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9.アンティグア生活つれづれ③(マヤ音楽博物館他) [グアテマラ アンティグア]


アンティグアに住んでみて:マヤの音楽博物館 ]

ラ アソテア文化センターのコーヒー博物館については前回触れたが、その隣に「Casa K'OJOM」と呼ばれるマヤの音楽博物館が併設されている。

マヤの無形文化遺産とも言うべきマヤ民族音楽を中心に彼らの祭事・風俗などに関わる展示品を見れるほか、ミニシアターでは伝統的なマヤ族の祭りや生活の様子も映像で観ることができ珍しい体験ができる。

タイミングよく10人ぐらいのグループに加わって見学開始、民族衣装の女性がゆっくりした歯切れの良い西語で説明してくれる。一回り30~40分ぐらいか。

今回訪れたのはスペイン語学校の課外授業としてで西語のヒアリングとマヤ文明の文化理解の一助になるからというもの。しかし、必死に耳を傾けても分からないものは分からず断片的にしか聞き取れない。まだまだ先は遠いことを再認識。

展示されているのは、巻貝から作ったほら貝、セラミック製のオカリナ、木を削って作っただろう縦笛や横笛、カメの甲羅を空洞にした小太鼓、ヤギの皮を張った大太鼓、木箱を手で敲く太鼓、小さいひょうたんの種を残して乾燥させた(?)マラカス、各種のマリンバ、さらには名前の聞き取れない原始的な楽器もあったが、案内してくれた女性がすべての楽器を吹いたり,敲いたりして音色を聴かせてくれた。

・・・が、昔マヤの人々が奏でていたリズム・メロディーがどんなものだったのかは分からない。
スペイン人が入ってくる前の時代の楽譜は勿論、記録もないため実際のところはよく分からないようだ。
いずれにしても、なかなか面白い博物館だった。もしアンティグアに行くことがあれば必見だ。



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「マヤ音楽博物館」(Casa K'OJOM)に通じる入口。





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左に行くと「Casa K'OJOM」の音楽博物館、右はコーヒー博物館の案内板。



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館内を案内してくれたグアテマラ美人のお嬢さん。幾つかの小部屋に分かれたディスプレイは勿論、マヤの民族音楽に使われていた各種の楽器(打楽器が多い)を実際に演奏しながら親切に説明してくれる。

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マヤ文明は、グアテマラを中心に、北は今のメキシコ チャパス州、ユカタン半島、南はホンジュラスまで拡がっていた。それはピラミッド遺跡の存在が証明しているといい、22の多種言語が共存するむしろ統一感のない国だったようだ。

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ガイドの説明に聞き入る人達。展示室は基本的に暗くしてスポットライト効果を高めているので写真の撮影は辛い。

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貝殻(大型の巻貝?)から作った楽器をを吹いてくれた。音色はほら貝そのもの。

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左腕でカメの甲羅を下にして抱え、右手に持ったスティックでお腹の部分を敲いて音を出す。



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木製の箱(?)を手のひらや指で敲く。



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羊の皮を張ったタンボール(太鼓)を叩いてくれた。



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携帯しながら敲く縦型のマリンバ。



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背中にしょったマリンバ。




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いわゆるマリンバ。恐らく植民地時代に入ってからのものだろう。



[ アンティグアに住んでみて:食のこと ]

わずか1ヶ月だったが、グアテマラの田舎町、それも現地の家庭にホームステイさせてもらった。
昔南米の国で生活した経験があったので日常生活であまり困ることはなかったが、こちらが歳をとったせいかちょっとしたことで戸惑うこともあった。

しかし、食に関していえば、下宿した家庭はこの国では中の上レベルと思うが、毎日外国からの語学生を相手に食事を提供しているせいだろう、無国籍な料理(野菜・果物・卵・鶏肉・パンなどが中心)が出ることが多く内容についてはあまり問題はなかった。

時にはトウモロコシの粉から作ったトルティージャやフリホーレス料理(frijores:煮たインゲンマメをつぶしたもの、甘くはない。)、タマル(tamal:とうもろこし粉の皮にトマトソースで煮込んだ鶏肉や野菜をくるみ、バナナの葉で包んで蒸したチマキのようなもの。)なども出してくれて定番の地元料理も楽しめた。

トルティージャは地元ではパン代わりの主食なのに最近は自前では作らなくなっているらしい。というのは、この町では日本のコンビニのようなティエンダ(Tienda:元々店という意味)と呼ばれる小さな雑貨屋がここそこにあるのだが、昼時になると店の一角に蒸かし器が置かれてホカホカのトルティージャが売られているからだ。

直径15cmぐらいのやつが3枚で20円ほどだからトウモロコシ粉から手間をかけて作るよりは店で買った方が楽ということか。
12時に学校が終り下宿に戻る途中で何枚か買って帰り、小腹がすいた時に別途買っておいた唐揚げなどを包んで食べたことを思い出す。


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ある日の下宿の朝食。フルーツジュース、フルーツサラダ付きスクランブルエッグにパンとカフェオレという今風の健康的なもの。


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真ん中の赤い看板が付いた店は焼き鳥屋でここで唐揚げを買った。戸口上に付いている看板を見ると何屋さんか分かる。画面の右隣は宝石・時計店、焼き鳥屋の左隣りは会計事務所の看板、さらにその左は印刷所のようだ。この町の商店街では防犯上の理由なのか、このような入口の狭い店が普通で閉鎖的な印象を与える。


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ある食堂で出てきたホカホカのトルティージャ。



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定食屋の入口横でトルティージャを焼いていた。焼き上がったら蒸篭(せいろ)で蒸かして出来上がりだ。


   [ アンティグアに住んでみて:アイスクリーム ]

ところでアンティグアで感激したことの一つは旨いアイスクリームに出会えたことだ。
「Café Condesa 」というレストランのアイスクリームは秀逸だった。ほかの店でも旨いのかは定かでないが、とにかくこの店のアイスクリームは原料の牛乳と卵黄の味が絶妙で、甘すぎずくどすぎず何か懐かしい上品な舌触りは今でも時々思い出す。

同宿の滞在歴の長い若者が連れて行ってくれたその店は中央公園に面した本屋を通り抜けその奥にあった。
表通りから20mも入ると小ぶりのパティオがあり、庭の部分とそれを取り囲む回廊部分がカフェになっていて雰囲気もいい。

最初に行ったときはコーヒーと普通盛りのアイスクリームを頼んだのだが、その旨さが忘れられず後日再度出かけ、ドブレ(ダブルの意)を注文し心ゆくまでその味を堪能したものだ。
これも、アンティグアを訪れることがあったら絶対に外せない穴場だ。

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最初に食べた時の普通盛りのアイス。とにかくミルクと卵黄が絶妙なバランスでねっとりしているがそれでいてくどくなく昔の懐かしい味にすっかり感激。


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前回食べた時の味が忘れられず日を改めて二回目に挑戦、ダブル(ちょっとしたドンブリだ!!)を注文。これでも400円もしない、その安さにまたまた感激。パティオの席で。


   [ アンティグアに住んでみて:生活インフラ ]  

 海外に出ると日本の日常生活があまりに居心地が良く、便利で快適なことに改めて気づかされる。
とにかくあの暖かい便座と柔らかくて上質なティシュペーパーの肌触りが懐かしくなるのは、歳を取ったせいだけではないだろう。

日本の生活の質が今のように高くなったのはそんな昔でもないが、そのせいで日本人が過保護になっているのはやむを得ないことかも知れない。最近の日本の若者が外国に出たがらないのはそのせいだということを聞くにつけ、こちらで生活してみると確かに彼我の差を感じる。

滞在していた部屋の壁には節電の張り紙があったから家主は電気の無駄遣いに相当気を使っていたようだが、この国では今の時代でも偶に停電がある。
恐らく電力供給能力がかつかつで余裕などはないから、ちょっとした故障が起これば即停電ということになるのだろう。

シャワー(普通バスタブはない。)を使っているときに停電があるとポンプが止まって水が出なくなったり、簡易なシャワーでは電熱線で水を温水にしているケースもありお湯が水しか出なくなる時もある。
下宿のメインのシャワーはガス(プロパン)を使っていてタンクにお湯を貯めておく方式だったので、停電でなくても二番手で入るとお湯が途中で切れてしまうこともままあった。

水事情も全く同根で貧弱な上下水道設備を騙しだまし使っているのだろう。恐らく上水道はポンプ能力不足、下水管は管径不足で時折水圧低下や管づまりなどの問題を起こしていたようだ。(とは言えアンティグアの街中は普通に水洗トイレが普及している、念のため)

僅かな経験でモノを言うのも憚るが、グアテマラの1人当たりGDPは  3800ドル(参考ながら日本は 36,000ドル台、IMF統計)程度だから電気・水道・ガスなどの生活基盤は勿論、もっと幅広い社会システムに問題を抱えているのはむしろ当然かも知れない。
日本にいると当たり前のことが、本当は当たり前でないことに気づかされた滞在だった。


 ( 以上でこの旅記録は終りです。)


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8.アンティグア生活つれづれ②(サッカー他) [グアテマラ アンティグア]



 [アンティグアに住んでみて:サッカー ]


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アンティグアのサッカー場(ペンサティーボ市営スタジアム)のピッチ。収容能力8,000人だがこの日の観客数は2~3千人といったところか。バックスタンド側から。
影。

グアテマラのサッカーは最近のFIFAランキングで90位(日本50位)だからそんなに強くはないが、それでも国内リーグ(1部は12チームで構成)がありシーズン中は毎週試合が行われている。

アンティグアにも「アンティグアGFC」という地元プロチームがある。1部(リーグ)と2部を行ったり来たりの状況で残念ながらあまり強くはない。
だから国内で優勝したことはないが2001年に唯一1回だけ準優勝の記録が残っている。

ところで、アンティグアの町にも小さいながらサッカー場はある。
そのことは出発前に見たブログで知っていたので是非そこで試合を見たいと思っていた。

現地に来て西語のクラスで聞いてみると、「毎週ではないが、普通日曜日の昼間にやっているはず」という情報があった。
ある土曜日街に出た時に観光案内所で聞いてみたところ、応対の男性は「明日の日曜は試合があるよ。」と言う。

早速、サッカー場の場所を地図で調べると先日スペイン語の課外授業で行ったコーヒー農園(ラ アソテア)の手前にあり、歩いても30分ぐらいで行けそうだ。

日曜は休息日だから下宿にいても食事のサービスはない。
それなら早めに街に出て朝食をすませ、それから11時キックオフの会場に向うという計算で下宿を出た。
朝食はセントロに近い一度入ってみたかったレストランに決め寄ってみたまではよかったがちょっと甘かった。

立派な門構えの店でちょっと入りずらいところもあるが、とにかく中に入ると大きなパティオがありテラス席でも食べられるようになっている。
日曜の朝ということで遅めの朝食を楽しんでいる観光客などで結構混んでいたせいか、頼んだパンケーキのセットがなかなか出て来ない。

結局朝飯を済ませるのに思わぬ時間を食ってしまい、急いでサッカー場に向かったものの、 ”ペンサティーボ(PENSATIVO)"という名の付いた市営のサッカー場には遅刻、すでに試合は始まっていた。



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あるレストランのパティオ(中庭)にあるテラス席。




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中庭に面して回廊があり手入れが行き届いた緑もセンスがいい。


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どこの国も同じで贔屓チームのユニフォームを着た連中の後を追えば間違いなくスタジアムに辿り着く。
隣り町のホコテナン(Jocotenango)に向う街道から右に入るとそれらしき建物が見えた。




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正面にペンサティボ市営スタジアム (Pensativo Estudio Municipal) とある。並んだ切符売場はPreferente (優先席、バックスタンド) とGeneral (一般席、ゴール裏) の窓口で、前者30Q(約400円)、後者は25Q(約300円)だったので前者を購入。因みに名前の"Pensativo"とは「物思いにふける」とか「考え込んだ」と辞書にある。これが市営サッカースタジアムの名前なの!? よく分からんが別の意味があるのかも・・・




ピッチはサッカー専用、全面天然芝で手入れもよく思いのほか本格的だ。一方観客席はコンクリート製の階段が座席、個人シート席ではないが天気さえ良ければ観るには支障はない。昔の日本もこうだった。

周りを見渡すとご多分に洩れず熱心なサポーター風の大人が圧倒的だが、子供(時に犬連れ?も)を連れた家族も結構見かける。
日曜日の昼時、家族皆でのんびりアイスを舐めながらのサッカー観戦、そんな風景はアンティグア住民の普通の生活なのだろうか ? 新しい中産階級が増えているのかも知れない。
とに角、どこの国に住んでいても休日の過ごし方などはあまり違いはないのは確かなようだ。

後で調べると「アンティグアGFC」はこのシーズンは2部所属で、相手サカチスパとは実力差があったのか、それともホームゲームのせいだったのか、スコアは6-1の大勝だった。



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地元チームのユニフォームは緑に白の縦縞カラー。こちらから見るゴール裏の一般席は結構埋まっている。


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目の前で一人のプレーヤーが負傷、しばし立ち上がれず試合は中断。



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地元チームがゴール!!!  立ち上がりタオルを振って大喜び、いずこも同じだ。空にはあらかじめ用意していたのだろう紙吹雪が舞い上がった。




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スタンドではおばさん、娘さんの売り子がスナック菓子やアイスを売りに来る。




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アイスで一杯の箱を抱えたおばさん。左側にいる家族ずれの子供がアイスをねだっている(?)。



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犬にまでユニフォームを着せた若いお父さん(?)。



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供(?)に見える売り子さんも。



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バックスタンドのスコアボード。前半を終わってアンティグア(Antigua)対サカチスパ(Sacachispa)戦は5-1の大差、この後6-1で終了。



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試合は終了、勝ち試合に満足げな雰囲気で出口に向かうサポーター。


(以下、「9.アンティグア生活つれづれ③」に続く)


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7.アンティグア生活つれづれ①(コーヒー農園) [グアテマラ アンティグア]

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コーヒー農園(フィラデルフィア農園)の正門。
門をくぐると山すそまで続く広大な敷地にコーヒー畑は勿論、収穫後のコーヒー豆の精製施設、乾燥場、製品倉庫、テイスティングルーム、売店、レストラン、ホテルまで揃っている。





 [ コーヒー農園 ]

日本人が”グアテマラ”と聞いて何を思い浮かべるだろうか、中米にある"国の名前"というよりも”コーヒーの銘柄”を思う人が多いのではないか、むしろコーヒー以外思いつかないというのが普通かも知れない。

グアテマラコーヒーは甘い香りと芳醇な風味で特に日本人好みの豆として意外に人気があると聞く。                  

人によっては”ティカル(Tikal)遺跡”を挙げるかもしれない。メキシコ国境に近いユカタン半島南部にあるマヤ文明の大規模遺跡なのだが、将来もっと有名になればこの国の”代名詞”になるかも知れない。今はまだそこまではいっていないが・・・。

images[4].jpgティカル(
Tikal)遺跡のⅠ号神殿。




さて前にも少し触れたが、アンティグアはグアテマラの中でもコーヒーの名産地なのである。

それは、1,500m(産地標高1,350m以上が最高級品質と言われる)の標高があって昼夜の寒暖差があること、周辺の火山起源の火山灰質土壌はミネラル分が豊富でコーヒー栽培に適していること、雨期と乾季があって適度の降雨量があることなど、良質なコーヒーが育つための自然条件がそろっているためでまさしく神のおぼし召しだ。

アンティグアの周辺にはコーヒー農園(フィンカ:Finca)がいくつかあるようだが、今回の滞在中に2か所訪ねることができた。

最初に訪れたのは旅行社に申し込んで見学できたフィラデルフィア農園。
キャノピー型(ジープ型)のトラックで市内から送り迎えしてくれて農園では専任のガイドがきっちり案内してくれた。

もう一つは、ラ・アソテア(La Azotea)という総合文化施設。
ある日スペイン語の授業にいくと先生が「今日は天気が良いから課外授業にしましょう。」と言ってセントロから専用のシャトルバスで連れて行ってくれたのがここだ。街の中心から北西に約3kmほど、フィラデルフィア農園とも近い。

内部に
コーヒー博物館や民族音楽博物館などがあり、こじんまりだがしっかりした内容でガイドの説明も丁寧で好印象だった。隣接してコーヒー畑と精製所があり商業生産も行われている。


以下、写真で農園でのコーヒー栽培と精製のプロセスを追ってみよう。


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朝フィラデルフィア農園から迎えにき
てくれたキャノピー型トラック。一緒の見学者もいるのではと思っていたがこの車に乗ったのは我々だけ。


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こちらは総合文化施設「ラ アソテア」を往復している専用の小型シャトルバス。




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ラ アソテア構内のコーヒー精製所入り口。




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右に行けばコーヒー博物館の案内。




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コーヒー博物館では大きなパネルを使って男性ガイドが説明してくれた。まずコーヒーの起源・変遷などを話した後、世界の生産量と品質の説明が続く。彼のスペイン語は歯切れがよくゆっくり話してくれるのでスペイン語学習者には格好だ。


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生産量はブラジル、ベトナム、コロンビアが御三家でグアテマラは8番目で多くないが、品質的にはエチオピア、ケニヤに続いて3番目に品質が高いのだそうだ。(コーヒー博物館)





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ガイドが手に持っているのはプランターに入ったコーヒーの苗木。説明を聞いているのは10人ぐらい、学生風の若い女子や年配のカップルもいた。彼らはどこから来ているのか?スペイン語の説明だから他の中南米から来た人たちか?それともアンティグアでスペイン語を勉強している欧米の学生?。(コーヒー博物館)




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壁面一杯に張られたコーヒー育苗場の写真の前でガイドの熱弁が続く。
コーヒーには香りが良く高品質だが根が弱いといわれる「アラビカ」種と品質はやや落ちるが根が強い「ロブスト」種があるが、ここでは苗木にするときに接ぎ木をして根の強いアラビカ種をつくり出しているという。グアテマラコーヒーは勿論アラビカ種が主流、だから高品質だというわけだ。(コーヒー博物館)




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次の部屋では分かり易いパネルを使って生豆から焙煎されたコーヒーへ姿を変えていく過程を説明していた。当然ながら段階を経るたびに量は減っていき最終の実収率は低くなる。(コーヒー博物館)



 [ コーヒーの実からコーヒーができるまで ]

ところでコーヒーの実は熟してくると緑色から赤い色に変わってくる。ちょうど北国のナナカマドに似ている。
コーヒー豆になるのは種子の部分(正確には胚乳と胚芽を合わせた部分)で、それを取り出すためには覆っている果肉と内果皮を剥かなければならない

人の手で収穫されたコーヒーの実は工場に運ばれ、まず機械で果肉が取り除かれる。続いて内果皮を取り除き易くするため発酵槽と呼ばれる水槽に1~2日漬けられた後入念に乾燥(天日乾燥なら1~2週間、機械の場合は1日)され、さらに脱穀機に似た装置で内果皮が取り除かれてコーヒー豆(生豆:ナママメ)になる。

その後機械で
サイジングされ、豆の色を基準にしたおばちゃんたちの手選を経て最終的に品質等級別の生豆が出来上がる・・・というのが精製の大まかな流れだ。

生豆は英語でGreen Coffee、西語でCafé Oroと呼ばれ、焙煎する前のこの状態で輸出されるのが普通。
高品質の豆は殆どがアメリカや日本など世界の消費地に輸出されてしまいこの国ではまずお目にかかることはないという。

コーヒー豆の流通は、世界の4大流通業者が占めていて生産者の立場は歴史的に極めて弱く収益の取り分も小さいという。これは、国際農産物を巡る先進国(消費国)と新興国(生産国)との間の深刻な経済格差問題(南北問題)の一つと言われているがその解消は遅々として進んでいない。

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農園内の移動はこのキャノピーで。(フィラデルフィア農園で)



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コーヒー育苗場。(フィラデルフィア農園で)




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一部が赤く熟してきたコーヒーの実。摘み取りは近隣の人たちが雇われているのか、外部からの季節労働者なのかはっきりしないが、
完熟した実をひと粒ひと粒手摘みし、幾段階もの精製過程を経てわれわれが口にするコーヒーになるわけだ。この手間のかかり方を知ると味わいも一味違ってくる(?)。(フィラデルフィア農園で)



images[1].jpg日本の北国で見かけるナナカマドの実、見かけはコーヒーの実にそっくり。




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付きっきりで親切に案内してくれたフィラデルフィア農園のガイドさん。名前を失念してしまったが大学では獣医学を勉強したと言っていた。彼の説明を聞き取ろうと必死に集中するが頭が疲れてヘトヘトに。




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コーヒーの実を摘んでいたオジさんたちと立ち話。(フィラデルフィア農園で)



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コーヒー実の摘み取り作業。コーヒーの木自体は2m程度だが日の直射を嫌うために日陰を作る高木(確かユーカリといっていた)が配置されている。(フィラデルフィア農園で)



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園内風景とコーヒー摘みの作業員、女性もいるようだ。(フィラデルフィア農園で)



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精製の手順をパネルを使って説明。(コーヒー博物館で)




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発酵槽を経て洗浄された内果皮付きコーヒー豆が樋を水流で運ばれてくる。この後は乾燥工程。(フィラデルフィア農園で)


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まだ内果皮が取れていないコーヒー豆。(フィラデルフィア農園で)




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天日干し中のコーヒー豆について説明。(ラ アソテアの乾燥場で)



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膨大なコーヒー豆が畝状に並べられている。これを日に何度か人力で撹拌するとなると結構大変な作業だろう。基本的に乾季の作業とは思うが不意の降雨が来たらどうしているのだろうか。聞き漏らしてしまった。(ラ アソテアで)




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フィラデルフィア農園の乾燥場。



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製品倉庫に展示されていたコーヒーの麻袋。CREEN COFFEEとあるが多分生豆の意だろう。その上にYOKOHAMAの文字が見える。横浜港に行くのだろうか?一袋の重量は150LBS(ポンド)で70kg弱。(フィラデルフィア農園で)





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片隅にあった出荷前の最終製品。(フィラデルフィア農園で)





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一部は焙煎して売店でお土産用に小売されている。(フィラデルフィア農園で)



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テイスティングルーム兼コーヒーショップ。(フィラデルフィア農園で)



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最後にテイスティングルームの片隅で当園産コーヒーのサービスがあった。
香り、酸と苦みのバランスはさすがだったが、焙煎が浅い感じの所謂アメリカンコーヒーですっきりしているものの、当方にはやや物足りなかった。まあこの辺りは人の好み次第だから致し方ないところ。グラスの水はテイスティングのときの口すすぎ用だそうだ。


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コーヒーショップそばの芝生の庭。ここではホテルやレストランなども備えていてアグリツーリズムに力を入れている。

 (以下、「8.アンティグア生活つれづれ②」に続く)

 


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6.マヤ族の里③(サンティアゴへ) [グアテマラ アンティグア]

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パナハッチェルの桟橋、ここから対岸のサンチャゴ アティトラン村に向う。湖に面して幾つかあるマヤ族の村の中では一番大きいという、画面のほぼ中央、火山と火山に挟まれたあたりにその村はある。


  [船でサンティアゴ村へ]

一夜明けて天気は前日よりさらに好転、
穏やかな観光日和となった。
ホテルの朝食は蒸かした薄いトルティージャ(主食)にフリホーレス(インゲン豆料理)やスクランブルエッグなどが付いたグアテマラ定番のものだったが、食事もそこそこに早めに湖岸の渡船場に向かった。

というのは昨日の情報では8時半にサンティアゴ行きの便があると聞いていたからだ。しかし桟橋には時刻表などはなくどうもはっきりしない。客が集まれば出るといった雰囲気だ。
誰が船の関係者なのかもよく分からなかったが、桟橋の近くでそれと思しきオジさんに「この船はサンティアゴに行くのか?」と聞くと「そうだ、とにかく乗って!」という。その場で30ケツアル(400円ほど)を払い乗り込む。

後で気づいたのだが、桟橋のそばでオジさんが、「サンティアゴ、サンティアゴ行きだよ!」と大声を張り上げていた。朝は余裕がなくてそれが耳に入らなかったのだろう。

船は屋根付き大型のプラスチック製ボートで15人前後は乗れるだろうか。
周りを見渡すと旅行者らしき乗客もいるが地元民もちらほらいて船首には生活物資の積荷も見える。本来は湖岸に住む地元民の足代わりらしく時間帯によっては商用や通勤通学の乗客も利用しているのかも知れない。

そこそこの乗客数に達したのかすぐ出航となった。時計を見るとまだ8時半少し前だ。
桟橋を離れるとすぐにエンジン全開、スピードを上げて一直線に対岸のサンチャゴの村(Santiago Atitlán)へ向かった。真っ青な快晴の下、紺碧の湖面に優美な火山群が映える素晴らしい景色が拡がった。

正面左手前にトリマン火山(Volcán Toliman 3,158m)、その後ろに重なるようにしてアティトラン火山(Volcán Atitlán 3,537m)の頭が見え、右にはサン・ペドロ火山(3,020m)の美しい円錐形が控えまさしく絶景だ。

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ホテルの朝食。主食の蒸かしたトルティージャ(Tortilla)やフリホーレス(Frijoles、煮たインゲン豆をペースト状にしたもの、甘くはない)はグアテマラやメキシコの朝食には絶対に欠かせない。

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出発直前の船内、船尾には何やら生活物資が積まれている。



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出航するとすぐに眼前にカルデラの外輪山が拡がる。正面はサン・ペドロ火山(標高3,020m)



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手前にトリマン火山(3,150m)、その後ろのアティトラン火山(3,537m)が重なって見える。



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船が進むに連れて山の見え方が変わるのは面白い。この辺りでは三つに見えるが手前はトリマン火山の前峰のようだ。




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対岸が近づいてきた。そろそろ到着。




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30分ほどでサンチャゴの船着場に到着。



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船を下りて出発してきたパナハッチェル方面を振り返える。サンチャゴ村は湖の南側、入り江の奥まったところにある。



 [ サンチャゴの市場 ]

およそ20kmの船旅、思っていたほど時間はかからず30分足らずでサンティアゴの桟橋に着いた。
先住民の村というがそこそこの大きさで、街は左右の火山に挟まれるようにして湖岸から奥に拡がっている。

下船して早速散策開始、桟橋近くに集まっているお土産屋街を抜けると緩い上り坂が続いている。
メインストリートのようだが、もっとマヤ族の街らしい家並みを勝手に想像していたのだがそれは多分昔のこと、今は舗装道路とコンクリートや石造りの建物が続いているだけのこと、何の変哲もない。

見所がないかとさらに進むと左折する道に大勢の地元民が集まっているのが見えた。
一見カトリック教会の行事か何かに見えたが、よくよく見ると道路に屋台が並ぶ露天市場のようだ。店は細い道沿いに奥の方まで続いている。
早速行ってみることにした。

そう言えば今日は金曜日、週2回の大きな市がたつ日に当たっているのだろう、かなりの人出だ。店の人は勿論、歩いている客も殆どが地元のマヤの人達ばかりで外国人の旅行者などはちょっと場違いの感じもする。

しばらく進むと左手に学校、さらに奥に教会があり、市は学校の周辺の道路、小広場一帯にびっしりつながっていた。例によって生活雑貨、衣料品の店が多いがここの市では野菜・果物の露天が沢山目に付く。


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船着場からメイン道路を上ってきて振り向くとこんな景色。普通の田舎町の風景だ。



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右手は学校、その前の広場、周辺の道路は露天がいっぱい、手前はアボガドを野積みして売っていた。



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別の野菜・果物店、種類も豊富で食生活は安定しているようだ。



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路上に並べるだけの店も多いが品物は意外にキチンとしている。





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奥まったところに、フランシスコ系と言われるあまり装飾のない白い教会があった。




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近くに寄るとそれなりに大きく、この村の規模からすると立派なものだ。アティトラン湖周辺のマヤの世界ではキリスト教とはるか昔から続く土着宗教が融合してマシモンまたはサン・シモンという像を祀る民間信仰が盛んでサンティアゴ村はその中心地の一つとして有名。



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午前中の市場で目立つのはやはり地元のマヤ系女性たちだ。



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若い主婦(?)らしき女性たちの後姿。縦じまのウイピル(Huipil:女性用ブラウスで頭からかぶる)と落ち着いた色の細い縦じまのコルテ(Corte:腰布、スカート)を着用している。女性がお洒落に気を使っているのはどこも一緒のようだ


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後姿その2、凝った刺繍の幅広の帯(状の織物、ファハ:Faja)を腰や首に巻いたりしている。



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彼ら独特の極彩色の織布が並べられている店先。これらの織布をどう使われているのだろうか、タペストリー? ショール? 首巻? ベルト? 店内には日本人にも合いそうなやや地味なものもあるにはある。
以前は天然染料を使った綿糸の手織りで味わい深かったようだが、今は化学染料によるアクリルやレーヨン糸を機械織りしたものが殆どで安価だが深味という点では劣るようだ。





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店で相手をしてくれた女性。


 
 

  [ 帰途 ]

市(イチ)は本来の商店街とその前の道路やちょっとした広場を占拠するように並ぶ露天の店からなっている。
従ってこれらの店を見て歩く通路はすれ違うのが難しいほど狭い。そんな狭さのせいもあるのだろうがどこも年末のアメ横状態で活気を感じる。
平日の午前中だからか市に来ているのはマヤ族系の女性が殆どで、外国人の観光客などはついぞ見かけない。
とにかく市をのぞけたことで彼等の生活ぶりを身近に感じることができ、ここまで来た甲斐があったというものだ。

前日にチチカステナンゴで見たのと同じ色彩の洪水にここでも圧倒されたが、活気に満ちた市場や店に並ぶ物資の豊富さなどを見ているとそれはそれで存外豊かそうに見える。確かに我々が当然と思っている都会の生活とはかけ離れているところもあるが、彼らの価値観では十分満足できる暮らしが出来ているということなのだろう。

市場を出てから朝来た時と違うルートでブラブラ下り船着場まで戻ってきたがまだ11時前。
そうこうしているとパナハッチェルからのボートが到着した。すぐ折り返し便になるらしく船頭たちが盛んに客を呼び込んでいる。
今度は余裕をもって乗船、ボートが湖の中央に出ると風が結構強く湖面は波立っていたが無事パナハッチェルに戻ることができた。

街中で昼食を済ませた後、予約していた帰りのシャトルバスにピックアップしてもらいアンティグアに向かった。
バスは順調で16時前にはアンティグアのセントロに近い例の旅行社前に到着、こうしてマヤ族の里を巡る今回の一泊二日の旅は無事に終わった。


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市場を出て船着場に戻る途中で出会った欧米人観光客のグループ。



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船着場に戻ってきた。バックはサン・ペドロ火山。



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ちょうどパナハッチェルからのボートが着いて乗客が上陸してくる。右手前は客集めの船頭(?)

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帰りの船中。サンチャゴを出て途中立ち寄った船着場、町から外れて岸辺の一軒家(別荘?)に住む住人をピックアップ(?)するらしい。


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サンティアゴを出てしばらくは右手湖岸いにポツンポツンと別荘風の住居が見える。よくこんな所に住んでいるものだ。



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さらに別荘風の住居が続く。



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湖の中央まで出てくると湖面はやや波立っていた。



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ボートの窓にはガラスはなくしぶきが飛んでくる。



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パナハッチェル近くまできて振り返ると、トリマン火山、アティトラン火山の頂上には少し雲が出ていた。



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戻った船着場そばの湖岸道路、多少の店が並んでいるがのんびりしたもの。


  
(以下、「7.アンティグア生活つれづれ」に続く)


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5.マヤ族の里②(アティトラン湖) [グアテマラ アンティグア]

 
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アティトラン湖の俯瞰図。左下手前にパナハッチェルの町、対岸にサンチャゴ アティトラン、湖岸沿いには数多くのマヤ族集落がある。


 [湖畔の町、パナハッチェルへ]

同乗してきた人たちも駐車場に戻っていてシャトルバスは予定どおり14時半にチチカステナンゴを出発、アティトラン湖畔にあるパナハッチェル(Panajachel)の町に向かった。
当初しばらくは高原状の景色の中を走っていたが右側遠目に湖が見え出すと次第にジグザグの急坂を下り始めた。水面レベルまで下りきってほどなくパナハッチェルのバス停に到着した。所要時間1時間ちょっとか。

この湖は標高1,500mあたりにあり、面積が十和田湖の2倍、水深も320mもあって典型的なカルデラ湖の形状だが、まさしくそのカルデラ内側の急斜面を下ってきたということだ。
チチから標高差500mを下りたことになり何となく体で感じていた感覚とも合う。


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チチの駐車場。グアテマラシティあたりから観光客を乗せてきたシャトルバス(大型のバン)が数多く待機中。三々五々乗客が戻ってきているようだ。



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カルデラ内側の急斜面を下っていると天気が次第に回復し、サン・ペドロ火山をバックにしたアティトラン湖の眺望が拡がった。


標高差のせいなのか、丁度天気の変わり目だったのか分からないが、パナハッチェルに着いた頃には青空が広がり出し気温も上がってきて劇的に天気は良くなっていた。チチのあの霧雨と冷え込みは一体何だったのだろう、大違いの天気だ。

バスを降り歩いて予約のホテルに向かう。町は人口2万弱、緑も多く落ち着いていて鄙びた避暑地といった風情だ。ただし閑散としていてシーズンオフのリゾートを思わせる。

それにしても "パナハッチェル" という町の名前はこれまた何か独特の響きがある。この辺りはチチカステナンゴとは違うカクチケル族という人達の勢力圏だったそうで、彼らの言葉でサポテという果物の木がある場所という意味とのこと。

日本ではそもそもアティトラン湖自体も、この辺りに点在するマヤ族の村落など殆ど知られていないだろうが、普通の観光(地)では飽き足らなくなっている向きには格好の穴場かも知れない。

旅行社が取ってくれていた宿は中央にパティオがある静かなB/B風のホテルであの値段なら十分納得だ。
暗くなる前に明日訪ねようと思っている湖周辺の村を巡る船便などの情報を入手すべく街に出かけた。

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アティトラン湖北岸に面したパナハッチェルの町。ひっそりと落ち着いた町。ホテル・レストランも整っており湖周辺観光の拠点になっている。


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泊まったホテルの玄関先。ブーゲンビリアが美しい。




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中に入ると緑が美しいパティオに沿って回廊があり部屋が並んでいる。突き当りは食堂。




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一泊したホテルの部屋。タイル床にベッド、小ダンス、TVにシャワー・トイレが付いただけだが特に不満はない。


最初に寄ったのはこの町の観光案内所。こんな町でも(失礼!)小ぎれいな事務所を開き、きちんと担当者を置いているのをみるとやはり観光に力を入れているのがよく分かる。

明日は昼過ぎのシャトルバスでアンティグアに戻ることにしているので歩き回る時間は正味午前中しかない。
ガイドブックによれば、キノコのような形をした湖の周辺にはマヤの人達の村々がいくつもあり、それぞれに部族特有の色合い、模様、刺繍が織り込まれた織物、衣料、アクセサリーなどの工芸・民芸品が有名だという。   湖を取り巻くように陸路もあるようだが、岸の村へは陸路よりもパナハッチェルから出ている船(ボート)で行くのが便利で確実らしい。

どこの村に行って何を観るか、観光案内所の情報では湖岸最大の先住民の村、サンティアゴ・アティトラン(Santiago Atitlán・・・以下サンティアゴ) の村がお薦めらしい。
この村はパナハッチェルのちょうど対岸にあり最も遠いのだが、往復便も多く動きやすそうだ



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立ち寄った観光案内所。男性係員がいてキチンと対応してくれた。



 
[湖畔を散策]

大方の見当が付いたので湖岸沿いの散歩道に出てホテルに戻ることにした。
空は完全に晴れ上がり紺碧の水面、湖岸の緑、遠景に紫色に霞む外輪山、その外輪山も例によって見事な円錐形の火山が並んでいる。
そろそろ落日を迎えようとしている時間帯で、これが ”世界でもっとも美しい” と言っている景色だろうか。

ブラブラ歩いていると湖面を見渡しながら食事ができるオープンレストランがあったのでそこで軽く夕食をすませることにした。
湖で獲れるという魚のフライにサラダが付いたものとパンにビールを頼んでみた。聞いてみると魚は
ブラックバスだという。初めて食べる魚だったが味は淡白で白身、あまりにも淡白すぎて期待した脂の旨みは感じられなかった。

食事が終わるころ、いよいよ落日になった。
パナハッチェルから見て、対岸のサンティアゴの右手にあるサン・ペドロ火山(3,020m)のさらに右側に夕日は没していった。
しばらくの間うっとりと見とれてしまったが、これが ”世界で最も美しい湖” の由縁になっている景色の一つに違いない。


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対岸に見えるはずのトリマン火山(Volcán Toliman 3,158m)、アティトラン火山(Volcán Atitlán 3,537m)
が残念ながら雲に隠れたアティトラン湖。



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長閑な湖岸は一幅の絵のような景色でほっとさせてくれる。



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湖岸の散策路沿いにあったオープンレストラン。



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頼んだサラダ添えのブラックバスのフライ。




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落日間近のアティトラン湖。翌日乗ったボートは手前右の屋根付きボートと同型。



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夕日はサン・ペドロ火山の右手に没していった。


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落日の瞬間。



   (以下「6.マヤ族の里③(サンティアゴ)」に続く)


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4.グアテマラ、マヤ族の里①(チチカステナンゴ) [グアテマラ アンティグア]


 [ 小旅行を計画 ]

”世界で最も美しい湖” という振れ込みで日本のガイドブックに出てくるアティトラン湖(Lago de Atitlán)は、日本を出る前から少し気になっていた。本当にそんなに美しいのか。
と言っても今の時代だから画像検索をかければすぐに映像が出てくる。成程、それなりには美しい。
火山国日本では北海道、東北でよく見かけるカルデラ湖風の景色で関東で言えば男体山をバックにした中禅寺湖といったところだ。


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霞んでいるがアティトラン湖の遠景。チチカステナンゴの町から湖畔の町、パナハッチェルに向かって外輪山を下っている時に車内から撮影。


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男体山をバックにした中禅寺湖。上のアティトラン湖によく似ている。



幸いこの湖はアンティグアの町からそんなに遠くないし、美しさのほどはやっぱり現地を観てからにしよう。それに湖の畔にはマヤ族の村が点在し彼らの素朴な生活ぶりを垣間見れるというのも興味深い。

アンティグアに着いた次の日、学校の手続き、ホームステイ先の選定などを済ませてから街中の旅行社に寄ってみた。観光の町アンティグアというだけあって旅行社と称する店(個人経営規模が殆ど)はあっちこっちに見かける。

アティトラン湖へ行くツアーを探して入ったのはセントロに近い変哲もない旅行代理店、後でガイド本を見ると市街図にも載っていたからそれなりなのだろう。相手してくれたのは見かけ無骨そうな中年の男だったが話してみると意外に親切。ほっとしてたどたどしいスペイン語ながらアンティグアを起点にしたツアーのことを聞いてみた。

彼によると、アティトラン湖へは日帰りで行けるが、途中でチチカステナンゴ(Chichicastenango、現地ではチチと略して呼ばれる)というマヤ先住民の村に寄ってから湖に向かう1泊2日の旅が普通でお薦めだという。

ガイドブックによると、チチは人口1万人に近く、村というより小さな町だが、毎週木曜と日曜に大規模な露天市が立ち周辺の村々から数万人の先住民が集まり、食料品や日用雑貨などが売買されとても賑わうという。最近はこの露天市を目当てに外国人観光客も結構多いのだそうだ。

早速2日後の木曜日に出かけることにして足と宿を手配してもらった。支払った費用は往復のシャトルバス代とホテル代で60ドルほど。このほか、アンティグア周辺にあるコーヒー農園を見学する半日ツアーも別の日で手配した



  [ チチへ ]

予約した日はそこそこの好天、早朝だったが約束の時間にシャトルバス(12~3人は乗れる大型のバン)が迎えに来てくれた。その足で別の予約客もピックアップし、総勢7~8人になってアンティグアの町を出発した。

チチまでは北西へ直線距離で60kmほどだが、実際は100kmはあるだろうか。道路は片側2車線部分も多く思ったほど悪くはなかったが、平坦な部分は殆どなく山あり谷ありの険しい道が続く。
橋を架ければスーっと渡れる渓谷でもこの国ではそんなインフラ投資をする余裕はないから車は九十九折の急坂を谷底まで下り川を渡ってからまた這い上がってくるという繰り返しで時間がかかるのはしょうがない。


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チチカステナンゴに向かう道路事情はそんなに悪くない。



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片側2車線部分も多い。


それでもバスは何度か峠を越えて最後の坂道を下るとチチの町に入った。時計を見ると10時少し前、所要時間は2時間半弱。チチの標高は2,030mもあり、アンティグアからは500m登ったことになる。
標高のせいもあってか生憎の霧雨模様で肌寒く、アンティグアとは大分違う。

車は中心部から少し離れた駐車場になっている建物に入って止まった。運転手が「今から自由時間です、14時半にパナハッチェルに向けて出発するのでそれまでに戻って来るように」という。
建物の中には同じようなマイクロバスが沢山駐車していたから他にも観光客が訪れているようだ。
まだ10時、まずは人どおりの多そうな方向に向かって歩いてみる。
霧雨が煙るような天気にも係わらず木曜日は露天市の日、雑然とした街中は地元の人たちで賑わっていた。


 [チチの露点市をブラブラ]

マヤ族というのは中央アメリカの先住民のことだが、マヤという一つの民族が存在するわけではなく、文化と言語の一部を共有する異なる多くの部族、集団、社会を総称しているという。
今世紀初頭の数字では中米に居住しているマヤの人は約700万人と推定されている。

ところで、この町、チチカステナンゴ(Chichicaste-nango)は、キチェ(Quiché)県の高原地帯の小さな町。そう言えば、この国の高原地帯には尻がナンゴ(nango)で終わる名前の町が多い。

我々日本人には馴染のないちょっと妙で滑稽な響きに聞こえるが、ケツァルテナンゴ(Quetzaltenango)、ウエウエテナンゴ(Huehuetenango)、アンティグア近くのホコテナンゴ(Jocotenango)など、この地域にはまだまだ面白い名前がある。

"nango" とはどんな意味なのか、調べてみるとマヤの言葉で"~の土地" という意味らしく、チチカステナンゴは、"チチカステ(植物のイラクサ)の土地"ということになるらしい。

ところで、通りで見かける人達はどちらかと言えば小柄。赤、ピンク、紫、藍といったキチェ族特有の色使いの民族衣装を身に着けた人が多い。若者はやっぱり現代風の安易なスタイルが一般的だが、年配の女性になるとウィピル(Huipil)と呼ばれるブラウスとコルテ(Corte)というスカート様の腰布との組み合わせがまだ多い。
原色の洪水のような民族衣装には独特の文様が織り込まれていてそれを見るとどこの村の出身者か彼らの間では識別できるという。


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バスの駐車場を出て露天市があるだろう方向に向かう。民族衣装のキチェ族の女性も見える。



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こちらにも年配小柄なキチェ族女性が。



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露天市が始まる辺り。右側に靴屋が見える。



露天市はサント・トマス教会を中心に拡がっていて教会への参道沿いに続いているようだ。
この教会はカトリックの教会で1540年にスペイン人によって建てられたとされているが、礎石は古代マヤのキチェ族の建物だったもので、今でも先住民独自の神々を信仰する場にもなっているとのことだ。
キリスト教を通じて入った西洋文化とマヤの土着文化とが融合して独特の雰囲気が漂っている。

小雨模様で露天市はどの店もシートで覆われていたが、靴、バッグ、帽子、衣料など生活雑貨の店が圧倒的でお参り用の生花や蝋燭などや魔除けのお面を並べている店もあった。


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地元の人たちの中に観光客もチラホラ混じっているようだ。




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昼食で入った二階のレストランから露天市を見下ろす。



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露天市は雨でシートが懸けられている。




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右側に帽子屋。



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サント・トーマス教会の礼拝堂前の階段は一休みする参拝者と物売りとでごった返していた。



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階段ではお参りに使うのか生花も売っている。


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雨に燻ぶる露天市。遠方にサント・トーマス教会が見える。



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日本のお寺などで見かける護摩焚きの煙ではないが、ここでも独特の香りがする何か(の花?)を焚いていて辺りはすごく煙い。


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教会そばに魔除けなのだろうか、骸骨や悪魔(?)のお面を並べた店があった。



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キチェ族の絵画や壁掛けを売っている店。左下に佇む二人のマヤ女性の格好が定型的な民族衣装だろう。


悪天のせいでチチの良いところをすべては観ていないのかも知れないが、マヤの人たちの世界をちょっぴり覗いてみることはできた。
とにかく街中に溢れる藍、紫、ピンク、赤の色彩に圧倒されたというのが真っ先に出てくるこの町の印象だ。
観光客用らしきレストランで昼食を済ませ、ちょっぴり考古学博物館を覗いてから少し早かったが朝の駐車場に戻った。

バスは予定どおり、アティトラン湖沿いの町、パナハッチェルに向かって出発した。


 (以下「5.マヤ族の里②(アティトラン湖)」に続く)


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3.アンティグアの街 ② [グアテマラ アンティグア]

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中米全図。通常、「中米」といえばメキシコを含まず、グアテマラ、ベリーズ(昔の英領ホンジュラス、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの7ヵ国を指すが、マヤ文明の勢力圏だったメキシコ南部からパナマ西半分までを言う場合もあるようだ。



 [ グアテマラの基本情報]


ここで”グアテマラ”という国の基本情報をもう少し。

改めて、どこにあるかは上の地図を見て頂きたい、すでに触れたとおり太平洋だけでなく大西洋(カリブ海)側にも出口がある。

国土面積は日本の1/3程度(北海道に四国を加えたぐらい)、人口は中米で最も多い約1,500万。そのうち4割がマヤ族系の先住民族(インディヘナ)、残り6割は先住民とヨーロッパ系の混血(メスティソ)が大半という人種構成で、中南米では先住民の比率がボリビアに次いで高い。

彼らは紀元前から長い歴史を持つマヤ文明の末裔なのだが、長年に亘り山間部で自然と共生する生活スタイルを基本としていて最近まで貨幣経済や都市生活とは一線を画してきた。このため彼らに現代の生活様式、特に教育機会が行きわたりづらく、貧困から抜け出せない一因になっているという話を聞いた。勿論、1960年から96年まで続いた内戦や繰り返す自然災害などの影響もあるだろう。

統計にもよるが当国の一人当たりGDPは約3,500ドル。(因みにインドネシアと同レベル、日本は3.8万ドル強、IMF統計2013年、)
総じて中低所得国の範疇だが、おそらく先住民系の多くは1,000ドルにも達しない生活をしているはずで、逆に言えばアンティグアなどの町に住む都市住民は数字よりは高いレベルにあり貧富の格差が大きな問題になっている。

ところで、この国は隣国ベリーズやユカタン半島につながる北東部を除くと大半が起伏のある山地で、人口の多くは標高の高い山合いに集まっている。

海岸部は緯度からして熱帯性気候で暑いが、中央山地は標高のせいで温暖で住みやすいと言われている。アンティグア(標高1,500m)がその代表例だが、首都のグアテマラシティ(人口250万強、標高1,500m)も、第二の町ケツァルテナンゴ(同 約20万、2,300m)も高地にあるのは気候が良いからだろう。

滞在した2月のアンティグアは乾季(
114月)の後半で毎日好天が続き湿気もなく快適だった。その間一度も雨らしい雨には遭わなかったから、気候だけならこの時期前後に訪れるのがオススメだ。その後5月になると雨期に入り、7月頃に中休みがあるものの、しばらく雨が多い日が続くらしい。

要注意は一日の寒暖差が激しいこと、日差しの強い昼間は半袖で問題ないのだが、いったん日が落ちるとセーターなど厚手の服が恋しくなり明け方などはあまりの冷え込みでよく目が覚めることがあった。体調を落としていたせいもあったかも知れないが。



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通学時に通るサンフランシスコ教会の南西角付近。塀にブーゲンビリア(buganvilla)が見える。この花は熱帯地方で生垣などとして栽培されることが多くこの町では
珍しくない。天候の温暖さを示す例だろう。




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中央公園にはハカランダ(jacarandá)の木もあった。熱帯アメリカ特有の樹木で南米の都市では並木や庭園樹としてよく見られる。これも気候が温暖ということだろう。



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下宿近くの小公園にもハカランダの高木があった。見にくいが紫色の花が付いている。





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下宿の中庭では屋上に上がる階段沿いにブーゲンビリアが咲いていた。






 [ 街のランドマークは中央公園 ]


アンティグアの町は「コロニアル(植民地風)様式の建物、多数のひなびた教会群、そして石で敷き詰められた街路など、こじんまりと美しい佇まいの町である
・・・」と旅行書などで紹介されている。

さらに付け加えると、地震に悩まされてきた歴史のせいか、世界遺産になっている古都の街並みを保全するためか、(恐らくその両方?)市街には背の高い建物はなくせいぜい2
階建てどまりだ。多分、現代風のビルなどは景観にそぐわないとして建築を許可していないのかも知れない。

町の中心は中央公園(Parque Central だ。16世紀、中米の首都としてこの町に総督府が置かれて以来500年近い歴史を持つ公園だ。その旧総督府があった建物(今は使われていないようだ)が南に面しており、北に現役の市庁舎、東にカテドラル、西面だけは商店・銀行などが囲んでいる。

こんな古い公園だが今でも市民の憩いの場所として、家族づれ、カップル、お年寄りに観光客も加わっていつも人出は絶えることがない。
週末に行ってみるといろいろな催しに出会って楽しい。軍楽隊(?)の演奏やら先住民の人達による民族舞踊、マリンバ演奏、パラグアイから来た(?)というアルパ(インディアンハープ)の
グループ演奏などを見かけた。




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中央公園の真ん中には噴水がある。ここの人たちは噴水が好きなようだ。




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ある日の午後旧総督府前の回廊で軍隊か警察(?)の楽隊がマーチを練習していた。





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一人ひとりはまだ中学生か高校生ぐらいにしか見えなかったが …




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別の日には同じ旧総督府の前でマヤ系先住民による集団舞踊を見た。




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マヤ族のお祭りか何か儀式のためか、カラフルな衣装にお面も付けて踊っている。




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踊りを観ていたら見物人の前を冷凍ボックスを引いたアイスクリーム屋のおじさんが横切った。
後姿の黒髪の現地女性も携帯(?)スマホ(?)で写真を撮っていた




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こちらは市役所前。旧総督府の建物と酷似だが両者は公園を挟んで向かい合っている。ここでもその回廊でマリンバの演奏が行われていた。




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マリンバの音色は南国のけだるいような午後の時間にピッタリ。




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こちらはある日曜日、公園で演奏していたアルパ(インディアンハープ)を中心としたグループ。
演奏前の紹介でパラグアイから来た(?)と言っていたように聞こえたが・・・





この町を歩き回るのは簡単、端から端まで歩いても30分もあれば行き着いてしまうほどの大きさだし、中央公園を起点に下の地図の如く、街路が碁盤目状に拡がっているので方角さえ意識していれば迷うことはない。スペインが植民した中南米の町の旧市街は、こんな創り方が結構多い。

とは言え昼間は問題ないのだが夜になると街路や住宅に特徴がないせいか特に住宅街では判別しづらくなる。
その上街灯も少ないので自分が今どこにいるのか常に意識しておく必要がある。

住み始めた頃、暗くなってから下宿に戻ったとき、ずっと続く壁のどこに入り口のドアがあるのか真っ暗で見分けられず焦ったことがある。ようやく分かったドアの前で今度は鍵穴がよく見えず(眼が悪いせいもあるが)往生した。幸い小さなLEDライトを持っていたことを思い出し何とか事なきを得た。



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アンティグアの市街図(学校からもらったもの)。正確な地図ではないが、街路が碁盤目状になっているのがよく判る。一区画は概ね100mだから市街は東西南北およそ1.5kmの範囲に収まってしまう。
灰色で塗りつぶされた区画が中央公園でこの町のセンターだ。



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12時で授業を終え下宿先に戻ってきた。玄関は右から三つ目の黄色い壁にあるドアで自分の鍵で入る。昼間はどのドアか識別しやすいのだが夜になると壁の色も見えずどれだか見分けづらい。
ちょうど近くの学校も12時で終り子供たちが下校中だったところに出会った。皆、こぎれいな格好をしている、中流家庭以上の子女だろう。

 

 [石畳の街路とカラフルな街並み]


ところで、これだけ徹底して町中の道路が石畳で埋め尽くされている街はそうはないだろう。
写真でご覧のとおり車道は不定形の10cm程度の黒っぽい石で全面敷き詰められているのだが、ヨーロッパの街の石畳のように路面が平らではなく、その凸凹さ加減は半端ではない。

一度穴ぼこを補修しているそばを通りかかったことがあるが、石工が石の形をハンマーで整え下地の土の上に無造作に並べているだけに見えた。
下地の地盤を十分
締め固めずに石を敷いているのなら車の重みで不等沈下してしまうのも無理はない。

一方、歩行者にとっては車がスピードを出せずせいぜい20~30km/hだから究極の安全対策になっていて悪くない。仮に
、車がスピードを出し過ぎればきっとサスペンションを痛めること必定だ。

スピードを追い求める今の時代にこの状況で問題にならないのは町が小さいからだろうが、世界遺産の古い街並みを売りにしているこの町にはむしろこのままが馴染むとも思う。

しかし、歩行者は狭い歩道も油断できない。一応コンクリート舗装しているが、幅が1m足らずで車道との段差が大きいので歩きずらいこと甚だしい。しかも1丁ごとにガタガタの車道を横切らざるを得ないからハイヒールはまずムリというもの。(と思っていたら偶にハイヒール姿を見かけこともあった。女性の執念・気迫は恐るべしだ!!)



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石を敷いただけの車道。左下は歩道だが段差が結構ある。



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偶然見かけた道路の補修工事。左にマンホールの蓋が見えるということは上・下水道管が埋まっている証拠?

これまでの写真でご覧のとおり、この町の住宅は一般的に平屋建てで、道路に面しては小さ目のドアの入り口と鉄格子の付いた出窓があるぐらいでほとんどがパステルカラーの壁面で囲まれている。まあ中に入るとゆったりした中庭(パティオ)と緑があり余裕のある造りになっている。

家の内部を不用意に晒さないという防犯上の意識からこんな構造にしているのだろうが、例外なく壁面は白や青、黄土やオレンジ、茶色(ワインレッド)などでカラフルに塗られているのが面白い。
特に色の選択に規則性があるわけでもなさそうだが、淡いパステルカラーで塗られた壁が続く街並みはなかなかの趣向だ。

”街の色”で想い出すのは、色調が全く違うがスペイン アンダルシアの白い村だ。
地中海に面した山肌に真っ白い家々が立ち並ぶミハスやフリヒリアナの村々は青い空に映えて本当に美しかった。




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鮮やかなワインレッドが印象的な住宅街の壁。




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こちらは黄土色の壁が続く。



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外からは壁面ばかりだが、中には緑もパティオもあるゆったりした平屋の住居があるのが普通だ。



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ミハス(Mijas)の闘牛場あたりから撮った白い村の一角。やはり綺麗。



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ミハスで最も有名な撮影スポット、サン セバスチャンの白い坂。


   (以下、「4.マヤ族の里①(チチカステナンゴ)」に続く)



 


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2.グアテマラ、アンティグアの街 ① [グアテマラ アンティグア]

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朝のアグア火山。(下宿先の屋上から)

 [アンティグアは火山の町]

この町を特徴づけるもの、それは何といってもアグア火山(Volcán de Agua)だろう。

富士山そっくりの長いすそ野を持つ穏やかで美しい姿は市街のどこからでも望むことができる。この町のシンボルと言っていい。

メキシコからパナマにつながる中米の国々は環太平洋造山帯の中央アメリカ火山弧に位置する。このためメキシコ中部からグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマにかけて点々と火山が連なる地帯で地震も多く日本周辺の地殻構造と良く似ているという。

その中でもメキシコの南に接するグアテマラは最も火山の多い国で、富士山と同じコニーデ型(成層型)の美形の火山が多く、アグア火山もそのうちの一つだ。

標高が3766mというから殆ど富士山と同じ高さで、町からわずか10kmしか離れていない。それならもっと高く聳えて見えてもと思うがそれほど威圧感を感じないのはアンティグアの町自体がすでに1,500mの標高があるからだろうか。それに雪化粧していないせいもあるかも知れない。

しかし、もしこの山の標高が4,500m前後あったら北緯15度の当地でも雪を被った富士山になっていたはずなのだが・・・、その意味ではちょっぴり残念ではある。

この町の近傍にはさらに近年大噴火(直近は2012年5月)を繰り返し現在も噴煙を上げているフエゴ火山(Volcán de Fuego 3763m)とか、パカヤ火山(Volcán de Pacaya 2550m)など幾つかの火山がある。なお、アグア火山も含めこれらの山はガイド付きなら観光登山が可能なようだ。


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街の中心部から北東方向に20
分も歩けば山のふもとにぶつかる。ここから木立ちの中の散策路を上ること20分ほどで「十字架の丘」(Cerro de la Cruz)と呼ばれる展望台に辿り着く。写真はこの丘から望むアンティグアの街並みと背後に聳えるアグア火山(町から約10km南)だ。写真を撮る直前まで頂部には雲がなかったのだが・・・、 午前中の早い時間は雲がなくても次第に覆われてくることが多い。


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アンティグア郊外の村、サンフアン・デル・オビスポ(San Juan del Obispo)に行ったときに見たフエゴ火山。丁度小爆発があり噴煙が上がったところ。



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2012年5月に噴火した時のフエゴ火山。(中米の elsalvador.com から)



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アティトラン湖にも美形火山があった。フェリーボートから見た手前のトリマン火山(Volcán Tolimán  3,158m)
と真後ろにあるアティトラン火山(Volcán Atitlán  3,537m)。ちょうど重なって見える。(アティトラン湖方面への小旅行については改めて掲載予定)


 [アンティグアは地震の町]

このように中米は日本列島と同じように地震が多く、この町もご多分に漏れず有史前から大地震に見舞われてきた。スペインの植民地になってからでもまず1541年、アグア火山の麓にあった当時の首都(シウダー ビエハ)が噴火による火砕流で壊滅し、数km離れた今のアンティグアに首都機能が移された経緯がある。

その後アンティグアは今の中米全体を治める植民地政府の首都として2世紀に亘ってグアテマラ総督府が置かれていたが1717年9月に推定マグニチュード7.4の地震が襲い、市内3,000の建物が崩壊したという。

この災害を契機にさらなる遷都が考えられていたところに1773年に再び大地震が襲い市内の大部分が壊滅してしまった。このため1776年にスペイン国王はもっと安全な場所に遷都せよとの命令を下すに至り現在のグアテマラシティが新しい首都になったとされている。

こうした地震の記録は市内北部にあるメルセー教会(現役の教会だが裏側に回ると廃墟の遺跡が残されている)の博物展示品コーナーで見ることができる。そこの一枚のパネルに過去500年間に起きた大地震の簡単な記録が描かれている。

なお、直近の大きなものは1976年地震(M7.5)で震源が人口の多い中部域付近だったため、犠牲者23千人、負傷者70千人、倒壊家屋数多と大きな被害が出た。特に、山間部に居住するマヤ系先住民の村落では
ライフラインがなかなか復旧せず貧富の格差をますます拡大させる一因になったと言われている。





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中央公園の北3ブロックにあるメルセー教会。現役の教会で結婚式も行われていたが、背後には地震によって廃墟になったかっての教会がある。



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メルセー教会の裏手に隣接する旧教会の廃墟跡。広大な中庭に中米で最大規模と言われた噴水跡が残っている。




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ちょっと見ずらいが1564年以降に起こった大きな地震の強度がパネルに示されている。学術的なものではないが大よそのことは判る。これによると近年の大地震は1773年の後は1976年の震災が直近になる。



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周辺火山を説明するパネルもあった。



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メルセー教会での結婚式に出席する現地の人達。上流クラス(?)らしくそれなりの正装で着飾っている。


 

 [アンティグアは観光の町]

こんな歴史のせいで市内中心部には地震で廃墟になった旧教会がそこかしこに見られ、それが古都の魅力にもなっている。


これらの教会群を中心とした歴史的街並みは1979年に世界遺産に指定されていて、中央公園の東側に面しているカテドラル(大聖堂)をはじめ、今でも中米各国から信者を集めるサン・フランシスコ教会、前出のメルセー教会、廃墟公園として保存されているカプチナス修道院など大きくない市内だが枚挙にいとまがない。

中心部を歩いていると一見して観光客とわかる一団がいつも訪れている。また、街ですれ違ったり、レストラン、カフェテリアや土産物店で見かける外国人も多くこの町が観光地であることがよく判る。

それにしても、人口約8万強というこの町は何で食っているのだろうか?
産業らしきものは郊外に点在するコーヒー栽培などの農業や手工芸品を製作する家庭内工業ぐらいしか考えられない。ということはやはり「観光」を核にした商業・消費都市とみるべきだろう。

観光業はすそ野が広く、この街の規模にしてはホテル、レストラン、お土産物店がとにかく多い。さらに訪れる観光客を相手にする旅行代理店やシャトルバスを運行する輸送関連など直接間接に観光につながっている人口は相当な数に上るはずで、外国人を呼び込むスペイン語学校、それに関連するホームステイ業などもその一翼を担っていることになる。


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正面から見たカテドラルは天気が良ければパステルカラーが美しい。この町の象徴で守護聖人サンティアゴが祀られている。(中央公園から生垣越しに)

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裏手に回り入場料を払って門をくぐると昔を偲ばせる旧カテドラルの偉容が迎えてくれる。

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要するに天井部分が地震で落ちてしまったということだ。

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廃墟の内部にはさぞかし大きな祭壇があったのだろうと思わせる一角もあった。



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外囲いの門から見たサン フランシスコ教会。敷地も広く堂々とした作りでアンティグアでも代表的な教会。病を癒す聖人として慕われるエルマ-ノ・ペドロの墓があるため国内は勿論、中米各国のカトリック信者が参拝にやって来る。さらに現役の教会に隣接して地震で倒壊した旧教会が廃墟として残っているため観光客も非常に多い。



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サン フランシスコ教会の正面。



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現在の教会の後方に拡がる廃墟となっている旧教会。相当大きな規模だったことが窺える。




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その廃墟の一部①



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その廃墟の一部②




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その廃墟の一部③




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右手前看板に「FINCA FILADELFIA」とある。フィラデルフィア農園のこと。門を入ると広大なコーヒー畑が丘陵地に広がっている。コーヒー農園として有料の見学ツアーを受け入れているほか、中にはレストラン、スーベニアショップ、ホテルもある。





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サン フランシスコ教会の横で「CITY TOUR」と書かれたミニ観光バスを見かけた。こんなバスも市内を走っているらしい。


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カテドラルのそばでは観光用馬車が客待ちしていた。




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とある街角で見かけた米国人(?)らしき観光客の一団、ピックアップしに来るバスを待っているのだろうか・・・。下宿先に帰る途中で。

    (以下、「アンティグアの街 ②に続く)


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1.グアテマラへの途 [グアテマラ アンティグア]

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アンティグア市内の中央公園で.左手にカテドラル、背景は長いすそ野をひくアグア火山(標高3,766m)

 

 

 [グアテマラへ]

グアテマラへは日本から直行便がない。利用する航空会社によるがロサンゼルス、ヒューストン、アトランタなどアメリカの都市を経由して入るのが普通だ。

 

 
今回のグアテマラ行きにあたってかなり前から出発・到着の時間帯、乗換の回数や待ち時間、チケット運賃などを調べていたが、帯に短したすきに長しでそうそう納得できるフライトなどあるわけもなく、結局次の便で妥協した。
 

往きは羽田を深夜に出発、ロス→アトランタで乗り継ぎ目的地着は昼過ぎ、復路は現地を早朝に発ちロス経由羽田着が22時すぎというもの。

それぞれの乗継地では4時間強の待ち時間があったが、結果から言えばこのくらいの方が何か思いがけないことに出会っても焦ることなく余裕をもって対応できるので必ずしも悪いことではなかった。

羽田国際空港は初めて。まだ夜間しか発着できないためか、夜も遅いこの時間帯に出発便が集中しているらしくそんなに広くない出発ロビーは利用客でごった返していた。今売り出し中の羽田国際空港だがこれでは早晩パンクするのではと心配してしまう。

行列になっていたチェックインだったが、手荷物検査、出国審査を通過し出発ゲートまで来るとさすがに混み合ってはいなかった、こうして真夜中の01時、ロスに向け羽田を飛び立った。

この時間ならすぐに寝付けるだろうとたかをくくっていたのだがそうは問屋は卸さない。結局うまく寝れず周りで眠りこけている乗客を見るとうらやましくてしょうがない。

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羽田ではチェックインが混雑していたものの、手荷物検査以降はスムーズ。

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ロス行きの133番ゲートはまだガラガラ。


  [アメリカは乗り継ぎでも大変!]

ところで前回アメリカを経由したのは15年以上も前になる。当時の乗継ぎ(南米往復時のトランジット)はロスの場合で言えば入国(審査)はなしで係員が案内する乗り継ぎ客専用のラウンジで待機し、時間がくれば案内に従って機内に戻ればよかった。

しかし、今回ロスの空港での扱いはまったく違ったものだった。

まず、昔と違って到着した乗客は全員が入国審査を受けなければならない。入国する意思がなく単に米国で乗り継ぐ場合もだ。
入国審査の手前ではアメリカ市民以外の列に並ぶのだが、その列では対応する審査官が少なく一人か二人でチンタラやっている。しかも日本でのようにあっさり(?)は通してくれない。

何とか水際で不法滞在・入国を阻止しようと必死なのだろう、米国に来た目的は?、滞在するところはあるのか?などとこと細かく訊いているらしくなかなか捗らない

こちらは米国には用事はなく乗り継ぎだけだから散々待たされたものの特に質問は受けなかったのだが、それでも両手を出せと促されて左右10本の指紋をキッチリ取られ、その上ご丁寧にも顔写真まで撮られた。
思いがけない流れでいい気持ちはしない。

その上、不本意ながらとはいえ入国してしまった以上ターンテーブルで荷物を引取らざるを得ないのもやっかいだ。
次の乗換便は別のターミナル、
相当の距離を歩いて改めてチェックインだ。ここでも手荷物検査があり、有無を言わせず上着は勿論、ベルト、靴まで脱がされる厳重さでこれも極めて不愉快だった。

確かに9.11以降、出発前にESTA(渡航認証許可)のネット取得が義務づけられるなど米国でのチェックが厳しくなったとは聞いていたがやはり相当なものだ。

当初、今回の往きルートの中にロス→アトランタの国内便が挟まっているので入国審査を受けざるを得ないのかとも思ったが、ロスで乗り換えるだけの復路でも同じだったのでルートによってということもないようだ。
まあ乗換えといっても機材が変わるのでしょうがないのかも知れないが、せめてアメリカ国内に実質入国しない乗客は簡便な扱いで荷物もスルーさせてくれればお互いに楽なのにと思った次第。

最近はどこでテロ事件が発生してもおかしくない世の中になってしまった以上、無差別に厳しく対処せざるを得ないのは分からないわけでもないが、何か割り切れないものが残る。

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ロスで入国審査後、荷物を引き取らされ改めて次の乗継便に預ける。同じ航空会社なのだしスルーにしてくれれば楽なのに・・・。その後、一度外に出て乗継便が出る第5ターミナルに向かう。

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アトランタに向かうロス第5ターミナルの58番出発ゲート。

  [無事グアテマラ到着] 

羽田を飛び立って27時間後、ようやくグアテマラシティのラ・アウロラ国際空港に着陸した。
現地は13時前で真っ昼間だったが時差が15時間あるので日本は2晩目の早朝ということになる。
結局、浅い眠りばかりで殆ど寝た気がしないままにここまで来てしまい頭は重く体調は良くない。

入国手続きはあっさり済み荷物のチェックもなく空港建物の前に出てくるとそんなに広くないそのあたりは出迎えの車と人、そして現地の物売りの老若男女でごった返していた。雑然とした雰囲気に思わず身を固くする。
でもよく見ていると特に危ないわけでもなく、昔南米のいろいろな空港で見ていた景色と一緒でどこもこんな風だったなあと懐かしい記憶が蘇ってきた。中米と南米をまとめて中南米と言ってしまうようにスペイン語文化圏の雰囲気はどこに行ってもよく似ているということか。

旅の前からこの空港周辺は治安が良くないと聞いていた(少しオーバーだが)のであらかじめ空港でピックアップしてくれてアンティグアまで連れて行ってくれる車を手配しておいた。
空港出口でしばし待機しているとそこへこちらの名前を書いた紙を持った男が近づいてきた。

こうして無事迎えの運転手と落ち合うことができ、かなり大きなバンで30km先のアンティグアの町に向かった。

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空港の脇の道路を通ってアンティグアに向かう。グアテマラシティの市街は滑走路の向こう側のようだ。車窓から。

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グアテマラシティの近郊風景。車窓から。

   [何でグアテマラ?]

ところで、なんで“グアテマラ”なのかを説明しておこう。

もうおととしのことだが、ある新聞で見たコラムがそもそもの始まりだった。
その内容は、今の時代らしくスカイプを使って現地のグアテマラ人主婦が日本人にスペイン語の個人授業をしているという話から始まっていた。

退職後の手慰みで数年前からスペイン語に再挑戦していたのだが、何となくマンネりに陥っていた頃でもありちょっと興味をそそられた。
所詮趣味の域を出るものではないのだが、文法がある程度分かり少し会話が出来るようになるとネイティブの人達とどのくらい通じるのか通じないのか試してみたくなる。しかし、日本では語学クラスに通っていてもなかなかそんな機会は作れない。
新聞記事の内容は日頃のそんな思いを刺激したということだ。

早速ネットや旅行案内書で調べてみると、オンライン学習はさておき、スペイン語学校で有名な町が二つあることが分かった。一つはアンティグアという町、もう一つはケツァルテナンゴだ。
前者はグアテマラシティの空港から小1時間の小さな古都で何と50を超えるスペイン語学校があるらしいし、後者は少し遠いグアテマラ第二の町だがやはり20近くあるという。

この国ではまだ人件費が安く、日本に比べれば生活費もあまりかからないからホームステイ(学校が斡旋してくれる)でもしながら学校に通えば驚くほど安い費用で現地生活と語学学習の両方を楽しめそうだ。まさに一石二鳥である。

しかも、アンティグアには日本人経営の学校もあることが分かり、俄然現地へ行ってみようという気持が高まった。加齢に伴う諸能力の衰えは懸念材料だったが時間はたっぷりある身だ、行くなら今のうちという判断が働き、学校で半日の個人授業を受けつつ、それ以外の時間ではホームステイをしながら現地での日常生活を楽しみ、アンティグアの街や周辺の観光地にも足を延ばすというちょっと欲張りな "三兎" を追うことにした。

 
  (以下、「アンティグアの街 ①」に続く)


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