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リスボン⑧(ベレン地区)

  ■ ベレンへ

朝方からめずらしく暗い空になった。リスボンに着いて実質3日目、初めての曇に覆われた空だ。でも雨が降り出すようには見えず動き回るのには支障はなさそう。

今日はリスボン市内きっての見所があるベレン地区に行くつもり。昨夜が遅かったので朝は少しのんびりして10時すぎにスタート、ツアーのように時間に急かされることはないので気楽ではある。

昨日ロカ岬から帰るときに通ったルートを今日は逆にリスボンから向かうことになる。
地下鉄を乗り継いでカイス・ド・ソドレまで行き、そこからカスカイス行きの普通電車に乗ると10分でベレン駅に着く。急行に乗るとベレンの駅には止まらないので注意が必要。

「ベレン」(Belem)地区は市中心部からテージョ河右岸沿いに5~6km下ったところにあり、世界遺産の「ジェロニモス修道院」を始め、「発見のモニュメント」、「ベレンの塔」など観光客が必ず訪れる見どころがあるほか、「海洋博物館」、「民俗学博物館」など幾つかの博物館・美術館が集中している。

無人の「ベレン駅」を山側に出て地図を頼りに「ジェロニモス修道院」に向かう。途中で横切ったちょっとした公園風広場は奥の斜面に建っている「ベレン宮殿」の前庭らしい。

「ベレン宮殿」はもともとは貴族の邸宅で迎賓館だったこともあるらしいが、現在は大統領公邸になっている。よく見ると宮殿入口の階段下に衛兵が二人立っていた。



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ホテルの最寄り駅からカイス・ド・ソドレにいくためにはここバイシャシアードで乗り換える必要がある。電車が行ったばっかりなのかまったく人影がない。


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どんよりした曇。カイス・ド・ソドレを出ると左側(テージョ河河畔)は港湾地区のヤードのようだ。遠くにテージョ河対岸のクリスト・レイ(高さ110mの巨大なキリスト像)が見える。(走る電車から)

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さらに進むと「4月25日橋」をくぐる。この橋、1966年完成、全長2278mのつり橋で上段は車、下段は鉄道専用になっている。2日後に乗ったファーロ行き列車もここを通った。。(走る電車から)

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ベレン駅近くのテージョ河、この辺りの川幅は狭まっていて2km弱。。(走る電車から)




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「ベレン宮殿」の前庭にあるアフォンソ・デ・アルブケルケ記念碑。




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「ベレン宮殿」の正面入口、階段下左右に衛兵が立っている。

 ■ ジェロニモス修道院

ほどなくジェロニモス修道院の前に出た。着いた一角に繊細優美な彫刻に囲まれたアーチ型の南門がみえる。
今日が土曜日のせいか入場券を買う窓口のあたりは観光客で結構混雑していたが、ここでもリスボンカードが効いて入場はフリーですんなり。

ところで、この修道院は、”エンリケ航海王子”の偉業と日本ではお馴染みのインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマを称えて1502年にマヌエル一世がエンリケ王子が以前に建てた礼拝堂の跡地に着工したとされている。
その後1511年には大部分の完成をみたものの、すべての完成には中断時期もあり300年かかったという。

建設の費用は大航海時代の香辛料貿易によって海外からもたらされた莫大な富で賄われたとされ、往時の繁栄が偲ばれる。


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写真中央横長の建物がジェロニモス修道院。右端が南門、後方はリスボン市街方面、手前はインペリオ広場。


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南門に到着。建物の構えが大きすぎて一枚の写真には収まらない。



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南門の上部にある彫刻群。中央にエンリケ王子の像が置かれている。



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繊細な彫刻が美しい。



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南門入口付近の観光客。ポルトガル人?それとも国外から?・・・、見極めは難しい。


ここで”エンリケ航海王子”(1394-1460)について少し説明が必要だ。

中世ポルトガル史に必ず登場するエンリケ王子は、自らは航海者ではなかったが、海洋国家ポルトガルを国家レベルで牽引し大航海時代の途を拓いた功績でその死後「航海王子」と敬称され今日に名を留めている。

当時、ポルトガルの海外進出はアフリカの大西洋沿岸が舞台でその交易圏を南に拡げていたがカナリア諸島の少し先が南限になっていた。そしてその先は”煮えたぎる海”が広がっているという迷信がヨーロッパでは広く信じられていた時代だ。

このため屈強な船乗りたちでも”世界の果て”を越える航海などあり得ないとされていたが、エンリケ王子は航海術や地図製作技術の向上に注力する一方、1422年頃から果敢に探検隊を送り出し迷信への挑戦を繰り返していた。

その努力が報われて、1434年幾度目かの派遣艦隊がようやくこの壁を突き抜け、長く恐れられていた迷信は打ち破られることとなった。
このブレークスルーがその後の新開地への探検行を促し大航海時代の幕開けとなったとされる由縁である。

広く知られた1492年のコロンブスの新大陸発見を始め、1498年のヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰周りのインド航路発見、そして1522年のマゼランによる西回り世界一周などの成功はすべてエンリケ航海王子の偉業に負っているというわけだ。

話はジェロニモス修道院に戻る。
南門を入るとすぐ眼の前に繊細優美な回廊に囲まれた中庭が広がる。
この2階建て55m四方の回廊は当修道院最大の見どころで、石灰岩に繊細緻密な彫刻が施されたアーチ群を伴いマヌエル様式の最高傑作と言われている。


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芝生が映える2階建ての中庭。



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1階はボイタック(フランス人?)、2階はカスティーリョ(スペイン人)と違う建築家が担当している。


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南門上部中央にエンリケ王子の像が置かれている。



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世界遺産なのに中庭にも自由に出入りさせているのは日本人からみると鷹揚な管理(?)。



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2階からの眺め。レース細工のような繊細な彫刻が印象的。



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2階部分はスペイン人建築家の作だが、イスラムの雰囲気も感じさせる。



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回廊の奥から見た逆光の中庭。



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回廊の2階を歩いていたら畏れ多くも高いところからサンタマリア教会を覗くことが出来た。祭壇バックの壁画は特徴的で立派な教会だ。



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サンタマリア教会のステンドガラス。



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片隅にあった大理石の噴水?水場?。ライオン(?)の口が蛇口になっている。


回廊の2階で横穴のような通路に入ったら思いがけず上から覗く角度で立派な礼拝堂の祭壇が見えた。後で当修道院に付属するサンタマリア教会と知ったが、1階に下りて教会内に入れば入口近くにヴァスコ・ダ・ガマと前出のポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの棺が安置されていたらしい。気がつくのが遅くて見落としてしまったようだ。

西口には「海洋博物館」「国立考古学博物館」などがあったのだが割愛して前庭になっているインペリオ広場に出た。
後ろを振り返ると横に広い「ジェロニモス修道院」の威容が明るくなってきた空に映えている。この時間になって雲間から青空が覗き天気が回復してきたようだ。

修道院を背中に広場の先を見渡すとずっと先にコンクリート造りのタワーが見える。三点セットの2番目、「発見のモニュメント」だろう。
そのタワーに向かって進むと幹線道路と線路にぶつかったが地下をくぐる専用道があって難なく横切ることができた。


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インペリオ広場の先に見えるのは「発見のモニュメント」か?



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振り返るとジェロニモス修道院の西側部分が。



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修道院前の広場で双子(?)を遊ばせる若夫婦とそれを見る黒人男性。



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横に長いジェロニモス修道院はまだ左側に続く。南門は右端の木立の蔭になる。


  [発見のモニュメント]

地下道を上がると眼前に「発見のモニュメント」のタワーが聳える広場に出た。
1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念してテージョ河沿いに造られた(実際は以前のものを大改修)というモニュメントは高さ52m。

川面に突き出した先端は大航海時代に活躍したカラベラ船の舳先を模した形になっていて当時の著名な探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師らが大海へ乗り出そうとする姿を表現している。
先頭に立つのは言うまでもなくエンリケ航海王子だ。

この記念碑前広場の石畳には、多くのポルトガル人航海者が辿った航路を示すモザイク状の世界地図が埋め込まれていてポルトガルが「発見」「到達」した土地にはその年号が表示されている。
因みに、日本の位置にはポルトガル船が豊後に漂着した1541年が表記されており、学校で習った種子島への”鉄砲伝来1543”年ではない。


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高さ52mのモニュメントの前に広がる石畳。タワーの上部にはエレベーターで昇れる。




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先頭のエンリケ航海王子、その右舷側すぐ後ろにヴァスコ・ダ・ガマ、後方にはマゼランやフランシスコ ザビエルがいるとのこと。


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右舷側には詩人カモンイスがいる。



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石畳世界地図の日本付近。紀伊半島とおぼしきあたりに”1541”の数字が読み取れる。



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”1502 CANANEA”とあるが何処か?



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写真左上の形はメキシコ湾から中米・南米にかけた付近だろう、したがって左下隅の”CANANEA”はブラジルの南部あたりになる。近くにいた若者からスペイン語が聞こえてきた。スペインから来た修学旅行中の高校生たちか。



 [ベレンの塔]

「発見のモニュメント」からテージョ河河口方向に約1km下った所に「ベレンの塔」がある。
河沿いに遊歩道があり、前方にそれらしき石造りの建造物が見えているので間違うことはない。

「ジェロニモス修道院」とともに世界遺産に登録されているこの「ベレンの塔」は、リスボン港を出入りする船舶を監視するための要塞として、16世紀初めやはりマヌエル1世の命により建てられた。

遠くからはそんなに大きく見えなかったが間近に迫ってくるとそれなりの迫力だ。2階部分が広いテラス状になっていて砲台や弾薬庫などがあり、タワー部分は貴族の居住部だったらしい。

恐らく大航海時代には二度と戻れぬかも知れない長い航海の船出を見送り、幸運にも再び故郷の土地を踏むことが出来た船乗りたちを暖かく迎えたに違いない。
しかし、1階には潮の満ち干を利用した水牢があるところを見ると別の目的もあったようだ。




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「ベレンの塔」につながる川岸沿いの遊歩道。振り返れば「発見のモニュメント」がいい角度で見える。さらに向こうには「4月
25日」橋も。




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「ベレンの塔」へ向かう途中にあったガソリンスタンドの看板。レギュラー1.379€(約152円/L)、ハイオク169円、何故か軽油(ディーゼル油)が167円と高い。



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「ベレンの塔」の全容。左側がテージョ河。




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さらに近づくと・・・




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2階に上がるとテラス状になっていて砲台が並ぶ。テラスのヘリに並ぶ円筒形の見張り小屋の屋根は十字架の飾りが付いた「オレンジの房」の形をしている。長期航海時、ビタミンC不足に悩まされ壊血病で多くの乗員を失ったことと関係があるとか。




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3階より上は貴族の居住区だったらしい。




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改めて「ベレンの塔」から「発見のモニュメント」方向を望む。




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「ベレンの塔」入口。ハネ橋になっている。



今日もまた慌しくではあったが、ベレン地区の”3点セット”を一気に回りやや歩き疲れてしまった。それに腹も空いてきた。中心街に戻って遅めの昼食を済ませホテルに戻ることにする。

レスタウラドーレス駅で降りて案内書で目星を付けておいた中華レストランに向かったが残念ながら入居ビルが改修中で見つけられず、ロシオ広場近くのレストラン街をウロついて入った店はハズレだった。

明後日の移動日を控え明日はリスボン最終日。28番の市電で行くアルファマ地区のサン・ジョルジェ城とエドゥアルド7世公園だけは押さえておきたいところだ。


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ポルトガル国鉄「ベレン駅」のホーム。普通電車しか止まらない。




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中心部に戻って手頃なレストランを探す。





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昼食には少し遅めになった裏通りのレストラン街。




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ホテルの自室から見える「エドゥアルド7世公園」の森。階段を登って木立の中を抜けると緑の公園(庭園)が拡がる。


 (以下、「リスボン⑨」に続く)


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