アンダルシア⑥(コスタ・デル・ソル点描 その2)
[マラガの街]
セマーナサンタ(聖週間(今年は4月第4週で普通の年より遅かった)を来週に控えた天気のよい土曜日、マラガの街に出かけた。
どうしても行ってみたいところがあったわけではないが、マラガのシンボルともいえる城址を登り、その後中心街をブラつくという目論みだ。
まず、フエンヒローラから電車で46分、終点のマラガ(セントロ アラメダ)駅に向かう。地下駅から地上に出ると町の中心部を流れるグアダルメディナ川のほとりに出る。
ここから少し東に進むとマリーナ広場があり、海沿いの緑豊かな公園、パセオ・デル・パルケが始まる。
右に公園、左にカテドラルを眺めながらさらに進むと前方に「ヒブラルファロ城」(Castillo de Gibrarfaro)がある小高い丘にぶつかる。
以前観光バスで市内を一巡したとき丘の頂上にも寄ったのだが通り過ぎただけで城には寄っていない。今日は出来れば徒歩で登ってみようと、まずは麓にある「アルカサバ」(Alcazaba)の入口に向かった。
マラガのセントロアラメダ駅を背にアラメダ・プリンシパル(Alameda Principal)大通りを行く。
マリーナ広場(Plaza de Marina)あたり。
道路の奥にマラガのカテドラルが見える。16世紀の建設時、資金不足で右側の塔が未完成のままというちょっと変わった曰くがある。
振り返って見るアラメダ・プリンシパル大通り。港のそばを東西に走るマラガの大動脈だ。
入場券は「アルカサバ」+「ヒブラルファロ城」の通し券(3.45ユーロ)があったのでそれにした。
しかし、ここでちょっとした思い込みが頭に入ってしまった。
「アルカサバ」は丘の麓の登り口にあり、「ヒブラルファロ城」はその頂上部に位置しているので、「アルカサバ」を見物しながら登っていけば入場券も通しだし「ヒブラルファロ城」にはそのまま通じるだろうと思い込んだのだ。
「アルカサバ」はアラブ勢力が支配していた12世紀に既にあった古代ローマの要塞を土台に建てられた城塞だ。
アラブ特有の石積みの壁は重厚にして堅牢な砦の印象を与え、訪れる者を圧倒する。一方で内部の城門や建物にはアラブ特有の馬蹄形アーチや幾何学模様の壁などが見られる。さらにアルハンブラ宮殿を思わせるような庭園もあったりして荒削りな中にもイスラム文化の繊細さを感じさせそのコントラストは興味深い。
さて、丘の麓から順路に従って要塞内を見学しながら最上部の”誓いの塔”まで登ってきたのだが、上に見えている「ヒブラルファロ城」に続く道をどうしても見つけられない。
折角かなり登ったのに止むを得ずまた下の入口まで降りて尋ねると、「ヒブラルファロ城」へは一度外へ出て別の山道を行くのだと言う。すっかり思惑が外れてしまい改めて高さ100m以上(はあるだろう)の山を登る気力はもう失せてしまった。
「アルカサバ」の入口付近。人を寄せ付けない頑丈な構えだ。
登って行く道沿いには並木(オレンジの木?)や植え込みが整備されている。
丘の最上部が「ヒブラルファロ城」。
「アルカサバ」最上部からの眺望。画面左側にマラガ闘牛場の円形の屋根が見える。
アングルを右に振れば、尖塔が一つしかないカテドラルがあるマラガ市街中心部になる。
さらに右に連続する部分(市内北部になる)を望む。
「ヒブラルファロ城」に行くにはこの道を登るようだ。左は「アルカサバ」。
画面左上が「ヒブラルファロ城」だが改めて登るのはそれなりの気力が必要だ。なお、この城の一部はパラドール(歴史的建造物の内部を改装した国営ホテル。歴史保存の一策。)になっていてテラスからの景観は有名。
頂上(ヒブラルファロ城)まで行けばこの景色が望めたのだが・・・。左手前はマラガの闘牛場。マラガ港の向こうにTorremolinosなどコスタ・デル・ソルの町々が続く。(この写真、ネットからお借りしました)
「アルカサバ」入口のすぐそばにあるローマ劇場の遺跡。アラブが侵入するはるか前のローマ時代に建造されていたということだ。
時計を見るとすでに2時を回っている。「ヒブラルファロ城」に登るのはあきらめて中心街に出ることにした。
土曜日の午後で街は地元の人たちのほかに、明日から始まるセマーナサンタ目当ての観光客風も混じってかなりの人出だ。
ブラブラとピカソ美術館の横を抜けて「メルセー広場」(Plaza de la Merced)に行ってみた。
下町にあって特に特色があるわけではないが、広場に面した一画に画家ピカソが生まれたという家(現在は展示館になっている)があり、幼少時代にはこの広場が彼の遊び場だったということで有名だ。
ゆっくり時間をかけて楽しむスペインの昼食タイムは今がピーク、どこのレストランも争うように街頭にテラス席を出して客引きに余念がない。客の方も暗い店内よりは日が当たる外の席を好むのは常識だ。
今日はパエージャを食べようと手頃なレストランを探したがどこも混んでいて入りそびれてしまった。バルで一休みした後フエンヒローラへ戻ることにした。
結局、フエンヒローラの海に近いレストラン街で遅い昼食をとり、パエージャはそこでありつけたが味がまずまずだったのは幸いだった。
「メルセー広場」に向かう。
建物の壁一面に「メルセー広場」の全貌を描いているようだが、さすがにピカソの街だ。
振り返れば「アルカサバ」が。その下をくり抜いて市西部に抜けるトンネルのバイパスがある。
左側の建物の左端あたりにピカソの生家がある。
ピカソの生家(展示館)に下がった垂れ幕には”ピカソの理髪師”(映画の題名らしい?)とあるが関連は分からず。
同じ並びに「Instituto Picasso」:ピカソ学院(外国人向けスペイン語学校)があり、日本人も多いと聞く。
昼時の賑わい。道路にはみ出たテーブルも満席。
行き当たりバッタリで入ったBARだったが、カウンターの立派さからして格式のある店とお見受けした。
マラガきってのメイン通り、ラリオス通り(Marques de Larios)。明日以降のセマーナサンタの聖行列を身るスタンドもスタンバイだ。
同上。経済が落ち込んでいるとはとても思えない賑わいと余裕。
ふと左の横丁を見るとカテドラルの尖塔が。
フエンヒローラに戻って入ったレストラン。
ようやくありついたパエージャ。味はまあまあ。
細い道を挟んで向いのお店。常連がサッカーか何かのTVを観戦中のようだ。
[マラガ空港]
この日は朝マラガに出る途中で「マラガ空港駅」で途中下車し、この旅の帰りに利用することになる空港を下見してきた。
というのは、前回来た08年春当時、この空港の拡張工事が真っ盛りだった記憶があり、どんな風に変わったのかも興味があった。
まずびっくりしたのは空港駅。以前は空港ターミナルからかなり離れた駅員もいない田舎の駅だったのに、今は少し空港に近づいて現代風な地下駅になっていた。
とても便利になりアクセスは抜群に改善されたが、昔ののんびりした風情も懐かしく思い出す。
拡張プロジェクトは大きく三つで、「電車アクセスの改良」と「巨大な第三ターミナル(T3)の新設」の二つは10年3月に供用開始となり、三つ目の「第2滑走路」も計画より3年遅れたが12年6月完成したようだ。
11年の利用者数は1300万人を超えたそうでスペイン第4位の国際空港になったという。(因みに成田の10年実績で3400万人。)
さて、地下駅からエスカレーターで地上に出てペデストリアンデッキの連絡路からT3ターミナルに入った。ガラスと鉄で造られた内部は天井が高く明るくて開放的だ。昔のT2(現在も使用中)の3倍あるというから確かに大きい。
滑走路も2本となって空港の離発着便数はほぼ倍増する。経済が危機的なこのタイミング、果たして地域への経済効果はどんなことになるのだろうか。
08年4月の「マラガ空港駅」のホームで。まだ地上の駅だったのに今は地下に潜ってしまった。
08年4月当時のマラガ空港第2ターミナル。この奥に隣接してT3の建設が始まっていた。
石壁のT2と鉄とガラスのT3がドッキング。右側のずっと先が地下駅になる。
右方向の駅から連絡歩道橋を来るとT3の2階につながる。
左側T2,右側T3.
チェックインカウンターもゆったりになった。380番あたりはルフトハンザが使っている。
T3の2階から見るマラガ空港滑走路。マラガ市街から8kmしか離れていないが土地はたっぷりに見える。
チェックインが済むとセキュリティチェックゲートはすぐ横。
セキュリティチェックの前はかなりの列になっていたが進み具合はスムーズ。ここを通って搭乗ゲートに進む。
搭乗ゲートが並ぶゾーン。以前T2しかない時代は狭くて大変な混雑だったが、今は隔世の感がある。
搭乗ゲート。いよいよ機内へ。
[以下、アンダルシア⑦に続く]
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