4.バルセロナ ④(グラシア通りほか) [15/9北スペイン]
[サン・ジャウマ広場→グラシア通り]
グラシア通りへはカテドラルから歩いてでも行ける距離だが地下鉄「ジャウメ・プリメ」駅からダイレクトで行ける。バルセロナの地下鉄は11号線まであり人口160万の町にしては地下鉄網が発達していて中心部は特に密度が高い。
駅に向かう途中でカテドラルの裏手にあるサン・ジャウマ広場(plaça de Sant Jaume)に出た。
そんなに大きな広場ではないが、バルセロナ市庁舎や(カタルーニャ州の)自治政府庁が面していてバルセロナの行政の中心地だ。はるか中世の昔からこの町にとっては重要で由緒ある広場だったはずである。
市庁舎の横から緩い坂道を下ると地下鉄の赤いMマーク(地下鉄駅を示している)が目に入った。「ジャウメ・プリメ」の駅だ。「グラシア通り」はここから二つ先だから遠くはない。
カテドラルを出たところで手をつないだ正装の老夫婦を見かけた。何か行事に出るのだろうか?
バルセロナ市庁舎。中央屋上には3本の旗が立っている。左からカタルーニャの州旗、スペイン国旗、バルセロナ市旗だそうだ。
市庁舎の前に改まった装いの男女が集まっている、これから何か式典でも始まるのか?さっきの老夫婦もここに来る途中だったのかも知れない。
こちらは自治政府庁。入口のすぐ上に「Palau de la Generalitat」とカタルーニャ語で表記されている。カテドラルに近いこともありこの広場は観光客が溢れている。
この坂を下りてきてサン・ジャウメ駅の入口を見つけた。
[グラシア通り]
中世を思わせる狭くて薄暗い旧市街から地下鉄でわずか5分、階段を上って地上に出ると一瞬戸惑ってしまった。そこには広々とした明るい「グラシア通り」(Passeig de Gràcia)が整然と伸びていたからだ。
バロセロナ市街の地図を開くと中心は迷路のような旧市街、でもその広さはせいぜい1.5km四方ぐらいと意外に狭くその周りには碁盤目の街区が規則正しく拡がっているのが分かる。
19世紀後半になって拡大するバルセロナの街の都市計画が検討されたとき、旧市街の外側に規則的に同じ大きさの街区(当初の大きさは133m四方)を反復させるというグリッド・プラン(札幌や京都の街ような)が採用された。
グラシア通りもその計画に沿った街路で旧市街のカタルーニャ広場から新市街に伸びる幅60mはあろうかという幹線道路だ。両側にゆったりとした歩道の他に左右2本の中央分離帯が確保されていてバロセロナのシャンゼリゼとも言われている。
歩道沿いには19世紀末から20世紀にかけてバルセロナのムーブメントとなった「モデルニスモ」に由来する建物が並び一階部分は高級ブランドショップやレストランが軒を連ねている。
ブランドにも買い物にもあまり興味がないのでブラブラ散策を楽しむだけだが、しばらく進むとある建物の前に観光客が集まっているのが目に入った。そばに「Casa Batlló」の看板が出ている、これがガウディ設計の「カサ・バトリョ」らしい。たむろしているのは入場待ちの行列らしくこちらも列の後ろに付くことにした。
地下鉄「グラシア通り」駅で下車、階段を上ると道幅の広いグラシア通りに出た。
歩道も車道もゆったり、プラタナスの並木もいい感じだ。何故すっきりしているのか?電柱・電線が一切ないことに気がついた。
もう100年以上経っているだろう高級感漂う建物が続いている。
スペインを代表するバロセロナ生まれのファッションブランド「MANGO」の店があった。1984年にバルセロナで1号店をオープンして以来「ZARA」と並んで全世界100ヵ国以上で展開中という。日本では圧倒的に「ZARA」だが「MANGO」も何店か出ている。
「グラシア通り」と「ダラゴ通り」の交差点のあたり、カサ・バトリョが近い。この頃はまだ雲の隙間に青空も見えていたが・・・
[カサ・バトリョ]
ところで「モデルニスモ」とは、1900年前後バロセロナを中心としたカタルーニャ地方で流行した新しい芸術・文化運動のことだが、カタルーニャ独自のアイデンティティを確立しようとする思想的・政治的な一面もありそれが現代にも息づいているわけだ。
当時のスペイン、特にカタルーニャではいち早く産業革命を終え、繊維産業などで成功した実業家たちがパトロンになってこれらの芸術・文化運動を支援していたことが「モデルニスモ」が盛り上がった背景にあると言われている。
それはさておき、建築分野では多くの建築家たちが当時の「アール・ヌーヴォー」の影響を受けつつバルセロナ独特の曲線の使い方や一風変わった装飾などを施した個性的な建造物が発表されていた。
「カサ・バトリョ」もその一つで「ガウディ」の作だ。今では「ガウディ」だけが飛びぬけて有名のようだが当時はそれほど目立つ存在ではなく、ドメネク・イ・モンタネル(代表作のサン・パウ病院には翌日行った。)などの方がもっと知られていたようだ。
ともあれ「カサ バトリョ」の前は入場待ちの人たちが広い歩道に溢れている。内部の見学といってもマンションの内覧会のようなもの、入れ過ぎないよう入場制限せざるを得ないのだろう。
中に入ると2軒分ぐらいのマンション内部を部屋から部屋を見て回るのだが、ガウディが設計したのは1904年の話だから100年を超えているのに今見てもその斬新な発想とデザインに驚かされる、天才の作とはこういうものか。
歩道沿いに「Casa Batlló」の案内板が出ていた。
「カサ・バトリョ」の入場券を求めて並んでいる人たち。内部が混んでいるのかスイスイとは進まない。
「
普通のマンションだが、飛び出したベランダの円みを帯びたデザインや独特の模様などを見るとすぐ「ガウディ」だと分かる。
建物前で入場を待つ人たち。
「カサ・バトリョ」の前は平日の昼時なのだが観光客が絶えない。
建物内部。大きめの一室にくるとやはり見学者で混んでいる。ソフトな雰囲気を醸し出す曲線を使った壁一杯の窓枠、イスラム建築を思わせるアーチ状の円柱など、これが個人用の住居だとは思えない。
とんでもなく腕の長い(?)お嬢さん。耳につけているのは入場の際貸してくれるヘッドホン。所々のポイントで解説が聴けるのだが確か日本語の選択はなかった。
ステンドグラス様のガラス張りの大窓(?)から自然光を取り入れている。資料によるとこの建物のテーマは「海」だそうだが、そう言われればはめ込まれたガラスの配置や配色を見ていると確かに海の底にいる気分にさせる。
こんな部屋で日常生活を送っていたらどんな気分になるのだろう?
「カサ・バトリョ」から「グラシア通り」を見下ろす。写っている歩行者は殆どが観光客のようだ。
[カサ・ミラ→カタルーニャ美術館]
「カサ・バトリョ」を出てすぐ先にある同じガウディ建築の「カサ ミラ」も見てしまうつもりだったが、もう1時を回っている。「カサ ミラ」は後回しにして昼食のレストラン探しを優先、結局「グラシア通り」に平行した1本西側の「ランブラ・デ・カタルーニャ通り」で中央分離帯にあったテラス レストランに入った。
歩道側にあるレストランが夏場だけ広い中央分離帯にも出店しているらしいが、いくら道幅が広いといっても公共の道路敷で店を営業できるのは日本とは何かが違うのだろう。
これらのテラス レストランは並木道の樹陰に大きなパラソルを並べた屋台のようなものだが、開放的な雰囲気のテラス席で食事をするのが好きなヨーロッパ人にはぴったりのはずだ。
この店ではガスパチョと白身魚のソテーを選択、味はまずまずだったのだがそれ以上の印象は残っていない。
食事を終えて数分で「カサ ミラ」の前まで来た。ここでも中を見学する人達が列を作っている。
また列につくか迷っていたらついに曇っていた空からポツポツ雨が落ちてきて入場は割愛することに。
実は今日はこの後「モンジュイックの丘」に登り、少なくとも「カタルーニャ美術館」」を観てからロープウエイ(バロセロナ港の上を空中散歩できる、延長1km弱)でバルセロネータ(海岸沿いにレストラン街がある)へ行って海鮮レストランで晩飯という行程を考えていた。
雨はさらに強くなってきた。ここは臨機応変に取りあえずタクシーで「カタルーニャ美術館」に向かうことにした。この時の運転手とは乗っていた10~15分、話が弾んだ。「日本人は静かで紳士だねー、それに比べて中国人は・・・」てな話だったが、日本人に対する"バロセロナ流おもてなし(!?)"だったかも知れない。
中央分離帯にある並木の下のレストラン。
女の子が店先のメニューを吟味中、ウェイターがお薦めを案内している?
注文した冷製スープ、ガスパチョ。
白身魚のソテー。
グラシア通りを挟んで筋向いに見る「カサ・ミラ」。20世紀初頭にこの建物ができた頃、地元ではその"醜悪さ"から「石切り場」(La Pedrera)と呼ばれて評判は悪かったそう。今では世界遺産に登録され周りにもすっかりなじんでいる。
一切直線が使われておらず集合住宅として建設され現在も4世帯が居住中。屋上にある煙突が何かの彫刻に見える。
さらに近くに寄って見上げるとすべてが曲線でできているのが分かるが果たして住み心地は?
入場を待つ列の最後尾、雨が降ってきたこともあり列から離れた。
[カタルーニャ美術館]
「カタルーニャ美術館」」(Museu Nacional d'Art de Catalunya)はあまりにも広大すぎた。1時間や2時間そこらでは象の鼻先をなでたようなもの。余程見たいものを絞って来ないと掴みどころがない美術館だ。
カタルーニャの美術・芸術を中心に、ロマネスク、ゴシック、近代それぞれの時代の作品が展示されているが、特にロマネスク様式(10世紀末から12世紀の教会美術などが主流)のコレクションが世界有数で、ピレネー山脈に点在する小教会の壁画を相当数そのまま移設保存して観せているのは迫力がある。
帰国してから分かったのだが、別のコーナーには「モデルニスモ」時代の絵画や生活家具なども展示されていたらしいが記憶に残っていないから見逃していたのだろう。とにかく手に負えない広さだった。
美術館、博物館などに行って意義深く楽しむには好奇心もさることながら、相当の体力・気力・集中力が必要だとつくづく思う。自由に旅していても残念ながらそうそうそんな風にはならない。
美術館を出る頃になっても雨はまったく弱まる気配はなく、バロセロネータでの夕食も諦め、あっさりタクシーで宿に戻った。
その代わり、夜は近くのスーパーで仕入れた食材と昨日買ったイベリコ豚で例のワインとビールを堪能し晩飯に替えた。
明日はいよいよ「サグラダ・ファミリア」に行く予定。
カタルーニャ美術館の正面。年金生活者は確か無料だった。
1992年のオリンピックの時に名が知られようになった「モンジュイックの丘」から見る雨に煙るバロセロナの街。天気が良ければ下の写真になるのだが・・・
天気が良い日のカタルーニャ美術館からの眺望。(公開資料から)
雨の中で宮殿のようにも見えるカタルーニャ美術館。
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