8.パンプローナ [15/9北スペイン]
パンプローナと言えば「牛追い祭り」(サン・フェルミン祭)で有名だ。白いワイシャツとパンタロンに赤いネッカチーフを付けた大勢の男たちが雄牛を追いかける(から逃げる?)光景を日本のTVでもよく見かける。スペイン三大祭りの一つで毎年7月6日の前夜祭から9日間も続けられる。(Wikipediaの画像から)
[パンプローナに到着]
パンプローナには20時前に着いた。この時期、日が暮れるのはもう少し先のようでまだ十分明るい。
ここのバスターミナルはサラゴサのそれに負けず劣らず立派でびっくりだ! 乗降車場がすべて地下に納まっていて、その屋根にあたる地表部は緑地(公園)という斬新さ。どういう経緯でこうなっているのか分からないが、景観、環境への配慮が行き届いている。でも初めて来たらどこがバスターミナルか見つけるのが大変かもしれない(?)
今晩の宿は一泊なので普通の三ツ星ホテルを取っていた。地図でみると歩いて行ける距離だが、早く晩飯に出掛けたかったので地下のタクシー乗り場からホテルに向かった。
あっという間に着いたホテルは日本のビジネスホテルを思い出させる広さだったが、部屋は機能的で印象は悪くない。さすが観光立国スペイン、三ツ星でもホテル自体の質は確かで値段もリーズナブルなのは嬉しい。
サラゴサを出るとバスは延々と続く平原状の景色の中をひた走る。
車内はガラガラだった。
あまり農業に土地利用されているようには見えないが、風力発電の風車はよく見かける。
パンプローナのバスターミナルは地下にあった。とても広い。恐らく掘り込み式で建設し、その後蓋をするように屋根(地表では緑地)をかけたのか?
広大なバスターミナルの地表部は緑地になっていてまさかその下に発着場があるとは思えない。エスカレーターで地下に下りるようになっている。周囲への環境配慮は万全。(Wikipediaの画像から)
ホテル付近の街並み。右側の道路がサン・イグナシオ通りになる。
泊まったホテルの部屋、広くはないが1泊の部屋としては何の不足もなく快適。
部屋の水回り部分。バスタブはないがシャワー水は水量十分で快適。
[サン・ニコラス通り]
すでに夕食の時間帯、フロントでレセプションの男性にお薦めの店を訊いてみた。
「それならサン・ニコラス通りがいいですよ、良い店が選り取り見取りです。」と教えてくれた。
ホテルはサン・イグナシオ通り沿い、街の中心に向かうと10分足らずでカスティージョ広場(Plaza de Castillo)に出る。そこを左折するとサン・ニコラス通り(Calle San Nicolás)があった。何の変哲もない広めの横丁といった感じで両側に居酒屋が並んでいる。さすがに日も暮れてすっかり夜の街に変わっていたが店をハシゴする老若男女で溢れている。
これがスペインのバル文化か、と思いつつ店の中を覗くがどこも混んでいて大賑わいだ。どの店にするか、特段の注文もないので全く適当に一軒の店に入ってみた。幸い細長いその奥に一つ空いたテーブル席があった。
気取った高級レストランではないから何を取っても値段はそこそこだろうと踏んで、まず赤ワインを頼む。次いでメニューを見てイメージが浮かぶ料理を注文してみたがどの皿もいい味で日本人の舌にピッタリだ。
本場のワインと旨い料理でパンプローナの夕食を心ゆくまで堪能できた。
適当に入ったバルの内部。
何を注文したか今となっては定かでないが、野菜、パスタ、肉の料理のはず。
どの皿も味はバッちりでワインが進む。もし機会があれば是非また訪ねたいものだ。
夜も11時近くなってバルを出ると向いの店はまだ賑わっていた。
この店もまだ・・・、彼らにとってはまだ宵の口? これがスペインのバル文化か。
[ヘミングウェイゆかりの店]
一夜明けて朝食は街中で取ることにし、昨夜も垣間見たカスティージョ広場に向った。というのは広場に面してヘミングウェイがよく通ったというカフェがあるのを案内書で見ていたから。
ところで、パンプローナ(Pamplona)はナバラ自治州の州都で人口(パンプローナ都市圏)は30万ほど、フランス国境のピレネー山脈に近く、蛇行するアルガ川沿いの小高い丘陵にのんびりと広がっている。
そもそもこの地には土着バスク人が先住していたが、紀元前のローマ人の侵入以来数々の部族によって断続的な支配が繰り返されてきた。中世以降は街を城塞で守る城塞都市として知られ10~16世紀初頭まではナバラ王国の首都として栄えた。
近代に入ってからは1930年代のスペイン内戦以降、特に60年代あたりから急激に工業(自動車産業)、サービス産業が発展、国内外からの人口流入もあって町は急拡大してきた。
現在パンプローナ州はバスク地方と同様、国内では経済的に裕福な地域と言われ、高い生活水準を誇っている。都市機能としての空港、鉄道、バス、高速道路などの充実ぶりも素晴らしい。
さて、今日は月曜、朝も8時を回っているのに街並みには人影もまばら、だだっ広いカスティージョ広場に来ても同じでここの人たちの活動開始は何時なのだろうか?
お目当ての店は広場の突き当りにあった。
「カフェ・イルーニャ」(Iruñaはバスク語でパンプローナの意)という店で、米国の小説家A.ヘミングウェイが「日はまた昇る」の中に登場させている。
まだ閉まっているのかと思いながら入ってみると、一時代前を思わせる天井が高い造りの老舗だ。テーブルが整然と並んだ店内にはまだ客はいなかった。
それでもカウンターの中で片づけをしていた女性にコーヒーにクロワッサンを注文したら用意してくれた。それにしてもこのホールような大きな店に客がいないのはちょっと落ち着かない。昼食、夕食が中心なのかも知れない。
ヘミングウェイはスペインで闘牛に心酔し、ここパンプローナや近郊の村に滞在、牛追い祭りにも熱狂したとされている。そんな体験を題材に闘牛や牛追い祭りの作品をいくつか書いている。
ホテルに戻る途中、少し遠回りして闘牛場に行ってみた。牛追い祭りの時にナバラ美術館そばの囲い場から放たれた雄牛たちが800m疾走して最後に入りこむのがこの闘牛場だ。
残念ながら中には入れず高く聳える観客席のスタンドの外観を見ただけだが、入場口のそばにヘミングウェイの胸像があった。
真ん中に噴水がある7叉路ロータリー、プリンシペ・デ・ビアーナ広場(Plaza Príncipe de Viana)。ホテルのすぐ近く。(Wikipediaの映像から)
朝のホテル周辺。8時を回っているのにこの街はまだ目覚めていないのか、人通りが殆どない。
ホテルを出て数分歩くとナバラ自治州の政庁(Gobierno de Navarra)の前を通った。
8時半を回っているのにカスティージョ広場も閑散としている。
ようやく陽が少し高くなって東向きの建物に日が射してきた。
結局のところ、日没が遅い分、日の出も遅いため朝の開始も遅めということか。
カスティージョ広場に面して南向きアーケードにヘミングウェイゆかりの「カフェ・イルニャ」(Cafe Iruña)があった。Iruñaはバスク語でパンプローナの意だそう。
「カフェ・イルニャ」の店内。高い天井にシャンデリア様の照明が付けられ整然とテーブルが並んでいる様は歴史を感じさせる。
「カフェ・イルニャ」の隣には「Café・Bar HEMINGWAY」という看板もあったが別の店(?)。
ナバラ州政庁の壁に付けられたカスティージョ広場の住所プレート。
カスティージョ広場から闘牛場へ歩いていくと途中で並木が美しい道路を横切った。
闘牛場の外側を歩いていると立派なスタンドを背景にヘミングウェイの胸像があった。
[旧市街と城塞]
一度ホテルに戻ってチェクアウト後荷物を預け、また街に出た。今日は午後早いバスでサン・セバスチャンに行くことにしている。それまでの時間は旧市街の向こう側(中心街の北東側)に拡がる城砦跡を散策する予定だ。
またまたカスティージョ広場を突っ切っていくとその向こうは旧市街だ。突然道が狭くなり黄土色の石造りの建物が迫ってくる。一瞬にして千年の時空を飛び越え中世の街にタイムスリップさせてくれるのはこの町の魅力の一つだろう。他の町や国でも見られるとは思うが、この町の新旧のコントラストは格別だ。
狭い路は迷路のようでどこに出るのか分からなかったが、高い方向へ歩いていくと突然前が開けて見事な石積みの城砦が現れた。青空に映える城砦(塁壁)は中世の長い時を通じて建造、破壊、修復を繰り返してきた”兵どもが夢の後”なのだろう。
いつの間にか行き着いた「カバージョ・ブランコ展望台」からの遠望は素晴らしかったし、そこから下っていく散策路は塁壁の下を通ってアルガ川の河畔まで行けるらしかったが時間が気になりだした。
旧市街に入ると途端にこんな街並みになる。画面左端の壁に「ENCIERRO」と書かれた赤いプレートが付いている。「エンシエロ」は”牛追い”の意で、プレートが貼られている道は牛追い祭りの本番で6頭の雄牛が疾走するルートになっているようだ。
旧市街の真っ只中、古い石造りの建物の壁には「Calle de San Agustin」(サン・アグスティン通り)の表示。
旧市街を抜けると景色が開け、石造りの城砦が現れた。
すっかり青空が拡がってピレネー山脈方向に山並みがくっきり。
城砦の上部を歩いているとRonda Barbazana(バルバサーナの塁壁)の案内板があった。
城砦は大規模で遊歩道でつながっているようだ。カバージョ・ブランコ展望台に向かってみる。
如何にも中世の雰囲気を漂わせる坂道を通って展望台へ。
カバージョ・ブランコ展望台(Mirador del Caballo Blanco)からの景色。手前下にアルガ川が流れている。
城砦(塁壁)上部から城址を見下ろす。
この角度から見ると塁壁の大きさが分かる。散策路が塁壁の下に延びアルガ川に続いている。
城砦の下に降り散策路をいくとアルガ川の支流の小川にかかるサン・ペドロ橋があるはずだったが、生憎修復中の看板が出ていて見れず。風情のある橋らしかったが。
さらに進むと思いがけずこんな美しい風景に出会った。
アルガ川まで出てみようと歩いてきたがなかなか到達せず、振り向くと木立ちの向こうにカテドラルの尖塔が小さく見えていて相当来てしまったことが分かる。午後のバスが気になってきて街に引き返すことにした。
[街に戻る]
午後のバスは確か15時半発、その前に昼飯も食べたいので逆算しながら街に戻る。
城砦公園の散策路から道なりで旧市街に入るとカルメン通り(Calle de Carmen)につながっていた。
最近、スペイン語のクラスでは「サンチャゴ巡礼」を題材にした教材が使われているのだが、その中でパンプローナの町も順路になっていること、順路の道には巡礼者が迷わないようホタテ貝マークの道標があることなどを知った。
「サンチャゴ巡礼」とはスペイン北西部のキリスト教の聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラを訪れる巡礼の旅のこと。基本のルートはピレネー山脈のフランス側の町を始点にした約800kmの路だ。
現地を歩いているときは気が付かなかったが、カルメン通りの写真を見ているとそのホタテ貝マークがあるではないか!この路が「サンチャゴ巡礼」のルートだったことを最近知り、ひとりごちた。
それはさておき、またレストラン探しをしながら、カテドラル、市庁舎前を経てカルメン通り、ポソ・ブランコ通り(Calle de Pozo Blanco)ときて、結局昨晩の居酒屋があったサン・ニコラス通りに辿りついた。
昼飯にはまだ少し早い13時前で、開店準備中の店前で待つ人たちも多い。
何軒か覗いてみたが、どこの店も大差ないメヌー・デル・ディア(日替わり定食)を用意している。結局応対の良かった一軒に決定。セグンド(メイン)で頼んだ岩塩だけでグリルした鶏のモモ肉は絶品だった。
バルセロナを出て北スペインに入って食べる料理の味はまだ裏切られていない。この先がますます楽しみだ。
ホテルに寄って荷物を引取り、余裕で歩いてバスターミナルに向かった。今晩はサン・セバスチャンだ。
カルメン通り沿いの建物の壁(右上部)に青地にホタテ貝のプレートを見つける。拡大した写真を下に。
拡大するとよく分かる。下の ⇐ は巡礼路の方向を示している。
カルメン通りでさらにサンチャゴ巡礼者のための宿屋(Albergue)を見かけた。画面中央部の赤い壁面にAのマークとホタテ貝印の青いプレートが見える。巡礼者のための宿泊施設の意味だ。食事つきで14€(1700円程度)と表示されている。
カルメン通り(Calle de Carmen)のあたりで右手の奥にカテドラル(正式にはCatedral de Santa María la Real de Pamplona)の鐘楼が見えた。
この辺りは旧市街ながら少し道幅が広い。
カルメン通りを下ってきたらパンプローナの市庁舎前広場に出た。毎年7月6日の正午、市役所2階のバルコニーから牛追い祭り開始の宣言が発せられる。
牛追い祭り開始日正午の市庁舎前はこんな具合になるらしい。(Wikipediaの画像から)
カルメン通りからポソ・ブランコ通りを来ると昨夜のサン・ニコラス通りを見つけた。この小路がそれ。
サン・ニコラス通りで入った店先。Menú del día(日替わり定食)の看板が出ている。プレート(前菜とメイン)を二つ選択でき、飲み物とデザートが付いて11.5€は正直リーズナブル。スペインは全国どこへ行っても昼飯はこの方式があるので安く上げたい旅行者にはとても有難い。
プリメロ(前菜)はMenestra de verduras(ミックス野菜)だったか?
セグンド(メイン)は、岩塩だけで焼いた鶏のもも肉(Pollo Asado con sal)。フォークを入れただけで身がホロホロとくずれ、シンプルな味が秀逸だった、今でも忘れられない一品だ。
デザートで頼んだはずだが何だったか失念。
待っているのか、
店先で談笑しながら席が空くのを待っているのだろうか?
14時半に近づいたサン・ニコラス通りを後にバスターミナルに向かう。
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