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リスボン⑦(ロカ岬)

 ■ シントラ王宮

「ペーナ宮殿」下のバス停から山の麓にある「王宮」(正確にはPalacio Nacional de Sintra)へ循環バスで下る。

この王宮、フランスやオーストリアなどにあるような豪華絢爛な離宮とは比較出来ないが、ポルトガル王家が夏の別荘として15~19世紀に使った所で、「シントラの文化的景観」として登録されている世界遺産の中心部分だ。

ポルトガルは現在共和国制で王家は存在しない。
しかし、レコンキスタ(キリスト教徒によるイスラム教徒からの領土回復運動。)が活発になる11世紀頃から王族支配が始まり、20世紀初頭まで続いた。それが1910年のポルトガル共和国成立とともに王政は崩壊し王族は英国に亡命したとのこと。

王宮への入場はリスボンカードが効いて無料、ラッキー!・・・というせいでもないが、順路に従ってあまり立ち止まらずに先を急ぎすぎたようでわずか30分で建物正面の出口にきてしまった。

見所はポルトガルが最も栄えた16世紀に増築された部分らしく、当時の栄華を反映した室内装飾が施された「アラブの間」、「礼拝堂」、「中国の間」、「紋章の間」、「カササギの間」、「白鳥の間」などが有名だ。 

その中でも壁全面に”アズレージョ”(Azulejo)の装飾タイルが施され、天井には72個の紋章が描かれた「紋章の間」は見逃せない。

”アズレージョ”と言えばポルトガルだが、独特の上薬をかけて焼かれたタイル絵のことで青い色調に特徴がある。
イスラム起源の技法をムーア人がスペインに持ち込み、その後ポルトガルに伝わって花開いたと言われる。

絵の構図は寓話やギリシャ神話、聖書の一場面、聖人の生涯や貴族の狩猟風景などが描かれたものが多い。
ポルトガルでは教会、宮殿などは勿論、一般の家の内外でも珍しくないし、鉄道や地下鉄の駅構内などの公共の場でも壁画などとしてよく見かける。

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「シントラ宮殿」前のレプブリカ広場の一角。

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ネットで見つけた「シントラ宮殿」の空中写真。

 

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「シントラ宮殿」の正面。奥に見える2本の塔は台所の煙突で33mの高さがあり、ここのシンボルになっている。



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「紋章の間」の壁面を飾るアズレージョ。



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「紋章の間」の天井を見上げるといろいろな紋章が一杯。



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ポルトガル貴族の紋章や自身の紋章が72個、木製の天井に描かれているという


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絵柄は貴族の狩猟の図。



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こちらは貴族夫妻が乗馬に出かける直前の一コマ?。




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礼拝堂らしい。壁の模様は白い鳩か?




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王宮前面の広場。



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上を見上げると向かいの山の頂上に「ムーアの城跡」が見える


 ■ 「ロカ岬」へ

「王宮」はかなり端折ったので意外に早くシントラの駅に戻ることができた。
シントラで昼食と思っていたが、「ロカ岬」(Cabo da roca)を通る12時55分発のカスカイス行きバス(403番)にかつかつ間に合うタイミング、これを逃すと次は2時すぎなので思わず飛び乗ってしまった。

バスは荒涼といっていい緩やかな丘陵地を走る。勿論舗装されてはいるのだが何か田舎のガタガタ道といった風情だ。
今日は抜けるような青空の下すべてが明るく輝いているが、もしこれが鉛色の冬空の日に来ていたらまったく違った印象だろうななどと余計なことを考える。
途中にある小さな村落には必ずバス停があったが、このバスは地元の人たちにとっても重要な生活の足であることが分かる。

バスは40分で「ロカ岬」に到着。
バス停の時刻表で次のカスカイス行きが15時前にあることを確かめておく。というのは、ここには大陸最西端を示す石碑があるだけで他に見るべきものは特にないと旅ブログで読んだからだ。
次のバスを逃して16時すぎまで待つことになるのは何としても避けたいところ。

バスを降り大西洋に向かって土を固めたような道をまっすぐ進む。もともと風の強いことで有名な所だが今日は快晴微風、絶好の観光日和だ。

断崖の先端部分が展望台になっていてポツンとくだんの石碑が建っていた。
これが日本では結構有名な石碑で、ポルトガルの詩人カモンイスが詠った詩の一節を刻んだプレートがはめられている。

「AQUI・・・、ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA  ここに地果て、海始まる」とある。
眼前に拡がる大西洋の海原を目の前にするとユーラシア最西端に立っている実感が少しは湧いてくる。

何もない「ロカ岬」だがバス停のそばに案内所兼おみやげ屋・カフェテリアが一軒あり、名前と日付の入った”最西端到達証明書”(有料)を発行していた。

バスを待つともなくブラブラしていると日本人の団体バスツアーがやってきた。団体行動で効率よく周れるのだろうがやはり何か慌しく余裕がないように見えてしまう。
気がつくとバス停にはめずらしくも中国の若者(と見受けた)が数人待っていた。勢いを増す国力の一端がこんなところにも及んでいるのだろうか。


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バス停の時刻表。殆ど差はないが平日用、土曜日用、日祭日用の三段書きになっている。



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この道の先に石碑があり、その先の崖下は大西洋だ。




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石碑の周りは大西洋を見下ろす展望台になっている。




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展望台から見下ろす断崖、そして大西洋、




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好天で観光客もそこそこ多い。




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石碑の向こうに灯台が。




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瓜二つのカワイイ親娘。


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カモンイスの詩の一節の下に”ユーラシア大陸最西端の地”とある。真ん中の紋章(シントラ市の紋章?)の下に”シントラ市議会”とあり、さらに”北緯38度47分、西経9度30分、海抜140m”と続く。



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石碑の周辺は緩やかな草原が広がり、生憎名前不詳だがタンポポに似た花が満開だった。向こうに駐車場とおみやげ屋兼レストランが見える。


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灯台の風景①




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灯台の風景②



 ■ カスカイス

3時少し前になってシントラ駅発「カスカイス」(Cascais)行きのバスが到着、これで次の目的地「カスカイス」に向かう。所要時間は約30分。

最初は海岸に近いのどかな林間道路を走っていたが、だんだんと垢抜けた別荘風の建物が増えてきてそうこうしてるうちに「カスカイス」のバスターミナルに到着した。


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バスに乗り込む中国人の若者たち。


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ロカ岬からカスカイスに向かうバス車内。



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バスはカスカイスの街中へ。結構な町だ。



「カスカイス」は東京でいえば”湘南の町”といったところだろうか。
テージョ河の河口に近い大西洋に面し、リスボン市街から20kmちょっと、海岸沿いを走る電車に乗れば僅か35分で来れる。
リスボンの町がこんな近くにこんな洒落た景勝地を抱えているのは何とも羨ましい。

元々一漁村に過ぎなかったが、19世紀に王族一家の避暑地になってから急激に姿を変え今日では海外にも名が知れたリゾート地に変身している。

平日の午後でも海岸の砂浜は地元の人間が殆どとみたが、結構人が出ていた。
海岸近くの目抜き通りはさすがに閑散としていたが、これが夏のハイシーズンなら大変な賑わいになるのだろう。
日本に戻ってここの写真を眺めていると、もっとゆったり街をブラついておくんだったという想いが湧いてくるが時既に遅しだ。

結局、4時過ぎの電車でエストリル、ベレンを経てリスボンの入口になる「カイス・ド・ソドレ」駅に戻ってきた。
それにしてもこの沿線の景色は朝のシントラ方面にも増して余裕たっぷりの優雅な家並みが続き、どうしても金庫が空っぽになっている国の景色には見えなかった。

今日の「シントラ」から「ロカ岬」そして「カスカイス」を巡る日帰り旅行は駆け足になってしまったが、まあこのくらいが丁度いいのかも知れない。それに今晩はファドを聴きに行く予約も入れてあるし・・・。


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バスターミナルから駅前を通って海岸に出るとこんな景色が広がる。



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結構磯もあり変化に富んだ海岸線だ。地元の若者の一団か。




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左方向がテージョ河河口、リスボン、正面及び右方向は大西洋。




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カスカイス市街の大通り。




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カスカイス市街風景。



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街中を少し歩いていたらリベイラ海岸に出た。




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遠景はリスボン市街の方向になる。




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左のちょっと凝った建物はカスカイス港湾管理部。




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表から見ると駅には見えない鉄道終点のカスカイス駅。


 ■ ファドハウス

地下鉄を乗り継いで5時過ぎにはホテルに戻った。軽く夕食後今夜のために9時すぎまで仮眠。ファドの予約は10時半だ。

ホテルを10時前に出る。地下鉄と例のケーブルカーを乗り継いでバイホアルト地区へ、歩いて事前調査済みのファドハウス「カフェ ルソ」に向かった。
夜の外出とあって余計なものは一切持たず最小限のキャッシュをポケットにつっこんだだけて出掛けた。用心の甲斐(?)あってか何事もなかったのは言うまでもない。

さて、「ファド」といえば、はるか昔の10代の頃に聴いたアマリア ロドリゲスの「暗いはしけ」という曲を思い出す。当時日本で上映されたフランスの悲恋映画「過去を持つ愛情」という作品の中で彼女がこの曲を歌っていた。(ここをクリック)、(別バージョン

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1999年に79歳で亡くなったアマリア ロドリゲス。


この曲自体は映画音楽扱いで必ずしも「ファド」ではないそうだが、陰鬱で切ない曲調が「ファド」というポルトガルの民族歌謡に結びつき当時日本でも結構聴かれていたと思う。
彼女は99年に79歳で亡くなったが、ファド歌手・女優としてポルトガルでは国民的人気を博し海外でも有名になった。、

「ファド」はポルトガル語圏特有の「サウダージ」(Saudade)という情感がベースになっていて、懐かしい人や故郷、昔の想い出などに対する郷愁を表すと言われる。
即ち、懐かしさ、悲しさ、やるせなさなどが入り混じったポルトガル人独特の感情を表現しており日本の演歌にも共通するものがあるようだ。


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「ファド」を聴かせる夜の「カフェ ルソ」の店。



予約の10時半には店に到着、狭い入口は結構の人でごった返している。ボーイさんにホテルの名前を言うとすぐに暗い店内のテーブルに案内してくれた。前のテーブルより30cmほど高いフロアにある席で見やすそうだ。

暗さに目が慣れてきて周りを見渡すとまだ空席が多い。入口にいたのはフリで来た人たちのようで少し遅れてテーブルにつけたはずだ。

ドリンク(ワンドリンク付きで18ユーロはリーズナブル)にポルトガルのワインをもらいしばし開演を待つ。店内はかなり広くテーブルの数も多いが特に舞台があるわけではなく、ホール中央の壁側で始まるらしい。

8時からの第一部(ディナー付き)は既に終わり、第二部は11時頃から始まった。
バックにギターを控えて歌い手が登場、最初は女性だったがその後は男性が続く。一人3曲ぐらいを歌い5人も出てきただろうか、バイホアルト地区には他にも何軒かファドハウスがあるから歌い手は掛け持ちで回っているのではないかと思う。
舞台が終了したときは12時半を回っていた。


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いずれの写真も当日のものではないがこんな雰囲気。


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伴奏は2~3人編成でバンジョーのようなポルトガルのギターとスパニッシュギターの組み合わせが基本のようでベースが入る時もあるようだ。

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バンジョーのようなポルトガルギター。



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同じくポルトガルギター。


確かに”哀愁のリスボン”というイメージにぴったりの曲が多かったのは事実だが、「ファド」には結構明るく楽しい曲調のものもあることが分かったのは新しい発見だった。

店を出るともう1時近い。なのに路は至る所で酒の入った(?)若者(学生?)に占拠されたような状態で金曜日の夜を謳歌している様子。これは避けた方が無難と店の前に待機していたタクシーに迷わず乗り込んだが、運転手もバイホアルトの夜の繁華街を抜け出すのに結構苦労していた。

後日談だが、次の日の夕方ホテルに戻ると「あなたのメガネが届いている。」とフロントで言われてビックリ。
見ると間違いなく自分の100均で買った老眼鏡だった。プラスチックのケースが滑りやすくポケットからシートに滑り落ちたのだろう、昨夜の運転手が親切にも届けに来てくれたらしい。今更お礼のしようもないのだが、こんないい話があったことをポルトガルの名誉のために記しておこう。

明日は3日目、市内最大の見所があるベレン地区に行く予定だ。

 (以下、「リスボン⑧」に続く)

 


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