2.グアテマラ、アンティグアの街 ① [グアテマラ アンティグア]
[アンティグアは火山の町]
この町を特徴づけるもの、それは何といってもアグア火山(Volcán de Agua)だろう。
富士山そっくりの長いすそ野を持つ穏やかで美しい姿は市街のどこからでも望むことができる。この町のシンボルと言っていい。
メキシコからパナマにつながる中米の国々は環太平洋造山帯の中央アメリカ火山弧に位置する。このためメキシコ中部からグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマにかけて点々と火山が連なる地帯で地震も多く日本周辺の地殻構造と良く似ているという。
その中でもメキシコの南に接するグアテマラは最も火山の多い国で、富士山と同じコニーデ型(成層型)の美形の火山が多く、アグア火山もそのうちの一つだ。
標高が3766mというから殆ど富士山と同じ高さで、町からわずか10kmしか離れていない。それならもっと高く聳えて見えてもと思うがそれほど威圧感を感じないのはアンティグアの町自体がすでに1,500mの標高があるからだろうか。それに雪化粧していないせいもあるかも知れない。
しかし、もしこの山の標高が4,500m前後あったら北緯15度の当地でも雪を被った富士山になっていたはずなのだが・・・、その意味ではちょっぴり残念ではある。
この町の近傍にはさらに近年大噴火(直近は2012年5月)を繰り返し現在も噴煙を上げているフエゴ火山(Volcán de Fuego 3763m)とか、パカヤ火山(Volcán de Pacaya 2550m)など幾つかの火山がある。なお、アグア火山も含めこれらの山はガイド付きなら観光登山が可能なようだ。
街の中心部から北東方向に20分も歩けば山のふもとにぶつかる。ここから木立ちの中の散策路を上ること20分ほどで「十字架の丘」(Cerro de la Cruz)と呼ばれる展望台に辿り着く。写真はこの丘から望むアンティグアの街並みと背後に聳えるアグア火山(町から約10km南)だ。写真を撮る直前まで頂部には雲がなかったのだが・・・、 午前中の早い時間は雲がなくても次第に覆われてくることが多い。
アンティグア郊外の村、サンフアン・デル・オビスポ(San Juan del Obispo)に行ったときに見たフエゴ火山。丁度小爆発があり噴煙が上がったところ。
2012年5月に噴火した時のフエゴ火山。(中米の elsalvador.com から)
アティトラン湖にも美形火山があった。フェリーボートから見た手前のトリマン火山(Volcán Tolimán 3,158m)と真後ろにあるアティトラン火山(Volcán Atitlán 3,537m)。ちょうど重なって見える。(アティトラン湖方面への小旅行については改めて掲載予定)
このように中米は日本列島と同じように地震が多く、この町もご多分に漏れず有史前から大地震に見舞われてきた。スペインの植民地になってからでもまず1541年、アグア火山の麓にあった当時の首都(シウダー ビエハ)が噴火による火砕流で壊滅し、数km離れた今のアンティグアに首都機能が移された経緯がある。
その後アンティグアは今の中米全体を治める植民地政府の首都として2世紀に亘ってグアテマラ総督府が置かれていたが、1717年9月に推定マグニチュード7.4の地震が襲い、市内3,000の建物が崩壊したという。
この災害を契機にさらなる遷都が考えられていたところに1773年に再び大地震が襲い市内の大部分が壊滅してしまった。このため1776年にスペイン国王はもっと安全な場所に遷都せよとの命令を下すに至り現在のグアテマラシティが新しい首都になったとされている。
こうした地震の記録は市内北部にあるメルセー教会(現役の教会だが裏側に回ると廃墟の遺跡が残されている)の博物展示品コーナーで見ることができる。そこの一枚のパネルに過去500年間に起きた大地震の簡単な記録が描かれている。
なお、直近の大きなものは1976年地震(M7.5)で震源が人口の多い中部域付近だったため、犠牲者23千人、負傷者70千人、倒壊家屋数多と大きな被害が出た。特に、山間部に居住するマヤ系先住民の村落ではライフラインがなかなか復旧せず貧富の格差をますます拡大させる一因になったと言われている。
中央公園の北3ブロックにあるメルセー教会。現役の教会で結婚式も行われていたが、背後には地震によって廃墟になったかっての教会がある。
メルセー教会の裏手に隣接する旧教会の廃墟跡。広大な中庭に中米で最大規模と言われた噴水跡が残っている。
ちょっと見ずらいが1564年以降に起こった大きな地震の強度がパネルに示されている。学術的なものではないが大よそのことは判る。これによると近年の大地震は1773年の後は1976年の震災が直近になる。
周辺火山を説明するパネルもあった。
メルセー教会での結婚式に出席する現地の人達。上流クラス(?)らしくそれなりの正装で着飾っている。
[アンティグアは観光の町]
こんな歴史のせいで市内中心部には地震で廃墟になった旧教会がそこかしこに見られ、それが古都の魅力にもなっている。
これらの教会群を中心とした歴史的街並みは1979年に世界遺産に指定されていて、中央公園の東側に面しているカテドラル(大聖堂)をはじめ、今でも中米各国から信者を集めるサン・フランシスコ教会、前出のメルセー教会、廃墟公園として保存されているカプチナス修道院など大きくない市内だが枚挙にいとまがない。
中心部を歩いていると一見して観光客とわかる一団がいつも訪れている。また、街ですれ違ったり、レストラン、カフェテリアや土産物店で見かける外国人も多くこの町が観光地であることがよく判る。
それにしても、人口約8万強というこの町は何で食っているのだろうか?
産業らしきものは郊外に点在するコーヒー栽培などの農業や手工芸品を製作する家庭内工業ぐらいしか考えられない。ということはやはり「観光」を核にした商業・消費都市とみるべきだろう。
観光業はすそ野が広く、この街の規模にしてはホテル、レストラン、お土産物店がとにかく多い。さらに訪れる観光客を相手にする旅行代理店やシャトルバスを運行する輸送関連など直接間接に観光につながっている人口は相当な数に上るはずで、外国人を呼び込むスペイン語学校、それに関連するホームステイ業などもその一翼を担っていることになる。
正面から見たカテドラルは天気が良ければパステルカラーが美しい。この町の象徴で守護聖人サンティアゴが祀られている。(中央公園から生垣越しに)
裏手に回り入場料を払って門をくぐると昔を偲ばせる旧カテドラルの偉容が迎えてくれる。
廃墟の内部にはさぞかし大きな祭壇があったのだろうと思わせる一角もあった。
外囲いの門から見たサン フランシスコ教会。敷地も広く堂々とした作りでアンティグアでも代表的な教会。病を癒す聖人として慕われるエルマ-ノ・ペドロの墓があるため国内は勿論、中米各国のカトリック信者が参拝にやって来る。さらに現役の教会に隣接して地震で倒壊した旧教会が廃墟として残っているため観光客も非常に多い。
サン フランシスコ教会の正面。
現在の教会の後方に拡がる廃墟となっている旧教会。相当大きな規模だったことが窺える。
その廃墟の一部①
その廃墟の一部②
その廃墟の一部③
右手前看板に「FINCA FILADELFIA」とある。フィラデルフィア農園のこと。門を入ると広大なコーヒー畑が丘陵地に広がっている。コーヒー農園として有料の見学ツアーを受け入れているほか、中にはレストラン、スーベニアショップ、ホテルもある。
サン フランシスコ教会の横で「CITY TOUR」と書かれたミニ観光バスを見かけた。こんなバスも市内を走っているらしい。
カテドラルのそばでは観光用馬車が客待ちしていた。
とある街角で見かけた米国人(?)らしき観光客の一団、ピックアップしに来るバスを待っているのだろうか・・・。下宿先に帰る途中で。
(以下、「アンティグアの街 ②に続く)
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