲイラ広場までいくと広場を侵食するようにカフェのテラス席が占領している。
快晴の空のもと、気持良さそうなテーブルを確保してカフェ・コン・レーチェとパン・デ・ロー(カステラの原型になったといわれるポルトガル菓子)を頼んでみた。粗いカステラという感じだが味に特別のことはない。
日曜昼時のテラス席は観光客が殆どらしくまったりした時間が流れている。

さて、あとは「エドゥアルド7世公園」だが、ホテルのそばなのでひとまずホテルへ戻ることに。

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城からの帰りは正しいルートを降りると「カテドラル」のすぐ上に出る。



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「カテドラル」を覗くと荘厳な雰囲気の中で日曜礼拝中、聖歌隊による聖歌も聞こえてくる。



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砦の役も兼ねていたという「カテドラル」の正面。その堅牢さでリスボン大地震にも耐えたという。



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バイシャの下町を横切るコンセイソン通り。



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コンセイソン通りを右折してフィゲイラ広場に向かう。



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サンタ・ジュスタ通りを横切ったとき左奥に「サンタ・ジュスタのエレベーター」の鉄塔が見えた。バイシャからバイホ・アルトのレベルに上がるためのエレベーターだが、安全上から閉鎖されているとか。


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リスボン初日にも寄った「フィゲイラ広場」。中央に「ジョアン一世騎馬像」がある。



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カフェテラスの日溜りで。



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左上がカステラの原型になったという「パン・デ・ロー」。



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カフェテラスでまったりとしたひと時を楽しむ観光客。

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丘を見上げるとさっき登っていた「サン・ジョルジェ城」の城塞が見える。



 [エドゥアルド7世公園]

地下鉄を降りてホテルに戻る前、そばにあったレストランで”日替わり定食”(prato do dia)を食し、部屋に戻ってしばし午睡。

一眠りしてすっきりしたところで、夕方の散歩気分でホテルを出た。すぐ向かいの階段の小道を登り、ジャカランダの木立を突っ切ると「エドゥアルド7世公園」の美しい緑が目に飛び込んでくる。

緩い傾斜地の真ん中は幾何学模様の植え込みが整然と続くフランス式庭園で、その両側は散策路になっている。奥の高見からはリスボン中心部が望め、左に「サン・ジョルジェ城」、右に「バイホ・アルト」の高台、中央にポンバル侯爵の像、リベルダージ通り、その先のテージョ河まで見渡せる。

この公園、1902年にイギリスのエドワード7世がリスボンを訪問したのを記念して造られたというのだが、当時すでに英葡関係は付き合いが深かったようだ。
まったく知らなかったが、1373年には両国間で「英葡永久同盟」なるものが結ばれていて現在まで続く世界最古の同盟関係が存在するという。

因みに前出の「エンリケ航海王子」はジョアン1世の息子だが、その母親は英国から嫁いできたエドワード3世の孫にあたる。
20世紀初頭、それまで続いた王政が軍部の反乱によって倒されポルトガル共和国が誕生したとき王家はイギリスに亡命するのだが、何故亡命先がイギリスだったのか理解できた。

明日はいよいよスペインへ移動だ。


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盛りの過ぎたジャカランダ。



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緑豊かな公園内部。



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公園の上部からリスボン市街を望む。遠い左の丘は「サン・ジョルジェ城」、右の丘は「バイホ・アルト」の高台、公園のすぐ咲きの塔が「ポンバル侯爵の塔」、その先は「リベルダージ通り」、さらにテージョ河も見える。手前はフランス式庭園の植え込み。



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公園
の一角にポルトガル国旗が。



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日曜の夕方、公園の緑で寛ぐ家族。



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公園下部から上を望む。左右は木立になっていて散策路がある。




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公園の街側に隣接したポンバル広場のロータリーを走る2階建て観光バス。



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日曜日の夕方、ポンバル広場につながる緑地で。地元の若者らしきグループ。


 (以下、「リスボン⑩」に続く)

 


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