リスボン①(いざ出発)
とんでもない大地震が襲ってきた時、今回の旅行の手配はすべて終わっていた。出発日は約1ヶ月後、計画どおり行けるかどうか気にしつつ、まあその頃には何とか先も見えているだろうと思っていた。
だが被災状況は日がたつにつれ、事の甚大さ、深刻さが明らかになる。特に原発事故はただ事ではなく制御不能に陥っているのを見るととんでもない事態に至るのではないかと最悪の場面が頭をよぎる。
そうこうしているうちに3月も月末が近づき最終結論を迫られる時期がやってきた。
被災地のニュースは相変わらず辛いものばかりだったが、楽観的とは思いつつこれ以上は悪くならないだろうと判断し腹をくくって出かけることにした。
とは言え余震がまだ続いていたし、若干の後ろめたさと果たして帰りも成田に降りれるかなという一抹の不安があったのも事実である。
出発当日、成田空港へ行くのに利用する成田線は地震の影響で間引きダイヤ中。
途中で何があるか分からないので平常時より1時間以上早く家を出た。確かに車窓から見る沿線の一軒家は地震でやられたのだろう、瓦屋根に青いシートをかけている家が多かった。
幸い何事もなく9時前には空港に着いてしまった。
ANAのチェックインカウンターはガラガラで出発手続は順調(出発前日に自宅PCでやってみたオンラインチェックインは中途半端で役に立たず)に進み、NH209便(ルフトハンザとの共同運航)は定時に離陸、機内は今回の震災の影響だろうか空席が目立つ。
乗り換えの成田駅、余裕を持ちすぎた(?)かも。
成田は好天、搭乗前のゲート付近からガラス越しにANAの搭乗機が見える。
フランクフルト空港には概ね予定通りの現地時間17時前に到着した。この空港はヨーロッパの拠点空港の一つ。とにかく広い。
成田からの便はターミナル1ーBに到着したがリスボンへの乗り継ぎは1ーAからのようだ。
このBからAへの移動がエラく遠い。矢印に従って延々と歩かされ一度エレベーターで地下に降りトンネルを通ってまた上のレベルに上がって歩くこと30分以上(?)か・・・、乗り継ぎ時間が短かければ焦ること必至だ。
ようやくAに着いたがリスボン行きはAとあるだけでゲート番号が出ていない。Aのゾーンだけでも数十のゲートがあるのでゲート番号によってはさらに相当歩かねばならない。しょうがなく案内画面の近くで表示が出るのを待つこと暫し、結局出発30分前になってA30と出てようやく本来の搭乗ゲートに辿り着いた。
フランクフルト発リスボン行き乗り継ぎ便の案内画面。 19:10発でリスボン行きが出ているのだが、ゲート番号の表示がなかなか出ない。広大なターミナル1-Aのどこへ行けばよいのか・・・やむを得ず表示が出るまでこの辺をウロウロ、日本ならこんなことはないはず。
案内画面そばのA26辺りで網を張っていたら出発30分前になってようやくリスボン行きはA30と出てそちらへ移動。
どんより曇の日没が間近のA30ゲート待合室。ガラス越しにポルトガル航空の機体が見える。
■ リスボン到着
フランクフルトで乗り継いだポルトガル航空(TP)機は約3時間後の21時すぎ、予定より少し早くリスボン空港に着陸した。この時間帯は11時頃まで各国からの到着便が相次ぐ。
EU内への入国審査はフランクフルトで済ませているので何のチェックもなく、荷物も開けられることなくピックアップできた。到着ロビーに出ると観光案内所が目に入る。早速市内地図をもらいTaxi乗り場へ。
若干の行列ができていたがすぐに順番がきて運転手さんに荷物を乗っけてもらい行先のホテルの名前を告げる・・・ところがなかなか通じない。有名ホテルでもないし偶々英語名のホテルだったせいもあるのだろうか、そこでホテルがある通りの名前を言うと今度はあっさりと判ったようだ。
こちらの住所の付け方が日本(は番地システム)と違って道路の名前+番地だから通りの名前が判れば見当がつくのだろう。
さて、空港からエドゥアルド7世公園そばのホテルまでは直線で約5kmほど、さすがに都会の宵の口で車の流れは結構激しい。車中を利用して自分の話がどのくらい通じるのか通じないのか運転手に拙いポルトガル語混じりのスペイン語で話しかけてみた。
最近の天気を尋ねてみるとこのところ良い天気が続いていて今日の昼間は26℃あったという。さらに彼は10年ほど前にブラジルのミナスジェライス州から家族で移ってきたと言い、生活は楽ではないが街がキレイなので気に入っていると話してくれた。半分は推測だが何とか通じるようで内心ほっとする。
リスボン空港に着いたポルトガル航空機(TP579便とNH6735便の共同運航便)、最近あまりなくなったタラップを降りてバスで到着ターミナルへ。21時すぎだがさすがに帳はおりていた。
ターンテーブルに出てくる荷物を待つ。成田で預けた以降ノーチェックで手元へ。
今回のホテルは自宅のPCからネットで予約していただけなので一抹の不安もあったが、フロントのお兄さんは英語は勿論スペイン語もペラペラ、画面で予約をチェックしていたがすぐに部屋のカードキーを渡してくれた。今やホテル予約はネットが主流なのだろうか。
事前の情報ではこのホテルは造作はやや古いが立地・環境がよくコストパフォーマンスがいい・・・というものだったが、さてどんな部屋だろうと期待不安半々であてがわれた5階(日本流では6階)501の扉を開けた。
暗い壁のカード受けにキーを挿して明かりをつけると薄暗い光の中に簡易なベッドに机と椅子があるだけの殺風景な広い部屋が浮かび上がった。まさかこれだけではないだろうなと思いつつさらに奥に進むと左にバスルーム、突き当たりは大きなダブルベッドが入った本来の部屋になっていた。
勿論必要な家具調度品は問題なく備わっておりスペースも十分だ。これならあの値段ではまずまずだろうと一安心する。それにしても最初の部屋は何なのか?まあ控の間と思えばいいか・・・。
今の時刻は当地23時だが日本時間ではすでに朝の7時、徹夜明けの状態だが神経は昂ぶっていて頭は冴えている。すんなり眠れそうもないが明日は朝からスペインへ移動する時の切符購入などで市内を動き回る予定なので荷物の整理もそこそこにベッドに潜り込んだ。
部屋のドアを開けるとだだっ広い”控の間”が・・・、さらに奥に進むと通常のバスルーム、寝室があった。
奥の寝室。大きなダブルベッドを一人で占用するのは快適。
今やどこのホテルでも薄型テレビになっているが、今回泊まった4軒のホテルはどこも韓国のLG電子製。韓国製品の浸透ぶりは驚嘆に値する。
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