アンダルシア⑦(コスタ・デル・ソル点描 その3)
[フエンヒローラのセマーナサンタ]
キリスト教圏では”セマーナサンタ”(Semana Santa:聖週間)の方がクリスマスより重要な宗教行事とも言われる。
日本でいえばお盆であると同時に連休が続く春のゴールデンウィークに似ているかも知れない。
一週間に亘ってスペイン全土で行われるのは”聖行列”(プロセッシオン:Procesion)”と言われる伝統行事だ。キリストの身に起こった「受難ー磔刑ー復活」という出来事を信者(コスタレロ:Costalero)が担ぐ山車の行列などで再現しているものらしい。
アンダルシア地方ではセビージャの聖行列が特に有名でその模様はテレビでも生中継されるほどだ。
勿論、マラガでもフエンヒローラでもそれなりの規模で行われ、連日キリスト像や聖母マリア像の神輿のような山車や独特の楽隊が行列をなして町のカテドラルに向かって練り歩き、沿道は地元民に観光客も混じってごった返す。
ちょうど日本の夏祭りでも行われる神輿や山車の行列をもっと厳粛に宗教色を強くした感じだろうか。
この一週間はマラガまで見物に行く客のために電車も終夜運転の特別ダイヤが組まれ日本の大晦日並み。
フエンヒローラでは事前情報で「最後の晩餐」にあたる木曜日の夜が見ものだというので小雨がパラついてはいたが出掛けてみた。
行列のスタートは20時ごろというプログラムを頼りに町の中心にある教会前広場で網を張った。
ここの教会まで来れば聖行列の雰囲気は感じられるだろうし、あわよくばそれに出会うかもと思ったわけだ。
広場周辺には大勢の地元民が集まり聖行列の到着を三々五々待っている風に見えた。しかし、小雨が降る不安定な天気のせいなのか結局聖行列が現われる気配はなく、10時過ぎには冷たい雨になったのでホテルに引揚げることにした。
どうもこの夜は中止だったようだが、何せ昔から伝わる御聖体だから雨に濡らすわけにはいかなかったのかも知れない。
フエンヒローラの昼間の聖行列。御聖体はマリア様か。(一般映像)
マラガのプロセッシオン。キリスト像を担ぐ人達はコスタレーロと呼ばれ、それに選ばれるのは名誉なこととされる。(一般映像)
マラガの聖行列。一つの山車の重量は1.5から2トンもあるという。(一般映像)
20時過ぎの中央広場の教会、日没はまだだ。
広場には三々五々人が集まっていた。この頃はまだ日も射していたがこの後天気が悪化、雨も降り出す。
日頃それほど混まない広場の周辺道路も今日は大変な人出。
広場もモノ待ち風(?)の人たちが増えてきた。
21時をまわり、ようやく暗くなってきた教会前はいよいよ沢山のひとで溢れる。
教会の横の扉が開いていたので中をのぞいてみたらミサが行われていた。
[ホテルを換える]
セマーナサンタが始まる日曜日、別のホテルに移った。
それまで5泊したホテルはセマーナサンタになると部屋代が倍近くになる(一般にセマーナサンタ期間は春の旅行シーズンでホテル代が高くなるのは普通。)のが分かっていたので別のまだマシなホテル(数少ないがそんなホテルもある。)を予約しておいた。
昔泊まったことがあるホテルで、ちょうど町の反対側(東側)のロス ボリチェス地区にある。
このホテルは海沿いの海岸道路に面していてどの部屋からも地中海が目の前だ。しかし、あてがわれた部屋は少し奥に引っ込んだ位置で予想に反したが、まったく海が見えないわけでもなし、結局そのまま9泊することになった。
部屋のバルコニーからの景色。ホテルの前の道路を渡れば地中海だ。
同じ角度で夜はこんな感じ。
部屋はワンルーム型で一部屋の中に二つのベッドと応接・食卓セットがあり、簡易キッチン、水周りが別部屋になっている。ベランダは視界が若干制約されていたが広くゆったり。
ベランダのテーブル。
そのテーブルで海を眺めながらのんびりワインを傾けるのは至福の時間。
[語学学校]
新しいホテルに移った翌日の月曜日、前の週に受講登録しておいたスペイン語の学校に不安半分、期待半分で初登校した。
学校といっても街中のごく普通の住居街の一軒を学校使用しているだけのこと。1、2階の8~10畳程度の幾室かを事務室や教室にしている。
授業は9時半開始ということなのでホテルを9時に出た。徒歩で20分弱か、丁度よい距離。
1階の受付に顔を出すと教室は2階だという。果たしてどんな仲間と一緒になるのか、多少緊張して部屋に入ると既に4人の生徒が席についていた。いずれもヨーロッパ人と見受けたが若い男女が一組と中年の男女が一組という顔ぶれだ。
取り合えず、「お早うございます、初めまして・・・」と名前だけ言って待っていたらまもなく先生がやってきた。先週面接をしてくれたカルメン先生だ。
すぐに簡単な自己紹介が始まり生徒のおおよそのことが分かった。
若い二人(ホアキンとマリー)はフィンランド人で、大学(音楽関係と言っていたが詳細不明)を出たばかりのカップル。後日の話では彼の方はスペイン語を覚えて音楽関連の仕事に生かしたいと言っていた。
中年の女性カリーナ(スエーデン人)は、昔この町の旅行代理店にいたことがあるそうで時間ができた今改めてスペイン語を勉強しているとのこと。
男性の方はビアネといって50歳は超えている(?)デンマーク人、奥さんと一緒にこの町に住んでいる友人宅に逗留していてダンナだけここに来てスペイン語を習っているらしい。
先生然としていて、いつも分厚い辞書を何冊か拡げており学習意欲は満々に見えた。
若いカップルは既にこのクラスで3ヶ月も続けているそうだし、他の二人も1ヶ月前後前から通っているらしくレベルは相当高い。日本人と違って外国語といっても同じアルファベットだから彼らはあまり苦労しなくても簡単に身につくという話はよく聞くところだ。
全員受講態度は真剣だし少人数のクラス編成なので当然中味の濃い授業になる。
これはヤバいところに飛び込んだかなと思いつつも、今更逃げ出すわけにもいかず、とにかく変な日本人が入ってきて迷惑だったと言われないようにしなければと気を引き締めた。
9時半から始まった授業は13時半まで。途中11時半ごろ20分ぐらいのコーヒーブレイクがある。
カルメン先生の授業はさすがに手馴れたもので生徒個々のレベルに合わせ丁寧に説明しできるだけ話させる機会を与える。とにかく歯切れのよい進め方が印象的で心地よかった。
教材は中級用の分厚いテキスト(CD付き)を基本に、読み物、エッセイ、練習問題などのプリントを適宜使って行われるので飽きさせることはない。
初日の授業が終ると緊張がほどけどっと疲れが出たが、開放感、達成感を味わうのも束の間、すぐ次の日の準備だ。あらかじめ配布された翌日用のプリントを読み込み、テキストも先読みしておかないと授業に付いていけそうもない。この準備のために夕方の散歩と夕食以外のすべての時間を費やさざるを得ない日が続いた。
それでも、この週は幸い(?)にも週末の木・金がセマーナサンタの休みだったので辛うじて凌ぐことができたが、一週間丸々クラスがあったらかなり厳しかっただろう。
「難しいなら他のクラスに移る選択もあるけど、今は入門クラスしか開講していないので・・・」とカルメン先生から言われていたが、次の週の帰国する前日までギリギリ耐えるほかなかったというのが本当のところである。
果たして先生やクラスの皆さんにどう見えていたのか本当のところは分からないのだが、遠来の闖入者を快く受け入れてくれて貴重な経験をさせてもらえたのはありがたかった。
リゾートの町でこんな体験が出来たのはとても幸せなことだったが、集合時間に追われるツアーの旅ではなく、物見遊山に終始する旅でもない今回のような旅のスタイルは満足感、充足感が違うような気がする。
語学学校の入口脇の看板。
ホテル前の海岸沿い散策路。終日散歩する人が絶えないが、天気の良い夕方(6時ごろから10時ごろまで)は特に多くなる。
砂浜沿いに延々と続く遊歩道を現地のFMやお気に入りの音楽を聴きながら歩くのは本当に心地よい。毎日1万歩近く歩いていたがそんなに疲れは感じない。
道路脇で一休み。季節はずれの砂浜はまだ人出は少ない。
学校に通い出してからめずらしく天気の悪い日が続いた。そんな日でも雨の合間を狙って歩きには出ていたが、サーファーの姿も途切れることはない。
歩いていてふと顔を上げると空に大きな雄牛が!!! ロス ボリチェス地区の山が迫った崖の上の看板だった。
手前はアフリカから来たと思われる黒人の若者。沢山の荷物は露天で売るアクセサリーなどだろう。近年アフリカからのこうした移民は一段と増えこの街の海岸道路などでも店を広げている景色が増えてきた。
連休に入る水曜の夜、めずらしくTVE(国営テレビ)でサッカー中継があった(普通は有料チャンネルでないと見れないことが多い)。コパ・デル・レイ(国王杯)の決勝、「FCバルセロナ VS レアル・マドリー」だ。延長にもつれ込み クリスティアーノ ロナルドのヘディングが決まってレアル・マドリーが1-0で勝利、国王杯を手にした。この雌雄対決はいつも国内を二分し大変な盛り上がりだ。
ヘディングで決勝点を決めたクリスティアーノ ロナルドのインタビュー。
学校の帰りに見かけたフラメンコの衣装がブラ下がったお店。春祭りの衣装としても着られるようだ。
授業が終わりホテルに戻る途中、こんな店でランチ。ほっとした気分でビールを飲みながらのランチは何を食べても美味しい。
クラスメートのマリーが推薦してくれた海鮮レストラン「Matahambre」で。写真の一皿はクリームチーズを薄切りの(スモーク?)サーモンで巻いた一品。なかなかの美味。
白ワインを飲みながらのクリームチーズのサーモン巻きとエビなどの串焼きはこたえられない。帰国の前日にももう一度行ってしまった。
震災直後の日本を発ってポルトガルのリスボン周辺巡りから始め、その後陸路でスペインに入りセビージャ経由でコスタ・デル・ソルに滞在、その間モロッコまで足を延ばしたり、語学学校に通ったりと3週間に亘った欲張りな旅。兎にも角にも内容満載で無事幕を閉じることができたのは本当に幸いだった。
(以上でこの旅記録は終りです。)
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